鶴我の考察・感想・言葉の息吹を吹き込む日々の呟き。

自然・宇宙・日本の歴史に心赴くままに穏やかに情熱を大事に謙虚と感謝を忘れずに好奇心を持って生きてく男の記録。

己の人生の軌跡。【其之肆】前半

 

 

 

 

京都の海を望む最高の絶景!京丹後「かぶと山展望台」 | 京都府 | トラベルjp 旅行ガイド

 

 

 

 

【人生日記では何を書く予定か?】

・母方の祖母と伯父さん(母の兄貴)の話
※主に店での話や交流の話から現在までを全て網羅して書く。
(例えばステーキの店での話、チョコのタワーの店みたいなところでの話に鴨の池の話に聖闘士星矢を見てた頃に起きた事件で基地外認定した話
から最後にエクスペリアに代替してた頃の話も書こう)

・アニメ、漫画、ゲームとの出会いから現在までを網羅して時系列順に書く。
・隣の人間たちから得れたメモ癖と価値観の変動と私の氣持ち。
・性に関する価値観など。
・ちなみにこれらの人生日記系列を書き終わったらまた、まとめ系列も新しい記事に集約して更新します。

 

 

 

 

 

 

LGBTブームの課題とは? 三橋順子さんが指摘する光と影

「人権より先に経済的側面が注目された」 | ハフポスト LIFE


 

LGBT自身がLGBTという呼称の由来を知らない

――しかし、LGBTという言葉はセクシュアル・マイノリティが権利を求めて共闘する中で出てきた言葉であって、そういう歴史を尊重するべきという考え方もあります。

それはもっともですが、そもそもLGBTと言っている当事者自身がその言葉の起源を知らないことが多いですね。ある時、メディアの人にいつからLGBTという言葉が使われ始めたか質問されたのですが、LGBTと言っている人は誰もこれについて書いていなかった。

仕方なく自分で調べたところ、1980年代にセクシュアル・マイノリティの権利を求める活動家がゲイとレズビアンをGLと呼んだのが起源のようです。そこにBとTが加わって4つになるのは90年代に入ってから。しかしその頃はまだ並びが固定していなく、GLBTと書くこともありました。それがLGBTとなったのは、活動が男性優位だという批判に対して、名前だけでもLを頭に持ってきたのだという説があります。

その後、2000年代に入ると、LGBTは次第にパブリックな用語になっていきます。公的な文書で使われた最初は、2006年の「レスビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの人権についてのモントリオール宣言」だと言われています。

日本に入ってきたのは2000年代後半でしょう。書籍名に「LGBT」を使った最も早い例は2007年出版の 『医療・看護スタッフのためのLGBTIサポートブック』(メディカ出版)です。ただこれは例外的に早いです。そして2012年夏に『週刊ダイヤモンド』と『東洋経済』がLGBTを特集します。そこが起点になり、爆発的に使われるようになったのは2015年からです。

 

 

 

 

 


 

 

 


セクシュアルハラスメントに関する報道が目立った今年。実は「セクハラ」が日本で初めて注目されたのは30年も前のことでした。平成元年、福岡で初めてセクハラを争点にした裁判が起こされ、「セクシャル・ハラスメント」はこの年の流行語大賞新語部門の金賞を受賞。これを機に、セクハラという言葉は広く社会に浸透しました。しかし、それから30年。いまも被害を訴える声が相次いでいます。日本初のセクハラ裁判からこれまでに何が変わり、何が変わっていないのか。そして次の時代の“あるべき姿”についてシリーズで考えます。

 

 

 


※これはメモだけどIMAXや4DXは多いけれどMX4Dはそれよりも少ないという印象でTCXとかその他はレアという感じです。

 

 

 

晴野まゆみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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晴野 まゆみ(はるの まゆみ、1957年 - )は、日本のフリーライター東京都出身。

 

1989年に元職場の上司に対する福岡セクシュアルハラスメント裁判を福岡地裁に提訴。日本初のセクシュアルハラスメント裁判だった。1992年全面勝訴し、当時の上司、会社に165万円の支払命令が出た。今日のセクハラ防止ガイドラインが生まれる起爆剤にもなった裁判。しかし、法廷で被告側証人に過去の恋愛関係を暴露され、支援者とも考えの食い違いが生じるなど、彼女にとっては「原告A子」であることが大きな苦痛になっていった。法廷ではプライバシー保護のため、当事者の名前を読み上げない異例の措置が取られた。「匿名の『原告A子』となって、全国の女性に自分自身の問題と意識してもらえたが、個人的な感情を表に出せなくなった」という。1996年に実名公表。2001年に裁判の経過を著した「さらば、原告A子-福岡セクシュアル・ハラスメント裁判手記」を出版した。

 

 

もうここまでになってきましたな。さて、僕自身も隣のことうんぬんでぐだぐだいってたので少し落ち着きながら
本当の氣持ちを書きます。

そして、やらないことリストアップもやります。

 

 

 


 


さて、差別という言葉が使われ始めたのは1992年あたりの市川一家4人殺害事件が影響してるとのことで
「1992年に、千葉県?かどこかで19歳の男が1家四人を殺害する事件があり、彼の家庭環境が複雑でした。
その頃から、家庭環境が不遇な子供への差別という意味で使われだした気がします!!」

と差別という言葉がメディアで使われ始めたのはこのあたりとのことでこれはいい情報を得れた。本当にありがたい。


〇市川一家4人殺害事件:千葉県市川市
〇神戸連続児童殺傷事件:兵庫県神戸市
〇女子高生コンクリート殺人事件:埼玉県三郷市
〇北九州監禁殺人事件:福岡県北九州市
三億円事件東京都府中市
大津市中2いじめ自殺事件:滋賀県大津市
〇相模原障害者施設殺傷事件:神奈川県相模原市
〇附属池田小学校事件:大阪府池田市
〇名古屋アベック殺人事件:愛知県名古屋市緑区
地下鉄サリン事件:東京都
〇尼崎事件:兵庫県尼崎市
〇世田谷一家惨殺事件:東京都世田谷区

 

大体、ここも知名度があるところに住んでるな。さて、あんまりやる氣も湧かなくて書く氣もなかったんだが何を書いてくか述べていきます。

 

 

zgt********さん

2021/10/9 19:38

5回答

「差別」という言葉はいつから使われるようになったのですか? インターネット・テレビ・マスコミ・それらの影響などいつからこの言葉が 使われ始めたのかという質問です。

共感した
 
 
 

ベストアンサー

ユリ・プラチナム☆

ユリ・プラチナム☆さん

カテゴリマスター

2021/10/9 21:22

ナイス!
 

zgt********

zgt********さん

質問者2021/10/10 19:16

ありがとうございます。 となるとそのあたりからテレビで言われるようになったのでしょうか?自分の感覚ですと2010年代からという印象がありますが いかがでしょうか?

