笹原 俊さんの記事を貼り付け。【玖】地震兵器篇(書いた數は三個で地震兵器の系列は合計4個) [後編] <完>、日米経済戰爭篇(記事で書いてる数は三個) [前編]

 

 

 

 

51  地震兵器2 東日本大震災の謎① 大地震は周到な準備の下に引き起こされた!?

 

 

 2021-04-18

 

 

 

プーチン大統領のメッセージ

 ご存じのように、2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。

 

 その影響で、3月21~27日に、東京で行われるはずだった、世界フィギュアスケート選手権が中止になりました。

 

 代替地として、ロシアが名乗りを上げ、4月24日~5月1日、モスクワでこの大会が開催されます。

 

 ロシア大統領のプーチンさんは、トランプ大統領と並ぶ、光側の国家指導者です。

 

 プーチン大統領は、この大会で、日本に最大級のエールを送ってくださいました。大会そのものの開催時間を、日本の方々が楽しめるようにと、わざわざ日本のゴールデンタイムに合うように調整してくれました。

 

 さらに、開会式においては、リンクに日の丸を映し出し、日本にエールを送ります。

 


 

 この動画をご覧になってください。 セレモニーの冒頭で、画面に波形が映し出されますね。これはなんと、東日本大震災地震波の波形です。

 

 その波形はもちろん、前記事で述べた人工地震特有の波形です。初期微動のない、いきなり大きな揺れが来る、頭でっかちの波形ですね。

 

 

f:id:shunsasahara:20210416193042j:plain

 

 プーチン大統領は、ここで、「311は人工地震だぞ。日本の皆さん、早く気づけよ」というメッセージを、日本国民に向けて発信してくださったのです。

 

 そして開会式終了間際には、プーチン大統領自ら、日本に対して激励のメッセージを読み上げ、日本激励のセレモニーを行ってくれました。

 

 

しかし、開会式を中継した、韓国寄りのフジテレビは、このプーチン大統領主催の日本激励セレモニーをすべてカットし、代わりに韓国の女子フィギュア選手、キム・ヨナの演技の特集映像を流していました。

 

ちきゅう号の暗躍

 それでは、時をさかのぼって、東日本大震災発生前に、DS によって、どのような準備が行われていたのか、振り返ってみましょう。

 

 2009年、試験公開を終え、本格運用に入ったちきゅう号はさっそく暗躍を始めます。

 

 以下の地図は、ちきゅう号が掘削した位置の一覧です。宮城県沖や、南海トラフ遠州灘、北海道沖など、大地震が発生すると予想されているところをくまなく掘っていますね。 

 

 

f:id:shunsasahara:20210416192514j:plain

  

 地震の調査と称していますが、なんのことはありません。予言された地震を現実のものとするために、一生懸命、爆弾を設置するための穴を掘っているのです。

 

 下にちきゅう号の乗組員、阿部剛氏のインタビュー映像を張っておきます。

 

 


 

 25秒あたりをご覧ください。「人工地震を発生させまして、その地震波を・・・」測定するための装置についての解説をしています。

 

 人工地震を発生させて、その効果を測定、記録する、それこそがちきゅう号が建造された、真の目的なのです。

 

 現在、HPからは削除されておりますが、ちきゅう号は、本格運用直後の2009年、宮城県沖から茨城県沖の調査、と称する、核兵器設置のための穴掘りを行い、東日本大震災発生の第1段階の準備を終了しました。

 

 

イルカの大量死

 次は第二段階、ちきゅう号が掘った海底10000メートルの穴に、核兵器を設置する作業です。

 

 これは、地震発生の数か月前から、一週間前にかけて、順次行われました。

 

 地震発生の1週間前、茨城県沖の海岸に、実に59頭のクジラ、イルカが打ち上げられました。

 

 

f:id:shunsasahara:20210416193820j:plain

 

  クジラやイルカが浜辺に打ち上げられているというニュースは、よく見かけますが、これはいったいどうしてでしょうか。

 

 もちろんクジラが自分の意志で、浜辺に打ち上げられるわけがありません。それはまさに自殺行為ですから。

 

 もちろん1頭だけなら、自殺で済むかもしれませんが、59頭の集団自殺なんてまず考えられません。

 

 では、なぜクジラは岸に打ち上げられるのでしょうか。原因は、潜水艦のソナーです。

 

 詳しくは別記事で説明しますが、クジラやイルカはとても知能が高く、人間に並ぶ(ひょっとしたら上回る)地球上における知的生命体です。 

 

 彼らは、水中において、音波を発して、互いに会話しています。この音波を聞き取るため、彼らの聴覚は大変鋭敏にできています。

 

 

その鋭敏な聴覚を持つ、クジラたちの群れの中に、原子力潜水艦が入り込み、巨大なソナー音を発すると、彼らは大きな苦痛を感じます。海中における騒音公害ですね。

 

 人間でも、自宅の隣で工事が始まると、うるさくて大変ですが、彼らは人間の何倍もの聴覚を備えていますので、もう大変です。

 

 必死に逃げ惑ううちに、いつの間にか岸に近づき、打ち上げられてしまうというわけです。

 

核爆弾の設置

 というわけで、少なくとも震災の一週間前までには、海中における核爆弾の設置が終了したと思われます。

 

 設置したのはアメリカの原子力潜水艦でしょう。

 

 爆発の威力や、地震後の音波や、放射線の測定結果から、設置された爆弾は、高性能の純粋水爆と思われます。

 

 水爆は、1954年のビキニ環礁事件で使用されて有名になりましたが、ウランやプルトニウム核分裂させる原爆と異なり、重水素三重水素核融合させて爆発させます。

 

 初期のころの水爆は、重水素を高温にする技術がなく、中心に原爆を入れて、その熱で回りの重水素核融合を引き起こしていました。

 

 これに対して、純粋水爆というのは、中に原爆が入っていない、重水素三重水素だけの核爆弾です。

 

 原爆に比べて爆発力が高く、残留放射線の放出が少ないといわれています。

 

 それにしても、このとき使われた爆弾は、製造の難しい純粋水爆であるという以上に、ちきゅう号が掘った直径15センチの穴にピタリと収まる、シリンダー型で、爆発時間の制御も完ぺきな、きわめて高性能の核爆弾です。

 

 そんな高性能な爆弾を作れる国なんて・・・世界に一国だけ存在します。

 

 それはもちろん日本です。

 

 このとき使われた高性能シリンダー型純粋水爆は、自衛隊開発チームが極秘に開発した、最新兵器だったのです。

 

ジム・ストーン氏の証言

 そんなばかな、自衛隊が開発したなんて、というかそもそも日本が核を持ってるなんて聞いたことないぞ、なんでそんなことがわかるんだ、という方も多いと思います。

 

 実は、アメリNSA の元技術者だった、ジム・ストーンという人物が、311東日本大震災及び、その後に起きた福島第一原子力発電所事故についての告発を行っています。

 


 

 長大な告発なので、ほんの一部だけ、上記に動画を載せておきました。この告発の中で、311に使われた純粋水爆自衛隊が作ったことが言及されています。

 

 さらには、ベンジャミン・フルフォード氏の情報で恐縮ですが、このとき爆弾製造にかかわった自衛隊の技術者は15人いて、彼らはみな、何に使うためにそれを作っているのか知らなかったそうです。

 

 

311の後、自分の作った爆弾が、大地震を引き起こすために使われていたことを知った、自衛隊の15人の技術者のうちの一人が、罪の意識に耐えられなくなり、クリスチャンだった彼は、教会に懺悔しに来たそうです。その時懺悔を受けた牧師の証言は、

 

「…父親が自衛隊の技術者で本人も同じ働きをしていた中年の男性が訴えました。
私と数名の仲間はペンタゴンの命令で国外で隠れて特別な爆弾を製造する使命をいただきました。
その爆弾が今回の地震のために使われるとは、苦しくて辛いです。
それだけではなく、爆弾を一緒に作った技術者の仲間たちは次々に死んでいます。
今、私と行方不明になっている二人だけが残されています。
他の者たちは死にました。今、私は車で尾行されています。
誰も信じてくれないと思いますが。―――」

 

 というものだったそうです。

 

 自衛隊の内部に、アメリカ国防総省ペンタゴン)の指示を受けて、核開発を行っている部隊があるようですね。

 

 彼らは何のために、それを開発しているかを知らされておらず、ただ、上官の命令に従っているだけのように思われます。

 

 