 
 

ユリ・プラチナム☆

ユリ・プラチナム☆さん

2021/10/11 10:50

返信遅れてすみません! おそらく、メディアなどで使われだしたのは1992年だと思います!! 1992年に、千葉県?かどこかで19歳の男が1家四人を殺害する事件があり、彼の家庭環境が複雑でした。 その頃から、家庭環境が不遇な子供への差別という意味で使われだした気がします!!

 
 

zgt********

zgt********さん

質問者2021/10/11 20:39

成程‼ありがとうございます。 丁寧に答えてくれた貴方をベストアンサーにしようと決めました‼ 感謝します。 そこで最後の質問になりますが1992年の市川一家4人殺害事件がきっかけなのは分かりました。そこから庶民に伝播するようになり、 現在のようによく使われるようになり一般常識になったのは いつ頃からでしょうか? このあたりに詳しければぜひとも教えてもらいたいです。 お願いします。

 
 

ユリ・プラチナム☆

ユリ・プラチナム☆さん

2021/10/11 20:57

最初が1992年。 その次が2000年? 西鉄バスジャックが起きて やれ加害者の家庭環境だと騒がれて、また、差別というワードが出だしたのかなぁ…と。 有名で凶悪な少年犯罪が起きるたび、差別の話になりやすい。

 

 

 

 

 

 

【人生日記では何を書く予定か?】

・母方の祖母と伯父さん(母の兄貴)の話
※主に店での話や交流の話から現在までを全て網羅して書く。
(例えばステーキの店での話、チョコのタワーの店みたいなところでの話に鴨の池の話に聖闘士星矢を見てた頃に起きた事件で基地外認定した話
から最後にエクスペリアに代替してた頃の話も書こう)

・アニメ、漫画、ゲームとの出会いから現在までを網羅して時系列順に書く。
・隣の人間たちから得れたメモ癖と価値観の変動と私の氣持ち。
・性に関する価値観など。
・より詳しい家族構成(ノート[筆記長]より覚書から書くよ)
・ちなみにこれらの人生日記系列を書き終わったらまた、まとめ系列も新しい記事に集約して更新します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【フリスビーの話】
フリスビーのことなんだがもしも記憶が曖昧ですがもしも正しければみなと公園の小学生の時にやったような氣がする。
母さんは刈谷児童遊園じゃないの?と言ってるがそうかもしれんね。
(多分、小学校でみなと公園のあのたこ公園の先の場所で親父と一緒にやったような氣がする。あってるかどうかは分からないけど・・・)

(そんな氣がします。まぁ親父と一緒にその場所でやったような記憶と映像がある。まぁ刈谷児童遊園でやったのをみなと公園の風景と被って俺の脳が
勘違いしているという可能性もあります)

ただね、その時ね、本当に楽しかったね。

 

 

 

 

 

【霜村 輝の家族構成】

んで次は隣人系と己の家族構成の詳しい情報だね。
まぁその前に家族構成だね。
(こいつらは後でいい)

120%の本音と本心で書きますのでよろしくお願いしますね。

 

 

 

さて、家族構成を書いたら

隣人&周りの家等・・・とアニメ・漫画・ゲームの影響について語ります。

 

ではいこうか。

 

 

 

 

 

 

〇霜村家編〇
【長男(一人っ子)】※俺※

・霜村 輝(しもむらひかる)
・平成12年(2000年)10月29日(日曜日)
・血液型:蚊に刺されやすいのでO型かもしれない。
・21歳(誕生日を迎えれば)

 

 


【親父(父さん)】
・霜村 篤(しもむらあつし)
年齢:58歳
生年月日:1963年(昭和38年)4月29日
血液型:O型
※続柄:長男

 


【母親(母さん)】
・霜村 保子(しもむらやすこ)
年齢:52歳
誕生日:昭和44年(1969年) 3月2日生まれ
血液型:A型
旧姓:倉島

関係図:母方の兄貴で孝治おじさんとは兄妹の関係。
※続柄:長女

 

 

 

 

※年齢などは2021年【令和3年】時点での年齢です。

 

 

 

〇倉島家編〇
【母方の兄貴(伯父さん)】※俺から見ておじさん(伯父さん)
・倉島 孝治(くらしまたかはる)
年齢:57歳
誕生日:昭和39年(1964年)11月22日
血液型:A型
結婚:してない(独身)
※続柄:長男


【母方の祖母】
・倉島セツ子(くらしませつこ)
誕生日:昭和14年(1939年) 9月26日
年齢:82歳
血液型:O型
旧姓:渡邊(わたなべ)
※続柄:次女


【母方の祖父】
・倉島公雄(くらしまきみお)
誕生日:昭和7年(1932年) 5月7日
血液型:AB型
年齢:89歳(ご存命であればの話)
没:2007年なのでここから14年引いて75歳[没]です。
死因:肺がん(本当だろうか?)
※続柄:長男

 

 

 

 

 

 


〇霜村家  父方編〇
【父方の祖父】
・霜村誠司(しもむらせいじ)
血液型:A型
年齢:83歳(脳梗塞で倒れて以来、ずっと病院生活)
誕生日:1938年(昭和13年) 1月3日
※続柄:三男

【父方の祖母】
・霜村吉乃(しもむらよしの)
旧姓:梛野[なぎの]
血液型:O型
誕生日:1934年(昭和9年) 2月27日
年齢:87歳(生きてればこの歳)
没:70歳 平成16年(2004年)4月13日
死因:糖尿病
※続柄:三女


【父方の弟(叔父さん)】
・霜村博志(しもむらひろし)
血液型:O型
誕生日:1965年(昭和40年)10月16日
年齢:56歳
結婚:してない(独身)
※続柄:次男(親父は長男。)


【父方の三番目の弟】
・霜村耕作(しもむらこうさく)
血液型:A型
生年月日:1975年(昭和50年) 7月11日
年齢:46歳
結婚:してない(独身)
※続柄:三男

 

 


〇母方の祖母の兄妹編〇
【長男(1人目の子供)】
・渡邊荘三郎(わたなべそうざぶろう)
誕生日:昭和6年(1931年)〇月〇日生まれ(ここは分からない)
※ここは分からなかったらしい(母さんに聞いたけど)
血液型:不明
享年:不明(母さんが高校生の頃に亡くなった)
もし、生きてたら:90歳
※続柄:長男
※既婚。

 

【長女(2人目の子供)】
・渡邊愛子(わたなべあいこ)
誕生日:昭和9年(1934年)〇月〇日生まれ。(分からない)
享年:不明(母さんが小学校の頃に味噌の爆発事故により亡くなる)
血液型:不明
もし、生きてたら:87歳
苗字の軌跡:嫁ぎ先で五十嵐になり、五十嵐愛子となる。


【次男(3人目の子供)】
・渡邊 弘(わたなべひろむ)
誕生日:昭和11年(1937年) 〇月〇日(分からない)
血液型:不明
享年:不明(よく知らないようだ)
もし、生きてたら:84歳
※既婚済み。

 


【次女(4人目の子供)】
※母方の祖母で渡邊セツ子
旧姓:倉島

・倉島セツ子(くらしませつこ)
旧姓での名前:渡邊セツ子
誕生日:昭和14年(1939年) 9月26日
年齢:82歳
血液型:O型
旧姓:渡邊(わたなべ)
※続柄:次女


【三男(5人目の子供)】
・渡邊 功(わたなべいさお)
生年月日:1942年(昭和17年) 〇月〇日(分からない)
血液型:不明
もし、生きてたら:79歳
享年:2016年か2017年?の可能性あり。

 

【四男(6人目の子供)】
・渡邊正之助(わたなべまさのすけ)
生年月日:1945年〇月〇日(ここは分からない)
年齢:76歳(存命)
結婚:独身(結婚してない)
血液型:不明

 

【三女(7人目の子供)】
・斎藤秀子(さいとうひでこ)
旧姓:渡邊(現在の性は旦那さんの苗字)

生年月日:1951年(昭和26年)6月6日
血液型:不明
年齢:71歳(存命)

 

 

 

〇母方の祖父の兄妹編〇

【長男】(1人目の子供)
・倉島公雄(くらしまきみお)
誕生日:昭和7年(1932年) 5月7日
血液型:AB型
年齢:89歳(ご存命であればの話)
没:2007年なのでここから14年引いて75歳[没]です。
死因:肺がん(本当だろうか?)
※続柄:長男


【次男】(2人目の子供)
・倉島豊臣(くらしまとよみ)
誕生日:昭和14年(1939年) 9月〇〇日生まれ(9月が濃厚らしい)
享年:不明(死んでるか生きてるかもわからない。連絡手段がないので)
生きてるなら:82歳
血液型:不明

 


【三男】(3人目の子供)
・倉島 實(くらしまみのる)
生年月日:不明(昭和22年か23年生まれが濃厚)

※1947年か1948年生まれ。
享年:してないかもしれないらしい。
血液型:不明
生きてれば:74歳

 

【四男】(4人目の子供)
・倉島正義(くらしままさよし)
生年月日:不明(全く分からないらしい。ただ、昭和22年かもとはいってる)

※そうであれば1947年生まれになる。
血液型:不明
享年:分からない
生きてれば:74歳

 

 

【長女】(5人目の子供)
・倉島美代子
既婚での名前:塩島美代子
誕生日:1949年(昭和24年)〇月〇日生まれ
血液型:不明
年齢:72歳
子ども:5人ほどいるとのこと。

 

【まとめ】
・父方の祖母の兄妹:男2人  女4人
・父方の祖父の兄妹:男3人  女2人

 


23歳の頃(母さん)、豊五郎さんが亡くなったらしくお爺さんの家に住まないかと倉島セキ(父方の祖父の母)
さんに言われたがお父さんは定年になっていないのでその話を断ったとのこと。
お父さんは「保子は岩倉の人だから新潟に行く必要ない」と言ったらしいです。まぁ母さんは27歳で結婚。
この時にお母さんだけでもセキさんの家にいけばよかったのではないかと母さんは思ってるとのこと。
セキさんはそれで困って四男の正義さんと同居するようになった。それで豊栄の早通駅かそこらへんの家ももう売りました。
一人、500万円も貰ったとのこと。今、考えたらセキさんと同居するべきだったんじゃないの?という話。

 


【母方の祖母の母(曾祖母)】
※おれから見るとひいおばあさん。

・倉島セキ
生年月日:大正2年(1913年) 〇月〇日生まれ
血液型:不明
旧姓:不明
死因:永眠(老衰)
没年:95歳(つまり、13年前なので現在は2021年なので2008年ということになる。)

※2008年は元号だと平成20年になります。
生きてれば:108歳

 

 

【母方の祖父の父】
・倉島豊五郎(くらしまとよごろう)
生年月日:不明。
血液型:不明
続柄:長男
年齢:セキさんと近いらしい。

 

【母方の祖父の父の弟】
・倉島五郎次(くらしまごろうじ)
生年月日:不明
血液型:不明
続柄:次男
年齢:不明(母さんにはここまでは分からないとのこと)

 

 

【母方の祖母の母(曾祖母)】
・渡邊 操(わたなべみさお)
旧姓:石津
生年月日:不明
※母方の祖母であるお祖母ちゃん(セツ子)が18歳の時に亡くなっている。
死因:大腸癌(今なら治る病気)
享年:昭和32年(1957年)
血液型:不明

 

【母方の祖母の母の弟】
・石津貫一(いしづかんいち)
生年月日・血液型・死因・享年及び年齢:不明

 