さらには、自国民を〇した自衛官をすべて処刑するという、以前の記事で述べた、「自衛隊のけじめ」も、健在であると思われます。

 

 これですべての準備が整いました。

 

311東日本大震災の発生

 そして運命の日がやってきました。

 

 2011年3月11日、午後2時46分、宮城県沖を震源とする大地震とその後の津波による大被害、いわゆる東日本大震災が発生します。

 

 まだ記憶に新しい方も多いと思いますが、事件の概要は、ウィキペディアによると、

 

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、英: Great East Japan earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震による災害及びこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。

東日本各地での大きな揺れや、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害となった。沿岸部の街を津波が襲来し破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、地球規模で大きな衝撃を与えた。

発生した日付から、3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)などと称することもある。

 

 となっています。

 

 この震災は、地震津波による被害、およびその後の福島第一原子力発電所の事故が、セットで引き起こされました。

 

 もちろん、福島第一原子力発電所の事故(?)もDS の仕掛けです。

 

 東日本大震災は、その地震を引き起こすメカニズムの構造上、それをごまかすために、原子力発電所の事故が絶対に必要だったのです。

 

 さらには、福島第一原子力発電所の事故自体も、DS の利益を増やすために何か月も前から巧妙に計画されています。

 

 それでは、311の発生の過程と、その後の流れを検討し、この一連の陰謀が、どのようにして、また、何のために、引き起こされたのかを明らかにしていきましょう。 

 

 

 

52 地震兵器3 東日本大震災の謎② 地震と津波の発生は、精密に制御されていた!?

 

 2021-04-22

 

 

46分の謎

 2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生しました。

 

 最初に注目すべきは、この「46分」という時間です。95年以降の世界で起きた大きな地震及びテロの時間は、

1995/01/17  5:46・・・阪神淡路大震災
2001/09/11  8:46・・・米国同時多発テロ
2011/03/11 14:46・・・東日本大震災
2014/04/01 20:46・・・チリ地震

 

というように、軒並み〇時46分、に起きていますね。

 

 これは、ディープステート(DS)のサインです。

 

 DS は、世界中に広がる巨大組織です。組織の構成員を全員把握している者はおそらくいないでしょう。末端のDS は、他国のDS が何をしているのかを知りません。

 

 というわけで、DS が実行した災害やテロは、すべて時間を合わせることで、世界中のDS に、「これは俺たちの犯行だよ~」というサインを送っているのです。

 

地震津波の発生

 それでは3月11日に起こった、地震津波について見てみましょう。

 

 下の図は、極めて珍しい、地震発生直後の記録です。 

 

 

f:id:shunsasahara:20210420172527j:plain

 

f:id:shunsasahara:20210420172648j:plain

 

 皆様の記憶とは微妙に違うと思います。まずはマグニチュードを見てください。M7.9となっていますね。
 

 あれ?東日本大震災って、M9.0じゃなかったっけ?て思いませんでしたか。

 

 次は震源の場所です。三陸沖になっています。地図上の✖のところですね。あれ?震源宮城県沖でもっと海岸から離れてなかったっけ?って、思いませんでしたか。

 


 

 

 実はこっちのほうが正しいのです。東日本大震災は、実行後、様々なほころびが出て、つじつまを合わせるために、気象データが改ざんされています。

 

 地震の規模も、震源地も、深さも、後付けの説明であるプレート崩壊説に合わせて、後から改ざんされています。

 

 

 

f:id:shunsasahara:20210420173242p:plain

 

 じつは、M9.0の大地震なんて発生していません。せいぜいM7.9です。震源地も海岸に極めて近く、震源の深さは、ちきゅう号が掘れる最大深度の10Kmです。

 

 これは、津波にのまれた宮城県内の映像を見ればわかります。津波が来た時、家がほとんど壊れていませんね。震度7で、地震による倒壊がないなんてありえません。

 

 この災害は、地震兵器というよりも、津波兵器といったほうがいいと思います。

 

 精密に計算された核兵器の連鎖爆発によって、最も効果的な破壊力を発揮する20分ごとの津波を発生させ、東北沿岸を津波で一掃することを意図して仕掛けられたテロだったのです。

 