【母方の祖母の曽祖父】
〈二代目〉丸正材木店
・渡邊荘三郎[わたなべそうさぶろう](本名かは不明)
生年月日:明治42年(1909年)生まれ
※母方の祖母の兄貴の渡邊荘三郎さんとは別の人。
生きてれば:112歳
死因及び享年:不明
血液型:不明

 

 


【母方の祖母の高祖父】
〈初代〉丸正木材店(1代目)
・渡邊荘三郎(わたなべそうさぶろう)
※母方の祖母の兄貴の渡邊荘三郎さんと二代目 丸正木材店の渡邊荘三郎さんとは違う人。

生年月日:明治12年(1879年)生まれ
血液型・死因・享年:不明
生きてれば:142歳

経歴:母曰く25歳の時に日露戦争にて手柄を上げた。勲章を礼服につけてた写真が部屋に飾ってあった。(祖母の渡邊の実家とのこと)
その家は祖母の父親と再婚したクニさん(女性)の住んでた家のお部屋にあったとのこと。

 


・石津信子(いしずのぶこ)
既婚者。母方の祖母の母の妹らしいです。

 

 

 

〇父方の祖父の兄妹編〇

【長男】(一人目の子供)
・霜村源太郎(しもむらげんたろう)


【長女】(二人目の子供)
・小林〇〇さん


【次女】(3人目の子供)
・新田〇〇さん

 

【次男】(4人目の子供)
・霜村〇〇さん
生きてれば:86歳
生年月日:昭和16年(1935年生まれ)

 


【三男】(5人目の子供)
・霜村誠司(しもむらせいじ)
血液型:A型
年齢:83歳(脳梗塞で倒れて以来、ずっと病院生活)
誕生日:1938年(昭和13年) 1月3日
※続柄:三男

 

 

 

 

 

〇父方の祖母の兄妹編〇

【長男】(1人目)
梛野〇〇さん。(名前は分からないらしい)
国鉄にはたらいてたことがあるらしい。
これいがいのことは不明。


【長女】(2人目)
伊藤〇〇さん(親父曰く名前までは分からないようだ。まぁこの人、アスペか統合失調症ですからね。)
旧姓:梛野。
※ほかのことは不明。
どうやら亡くなっているらしい。

【次女】(3人目)
小栗ちい(おぐりちい)
旧姓:梛野。
※ほかのことは不明。


【三女】(4人目)
梛野吉乃(なぎのよしの)

・霜村吉乃(しもむらよしの)
旧姓:梛野[なぎの]
血液型:O型
誕生日:1934年(昭和9年) 2月27日
年齢:87歳(生きてればこの歳)
没:70歳 平成16年(2004年)4月13日
死因:糖尿病
※続柄:三女


【四女】(5人目の子供)
・梛野敬子(なぎのけいこ)
誕生日:昭和13年(1938年)5月生まれ(何日かまでは分からないそうです)
年齢:83歳(生きてれば)

【次男】(6人目)
・梛野富康(なぎのとみやす)
誕生日:昭和16年(1941年) 3月16日。
享年:2001年~2002年あたりらしく死因は癌とのこと。
年齢:80歳(生きてれば)

 

 


〇父方の祖父の母と父〇【曽祖父と曾祖母】
・霜村〇〇
備考:父方の祖父の父
誕生日・享年・血液型:不明

 

・霜村〇〇
備考:父方の祖父の母
誕生日・享年・血液型:不明
旧姓:不明

 

 

 

 

 

 

〇父方の祖母の母と父〇【曽祖父と曾祖母】
・梛野さだ(なぎのさだ)
備考:父方の祖母の母
誕生日・享年・血液型:不明
旧姓:不明


・梛野〇〇
※親父曰く「名前は分からないとのこと。」自分でもあんまり覚えていないようで。
備考:父方の祖母の父。
誕生日・享年・血液型:不明

 

 

 

 

 

〇母方の祖母の兄妹の子ども編〇

Λ〇【三代目 渡邊荘三郎さんの子供】〇Λ(母方の祖母の兄妹の1人目の子供の家族)
・渡邊シンジ [わたなべしんじ] (漢字は分からない)
1959年(昭和34年) 3月1日
年齢:62歳
既婚か?:独身(母さん曰くね。実際は分からない)
血液型:不明
続柄:長男
備考:荘三郎さんは長男。

・渡邊ケンジ[わたなべけんじ] (漢字は分からないので片仮名表記)
生年月日:不明(昭和36年か37年らしい)
※本当であれば1961年か1962年生まれになる。
血液型:不明
年齢:60歳か59歳です。
続柄:次男


〇【渡邊愛子さんの子供】〇(母方の祖母の兄妹の2人目の子供の家族)
女性:一人
男性:二人
と合計は3人らしいが詳細は不明。(母さんがよくわかっていないので保留)
備考:旦那さんと結婚して五十嵐の苗字になったので五十嵐愛子さんが正しい表記。
そして、長女です。


〇【渡邊 弘さんの子供】〇(母方の祖母の兄妹の3人目の子供の家族)

・男3人で長男は良く知らないらしく次男が交通事故で亡くなり、三男は母さんと同じ昭和44年(1969年)生まれなので
まだ52歳で存命と思えます。
(こちらも母さんが覚えておらず不明です)
備考:渡邊弘さんは次男です。


※母方の祖母の兄妹の4人目の子供の家族についてですが母方の祖母である渡邊セツ子ことうちの岩倉のばあちゃんで
これは書かなくても大丈夫でしょう。


〇【渡邊功さんの子供】〇(母方の祖母の兄妹の5人目の子供の家族)
・女二人
・男一人とのこと。


【長女】(1番目に生まれた子ども)
・渡邊美奈子(わたなべみなこ)
誕生日:1967年(昭和42年)7月〇日生まれ(7月の何日生まれかは分からないようです)
年齢:54歳
血液型:不明
結婚:不明(既婚だと思う)


【次女】(2番目に生まれた子ども)
・渡邊美香(わたなべみか)
誕生日:昭和45年(1970年)〇月〇日生まれ[※ここは母さんよくわかっていないそうなので詳しくは記してません。]
職業:婦人警官
年齢:51歳
※真ん中に記しているので恐らくほぼ、間違いないと思う。今は引退してるかもね。
結婚:不明(既婚だと思う)
血液型:不明


【長男】(3番目に生まれた子ども)
・渡邊 智(わたなべさとし)
生年月日:昭和50年以降生まれ(このあたりは母さん、詳しくは分かっていないそうでこの表記に)
※絞り込んでも1975年~1984年生まれということになる。
血液型・結婚:不明(結婚はしてると思う)
年齢:37歳~46歳ということになる。

 

 


※母方の祖母の兄妹の6人目の子供である渡邊正之助さんは
体の不自由が主な原因により唯一、独身であると母さんは言っていました。
今の孝治伯父さんにも老人ホームから電話で渡邊セツ子ことお祖母ちゃんの身を案じているようですが
大丈夫であることを祈りたいです。

 


【渡邊 秀子さんの子ども】((母方の祖母の兄妹の7人目の子供の家族)
・現在の苗字:齋藤秀子(さいとうひでこ)
・結婚する前の名前:渡邊秀子(わたなべひでこ)です。


・子供の数:2人(どちらも女性)

:齋藤倫子(さいとうのりこ)
生年月日:昭和54年(1979年)〇月〇日生まれ。(詳しくは分からない)
年齢:51歳
血液型:不明
結婚してるか?:既婚者だと予想してるがしててもらいたい。独身も子なし夫婦も大嫌いだ。人との結びつきを断つからだ。
備考:長女(一人目の子ども)

:齋藤智美(さいとうともみ)
生年月日:昭和56年(1981年)〇月〇日生まれ。(詳しくは分からない)
年齢:49歳
血液型:不明
既婚:してると思います。
備考:次女(二人目の子ども)

 

 

 

※母方の祖母の兄妹で一番上の長男の名前(渡邊荘三郎さん)ですが
読み方は「こういち」で功一か弘一という漢字だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※父方の祖父のお姉さんの旦那さんの家。

苗字は新田さん。父方の祖父の姉の嫁ぎ先が新田さん。

 

 

 


 

【航空写真】


 

※秀子おばさんの御家。(母方の祖母の妹)

 

 


 

 

 

 

 

【家族の全ての覚えている限りの軌跡譚】

さて、家族と言ってもだがまずは印象深いことから話そうか。
俺には孝治おじさんという人がいる。母さんのお兄さんなのでおじさんになる。
そして、そんな母方の祖母がセツ子といって岩倉に住んでるので岩倉のお祖母ちゃんと呼んでいる。
そんな彼らに関する話の全てを描こう。

一つは黒牛の里での話だ。

 

 

 

ファームレストラン 黒牛の里

ウェブサイト
経路案内
保存
電話
高級ステーキハウス4.1 km
 
サービス オプション: イートイン · テイクアウト · 宅配サービスなし

 
所在地: 〒475-0966 愛知県半田市岩滑西町2丁目48−127
 
 
 
営業時間: 
 
 
 
営業時間や提供サービスが実際とは異なる場合があります

 

 

 


 

ここだね、どうやらファミリーレストランで予約をしないと中々、入れなかった店なんだけれど
孝治おじさんは予約をしないだけでイライラしていたよ。
まぁ最も予約をしないと入れない店なんてあるの?という疑問が当時の俺には合った。
時系列順じゃなくてごめんね。覚えてる順に書いてるよ。(印象に強い順にね)


まぁそれだけでおじさんは不機嫌に帰ろうとしてそれをお祖母ちゃんが止めて車に戻ったけれど凄い怒鳴り声で怒ってて多分、俺よりも相当、深い業を
抱えていると思うんだ。そうじゃなきゃあんなには怒らないさ。それでお祖母ちゃんの説得もあって4人で食べたけど結局のところ、一番欲しかった1万円ぐらいの
お食事を頼むことは叶いませんでした。本当はそれ食べたかったんだけど本日、10/17(日曜日) 令和3年/2021年なので久瀬さんという人が半田市長に当選されて
その公約で2万円分の半田復興券とやらを貰って半田市に貢献してくださいという話だけどやけにうますぎる話だ。何か、裏があると考えないと辻褄が合わないから
そこはよくよく考えておきたい。正直、この先どうなるか俺でも予測が出来なくなってしまったから後は天に任せたいと思う。でも、だからといって己のやることを放棄
することだけはしないよ。


それで母さんは今回の半田地域復興券を使ってもう一度、黒牛の里であの1万円分の商品を戴くのよ!という野望をひっそりもっている。
まぁそれで食い終わった後は急に帰っていきましたが予約をしないと怒りだしたりしますし、うなぎ屋さんを食べに行った時も母さん曰く「あそこの店員はサービスが悪い」
などそういった愚痴ばかりを吐いていたと語っていました。


まずはこの話だね。他には最後におじさんのいる場所に行った時の話で現在の家はもう解体されており、大家さんに「出て行ってくれないかい」と言われてお金がないんで
アパートのところに住んでいるという結果になっているそうです。その頃は聖闘士星矢のアニメを途中まで見てた時なのでよく覚えているのです。
ゴーストタッチ現象というのが発生して電源コードに入れながらずっとスマートフォンで操作ばかりしていた爲、液晶と回線の調子が一時的に悪くなって
LG(韓国企業で中国製)のスマートフォンNTTドコモに一か月ほど預けることになりました。その代用スマートフォンとしてソニーのエクスペリアをいただきました。
本当にこちらを使ったら動きがスムーズで本当に使いやすかったです。それだけでなく写真もぶれないし、使いやすいし取りやすい。そして、光沢も凄く明るい。

これを見た時に次こそ必ずスマートフォンを変えてエクスペリアにしてやる‼という野望が出来上がりました。
今のところは5Gを警戒しているのと安全性が氣になる爲、買い替える氣はあまりないのです。
最もQフォンが来たらもう用済みになりそうですがそれまでの間はこいつ(LG)と上手く付き合っていくしかないですね。

何曜日かは忘れましたがちょっと訂正しますね。言ったのは一年前の2020年でその時は聖闘士星矢は見てません。2年前、3年前ぐらいの話でまた別でした。
訂正します。


それでその時は丁度、コロナウイルスが発生していて今もコロナ渦ということになっていますがその頃は大村知事リコールをやっていた時で当然、俺も参加してましたし、そんなに
集められなかったですし、結局のところ、自分と父母である母さんと親父の名前や兄妹含めた家族の名前は承諾なしに使ってリコールとして提出しました。
勿論、母親の兄貴であるおじさんと親父の二人の弟であるおじさんたちの名前も使わせていただきました。
まぁ半田市の瑞穂町に住んでないと提出出来ない決まりでしたが愛知県に住んでいるということで大丈夫だろうと思いました。

その時、聖闘士星矢の時の教訓で思ったのが「必ず時間通りにいかないと怒られる」ということに氣づけたことでなんとかそこに赴きましたがおじさんに怒られずに
住みました。(まぁ時間を守ったり早ければ不機嫌になることはないということですよ。)

おじさんはもう死にそうな状態のお祖母ちゃんを連れてきましたが明らかに妖怪のような風貌でとても人とは思えない姿をしていました。
思わず、お母さんは後で帰った後に「死なせてあげればいいのに」と言っていました。俺も同感で一週間に一度、看護師さんらしき人がきて
容体を確認してきて恐らくその人から言われた方法で治癒でもしているのでしょうが俺が見て、ドン引きしたのはまさかの体に上半身の前側に少し、後ろ側に変なよく分からない
液体というのか薬というのか塗り薬かはよくわかんないけどそんなものをお祖母ちゃんの体に塗っていました。一番、みたくなかったのは年老いた婆の肉体というよりも
乳房も垂れた乳首の方すわ。まぁAVで20代の若い女性でも乳首はあの色で濃い色だったのでそれに慣れっこだったおかげで助かりましたが正直、みたくなかったし氣色悪かったな。
うちの母親にあんなことしたくないし、こいつみたいに治癒なんかしたくないわと思わず心の中で語っていたよ。

おじさんの方はお祖母ちゃんに話したいことがあるなら今のうちに話しておけと言っていたけれどお母さんとしては「あんたがいるから話しいけど話しづらいのよ!」
ということらしく何かある特定の言葉でおじさんが反応して怒ってくるんじゃないかと冷や冷やしているからだそうで苦労いたしますな。

それで僕はおじさんから「働いているのか?」と聞かれて「無職だよ」と答えて「大学には?」「行ってない」
、「普段、何してるんだ?」・「本を読んだり、外で体を動かして運動などしているよ」と答えました。
まぁ本人としては大学に行くと學べることも多いし、色んな奴との関りもあるから言っといた方がいいぞ‼という言い方をしてました。
僕はいく氣は全くないのですけれどね。悪いね、おじさん(べ~だ笑)
俺自身はずっとここにいる氣はないけれどしばらくはこうして夢の爲に全力を注ぎたいのさ。
と思っているからあの人の言ってることが必ずしも正しいなんて思ってないのです。

むしろ、今はこれを書いてそこから後のことは決める。何の行動をしたいかはもう分かっているから。
それでそのことを祖母に話していて一応、なんとか喋れるのだなと思った。まぁ本人の爲に敢えて余計なことは言わなかった。
ちなみに本人の顔を見てこれは大村知事のことは言えないなとすぐにわかって母さんに帰る前に「言わなくていいの?」とは言われたが俺の方は辞めた方がいいと判断した。
今でもあの判断は後悔していません。そして、帰りましてめでたしめでたし。

 

 

次に聖闘士星矢のことを書こうか。この1年前よりも前の話で最低でも2018年~2019年だった筈だがこの時は一週間に別々、様々なものを借りながら色んな作品を視聴していたが
今ではしてない。この時は聖闘士星矢のアニメ版を見てました。アニメランキングで知るうちに氣になっただけです。
それでそれが130数話ほど、あるのを知って大体、半分ぐらいまで見た時にあそこに行ったのですね。それで夜ごろの時間帯になってしまって本人も俺も
あの時にちゃんと連絡をしなかったことは氣にも留めてなかったんですがそれの影響で本人は大激怒していて本人は帰ってきてりんごなどを切って皮をむく作業をしてましたが
あの時はまだ、人工呼吸器がなくてもちゃんと機能はしていましたがお祖母ちゃんは半分ほど、認知症になっていてというより俺がそう判断しただけですが
孝治おじさんのおかげで私は生かされていて本当によくやってくれたわ!というような言い方で僕は本当にドン引きしたのを覚えてますね。
(家族だからといって独身で結婚もせず、ずっとそこにいるだけの男が自分を生かしてくれているだって?正氣か?大丈夫なのか頭は?)と思いましたね。

それでおじさんはもうイラついてたのか俺を帰そうとしたが母さんが「やめてよ!うちの子よ」と言った時に「うるせえ‼とっとと帰れ」と大声を上げて
包丁を持っていた状態で俺は刺される危機感を感じて咄嗟にすぐに逃げました。


ちなみについた時に電話しても自宅の電話に出なかったし、スマートフォンを持っていなかったので現在もだが携帯電話は持っていないのです。
恐らくおじさんは岩倉駅のどこかにいたと思うのですが見つからなかったし、僕らはいつも通りアピタのところ(ピアゴだったかな?)
をうろちょろしながら電話を掛けても出なかったので時間が遅くなってしまうかもしれないが少しくらいならとどこか油断していたところがあって時刻通りには
行けなかったです。(行きませんでしたの方が意味合いは上かな?本人もすぐに来いだとかお祖母ちゃんもこの時はボケてて霜村篤さん?と親父の名前をこぼしてしまって
記憶もなく、ちゃんと喋れないのだろうか?と考えてしまいました。)
元々、お祖母ちゃんの方が勝手に「来たがってるわよ」と言ったりそちらの方が時間を指定してこちらはそれにいうことを聞いていただけだった氣もするが
ここは母さんに詳細を聞かなければならないか。

 

 

 

お祖母ちゃんが親父だと勘違いして電話をしてきた→電話の相手は俺だったが孫だということもぼんやりとした認識しかなかった→そして、本人が来たがってることを
おじさんにいって時間を指定してきた→そして、俺たちが赴いて電話も自宅に欠けても通じず、アピタで少し昼飯を食ってたとはいえ、そこで電話をするも通じなかったので
まぁいいかと想い、遅れてしまうことを承知で家に行ったら夕方を過ぎて暗くなっていたが本人は不機嫌で追い出して帰らせようとしていた。
という話です。

 

 

といってもこれは俺の記憶に過ぎないし、本当にこれかどうかは僕にも分からないです。ただ、こんなふうだったんじゃないかな?という話です。


この時は聖闘士星矢を見ていた時だったのですがこの後に電車に乗る前に「あんな恐ろしい基地外がこの世にいるなんて・・・(怒)」と憎悪の目で孝治おじさんを敵視していました。
今は俺も少し、柔らかくなってましになったところはありますがおじさんも早くメドベッドに入った方が良いと思うよ。だってね、母さんの方もおじさんとの印象深いエピソードを
あんまり覚えていないというんだよ!血を分けた兄妹なのにそんなことってあるかい?それに小さい頃からあんまりちゃんと話をしたこともなくそうした日々が過ぎ去る日々で
母さんの若い頃の免許写真を見てれば分かるがぼーっとした美人という印象。そんな母さんとしてはおじさんと話すのを躊躇っており、今話してもお祖母ちゃんが亡くならないうちは
心も落ち着かなし、実家の倉島家のルーツである新潟に帰らないともう無理よ・・・・と思っているらしいです。
まぁおじさんの方も「もう亡くなるかもしれないし、亡くなったら俺はもう新潟に帰るから」と最後にあった一年前はそのようなことを言っていましたから
本人もそうするつもりでしょうが俺としてはメドベッドが仮に来年までもってそれでお祖母ちゃんが復活しておじさんがそこにいたって何も変わらず、前と同じだから
一層のこと、お祖母ちゃんがなくなっておじさんが自由になって本当の自分を思い出せたらメドベッドに入れるだろうと俺は思っているよ。
だからお祖母ちゃんが亡くなる運命はもう避けられないと思っている。大丈夫だよ!半田の爺ちゃんと岩倉のばあちゃん、そして渡邊、倉島、霜村と俺の命までつないでくれた
全ての男女に感謝を申し上げます。

そして、俺も生きる命の一つとして必ず次世代に命をつなぎます。それが俺に残されたたった一つの役目です。
愛する女性と子どもたちと共に俺はこの世を老衰に至るその日まで天命を全うします。


さて、おじさんに関する話はこんなところよ。まだ、あるが印象深い話はこんなところ

 

 

現在の状況としてはまだ、あれから一年経っているのに人工呼吸器と最新医療のおかげか82歳でもう死にかけで取ってしまえば数十分後に死んでそうな人が
何故、未だに生きてるのか俺には理解しがたいし、こうやって人を生かしているように見えて全部、利権の構造なんだなと俺は悟った。
小牧市民病院というところです。これをちゃんと言ってませんでした

 

 

 

 

 

 

小牧市民病院

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こまきしみんびょういん
小牧市の公立病院
 
 
 

説明

小牧市民病院は、愛知県小牧市にある市立の医療機関。 ウィキペディア
 
所在地: 〒485-8520 愛知県小牧市常普請1丁目20
 
 
 
 
 
 

内容

 
正式名称: 小牧市民病院
 
 
英語名称: Komaki City Hospital
 
 
許可病床数: 520床 一般病床:506床; 療養病床:14床
 
 
 
 
開設年月日: 1963年(昭和38年)4月
 
 
管理者: 谷口健次(院長)
 
 

 

 

【全体図(または病棟)】


 

 

【正面】


 

 

 


何だこれ‼こんなところに言ってるのか。
生命力が強いのではなくて無理やり生かされているだけです。と母さんは言ってるがここ凄くでかいな。
こんなところでお祖母ちゃんは何度生かされているんだろうね。

 

まぁこれ以上は書く氣はないですけれどね。

 

 

さて、お祖母ちゃんはある時から足が動かなくなって自転車に乗れなくなったのが致命傷で俺が中学2年生から足腰が弱くなって
もう自転車に乗れなくなったのが高校1年生ぐらいだということでそこから車いすに乗るようになり、その先は母さんで人工呼吸器を使わざるを得なくなった
理由は分からない。2020年の2月ごろに赴いていたらしい(お祖母ちゃんがもう倒れて2回目の時だな)
2018年頃が先ほど行ったお祖母ちゃんが脚が動かせなくなって車いす生活になった時の出来事でそれ以降、容体が悪化して人工呼吸器を使わざるを得ない
状態にまで追い込まれていたのが2018年の3月以降=2020年の2月はつけていたからこの間か。

 

 

 

 

【時系列の整理】
1・聖闘士星矢を見てた時は2018年の春ごろにお祖母ちゃんが脚を使えなくなって以降の倉島家の訪問は1回目で母さん曰く4月29日。(親父の誕生日)


2・母さん曰くお祖母ちゃんが「やっちゃんやっちゃん御出でよ。」と朝の電話で言われた。(4月29日の一週間前ぐらいに誘われて何回もおいでよ御出でよと言われた。)


3・それで母さんは「うんうん!」と「仕方ないけど行くしかないのかしら。」という奴で4月29日に赴いた。


4・時間は昼の1時ごろまでいくしかなかった。(言い出したのは本人の方でこの時間になら行けるわよと電話でお祖母ちゃんにいったような氣がする)


5・相手側が時間指定してきてこの時間まで行ってきた訳ではないとのこと。(本人の中では曖昧)ちなみに上手く言ってたら昼に一緒に飯を店で食うというだけの話だった。

 

6・4月29日にお祖母ちゃんが「保子が岩倉駅に4/29に来るから迎えにいってやってくれる?」といって迎えに来たのだろう。

 

7・4/26あたりだと仕事でいけなかったので29日にしてくれない?という話になった。

 

8・おじさんはあの時の夜は買い物をしてて時間は7時前だった筈。(本人は6時ごろ)
(朝の10時ごろに固定電話で本人の実家に電話したけど誰も出なかったらしくその時はお祖母ちゃんは寝ていて出れなかったらしい。

 

9・そうして知多半田駅から岩倉駅まで赴いて昼は過ぎていたが2時ごろだったと思う。

 

10・岩倉駅で2時ごろに電話したけどそれも出なかった。
(岩倉駅の東口にいたらしいが俺たちは2時ごろですがおじさんたちは何時ごろにいたかは知らないそうです。おじさんたちは昼頃と母さんは予想している。)
そして、俺たちは東口に赴いた。そこでずっと待たなかった訳は時間よりも遅いと思ったのでいる訳がないだろうと思い、アピタに赴いた。

 


11・アピタで買い物をした後に食事をして、その後にもう一度自宅に電話をしてみたけど出なかった。時間帯は夕方ごろだと予想している。

 

12・おじさんの家についたのは6時ごろでおじさんは5分~15分後に帰ってきた。(本人はいなかったがアピタで買い物をしていたであろう)

 

13・口は聞ける状態で今現在のように人工呼吸器をつけなければ話せたいとはなかった。

 


14・おじさんが怒ったところはスマートフォンは持っていないの?と俺が発言したこと(本人は現在は携帯は持っていない。お金が払えないから)
それでその後に俺は椅子から突破られていたところを母さんが「何するのよ!うちの子よ」と言ったらおじさんが「帰れ!」と言って追い出して一件落着。

 


15・この後、5月3日におじさんが母さんに来いよといった。理由は4/29に来れなかったからもう一回出会ってお祖母ちゃんに関する話でもしようということになった。

 

16・お祖母ちゃんの方としては娘と孫に会いたかっただけで食事をしてしたくてそういった方便を利用した。そして、おじさんが怒鳴っている時はお祖母ちゃんは黙ってるだけで
何も庇うこともせずにただ、ぼーっとしていた。現在はという前に人工呼吸器と書いたが鼻呼吸器で管に通している。
本人たちは祖母としては俺と母さんと話が出来ればよかっただけで他のことなんか何にも考えていない。俺が言いたいのは新潟に行ってその後で俺たちに会いにいけばいいじゃない
そうすれば親族たちと交流があった筈・・・・・・。帰りたくない訳は外側の外部要因としては「俺と母さんに会えないから」と本人は言っていたらしいが母さんは中間ということで
聞いたいたかどうかは分からない。実際はおじさんがそうゆう風に言っていたということでお祖母ちゃんの内部要因=自分自身が帰りたくない訳は
本人のお友達(パート仲間)や旅行を一緒に行っていた人たちと離れたくないから。最初は近所で同級生のお母さん連中がいて交流がある日、途切れた。それは母方の兄貴が
学校(中学)卒業してからでそれからパートに努めるようになって知り合った人たち(岩倉団地に住んでいた人たち)と離れたくなかったから新潟に帰りたくなかった。
親族におけるいざこざは母さん曰く「聞いたことがない」とのことです。帰れとあんなにいったのは習慣に取り付かれていてそれを乱されたくなかった×全くといっていいほど来る時間が遅かったことの怒りの外部要因が両方合わさってあそこまでキレたのだろう。そして、おじさん自身は来て欲しいとは願っていない。
お祖母ちゃんが妹と甥っ子が来るから車を用意して岩倉駅まで赴いて一緒に外でご飯を食べようよとおじさんに向けていったからおじさんは仕方なく動いた。
怒りの外部要因の3つ目はお祖母ちゃんのいうことを本当は聞きたくなかったけどお祖母ちゃんがいうから仕方なく聞いたけど時間通りに妹が来ず、妹や甥っ子は自分が食事を作る時間帯にわざわざ家まで勝手に赴いてきたのに腹を立てた。理由は我慢して聞けば相手がその時間に来るだろうから今日もいつも通りに過ごせばいいだろうと思ってるが番狂わせがおきよりによって全然来ないだけでなく食事の時間前に来るとは何で俺の習慣を乱すんだ‼という内側の怒りもあってあんなにキレたんでしょ。
おじさんはという以前にこの時間に必ず会うと事前に話をしていれば解決出来た話。これだけのこと。

 

 


それで倒れる前と倒れた後でのおじさんの変化は余計に根暗になって倒れた後は「自分が世話しなきゃいけない‼」みたいなことを言っていた。

 

 

 

・自分が変わってしまう。消えてしまう、知られてしまう。それに耐えられるものなど存在していないという結論に人間は生きていれば一度は陥ってしまう。
これを成長と捉えるか恐怖と捉えるか。そして、その恐怖に負けるとそれを包み隠す爲に人の心理は怒りという状態になることで人間は精神的に防御を図るのだ。
・自分のことが知られてしまう。
・自分のことを知ってほしいけどどう思われるかが怖い。
・変わったらどう、みられてしまうかどのように相手に思われ、そうすると何を言われるかあんなことやこんなことを言われたらいやだという氣持ちが働いてしまう。
・自分の存在が明かされて消えてしまう恐怖。それに耐えられるものなど存在しない。
・知ってほしいけど知られるのが怖い。これをかみ砕いて己自身を組み砕いて知っていくのが素直になるまでの過程なのだ。
・そして、最も重要なのはそういった自分の氣持ちから逃れることは出来ない、そして受け入れられるだけの器と真正面から受け止めるだけの知性が必要なのだ。
「本当はこうしたい‼」という思いに素直になれるかどうかだ。
・これらが悪化すると「もう無理だ」という氣持ちになって悲観的になりやすい。または自分がこうやってしまった原因を己以外の存在にぶつけようとする。
超えるには目の前の違和感と本当の氣持ちに向き合うしかない。そう、おっさんから逃れることは出来ない。

そして、どう思われるのかを氣にするのかというと人に嫌われたりするのが

奥底では怖かったんだ。だからこれからは嫌われてもいい。自分の意思と発言を

貫くことを意識する。間違ったらそんとき、悪かったよと言えばいいだけのことだ。

もういい人にはならない。俺は霜村輝になるのだ。

 

 

本当は話したかったけどまた、同じことを言われるのに決まってるし、それで何も進展なんかしないし、心がひょっとしたら傷つくかもしれないなら
俺は関わりたくなんかないんだと思っていたんだ。ごめんよ。でも、本当は言いたいんだ。これだけは事実だ。