 仕掛けられた5つの水爆

  東日本大震災は、長時間にわたって揺れが続き、地震波に3か所のピークがあり、正確に20分おきに3回の津波が押し寄せました。また、震源域も広範に及び、東北太平洋岸のたて500Km、横150Km程度の広範囲のプレートが崩壊したのが特徴です。

 

 この地震発生メカニズムについて、地震工学の専門家である、京都大学の、川辺秀憲助教授が、シミュレートしています。

 

 

川辺助教授によると、東北太平洋岸の5か所の地盤が連続的に崩壊し、5つの地震波の波形が合わさって、特徴的な、長時間続く、3か所のピークを持つ揺れが起こったということです。

 

 

f:id:shunsasahara:20210421181403j:plain

 

 上図の太平洋岸の黄色の四角の5か所の点に水爆を仕掛け、上から2番目、一番上、真ん中、4番目、一番下の順で、順次爆発させていくと、この3つのピークをもつ、人工地震の波形が正確に再現されます。

 

 同時に、アメリカ西海岸を津波が襲わないように、制御されているというわけです。 

 

 詳しくは、下の動画の4分~6分のあたりをご覧ください。

 

 


 

 また、東日本大震災では、大規模海洋地震において、観測史上初の、大規模のうずしおが発生しました。

 

 

 

f:id:shunsasahara:20210421192117j:plain

 

 上図は茨城県沖に発生したうずしおの映像ですが、このほかにも宮城県沖にもう一つのうずしおが発生しています。

 

 海洋地震で渦潮が発生したのは、観測史上初めてです。

 

 プレートがずれた地震では、地中に隙間がないのでうずしおは起きません。核兵器によって、近くが破壊され、地中に空間ができたために、そこに海水が流れ込み、うずしおになったと思われます。

  

首謀者は誰?

 このような、海中における5つの水爆の、精密な連鎖起爆は、福島第一原子力発電所の安全管理(?)を行っていた、イスラエルの、マグナBP社によって、行われました。

 

 起爆直前の、マグナBP 社の社員と、本社との通信は、ロシアの諜報部によって盗聴され、その内容をロシア国営放送が報道しました。

 

 

この辺は、またもやプーチン大統領が日本のためにやってくれたのですね。この動画はyoutube にアップされています。

 

 

 ほんの一か月前まで、だれでも見れたのですが、現在はリンク切れになっています。見た方は多いと思いますが、その中で、この陰謀の首謀者が見事に暴かれています。

 

その会話の内容は、

 

「アキヒトの了解は取ってあるか?...よし、あとはオバマからの連絡を待つだけだな」

というものです。プーチン大統領は、ご丁寧に、日本語の字幕を付けてくださっています。

 

 事件当日、起爆を行った、マグナBP 社は、まず天〇陛下(現上〇陛下)の許可を取り、それからアメリカのオバマ大統領の許可を取って、実行に及んだというわけです。

 

 ディープステートの予定

 では、そもそもDS は、この震災によって、どこまでの被害を我が国に与えるつもりだったのでしょうか。

 

 宇野正美先生によると、311の一月ほど前、2月の上旬に、東京の帝国ホテルの地下で、DS の会合が行われていたそうです。

 

 その会合では、壁に日本地図がかかっていました。その地図には、

 

 

f:id:shunsasahara:20210421181858j:plain

 

 なんと、東北地方がありませんでした。

 

 参加者の一人が、なぜ東北地方がないのかと聞くと、その答えは、

 

「東北地方はまもなく、日本から消えてなくなるからです」 

 

というものだったそうです。

 

 DS は、311で、地震津波によって、東北地方を消滅させようと考えていたようです。

 

 彼らは、これだけではなく、その後、放射能汚染によって、日本を住めない土地にし、日本人を中国沿海部に避難させ、その地を戦争によって一掃して、日本人を地球上から消滅させよう、とまで考えていたようです。

 

 東日本大震災の犠牲になった方々、およびそのご遺族の方々には心から哀悼の意を表します。

 

 しかし考えようによっては、DS の当初の計画は大幅に緩和されたと考えることもできます。

 

 まだ東北地方は健在ですし、日本国全体が不毛の地になる事態も回避できています。

これは何らかの力によって、壊滅的事態になることは免れている、ということができるかもしれません。

 

東日本ハウス株価上昇の謎

  以上より、東日本大震災は天災ではなく、DS による、日本攻撃の偽旗作戦であったということができます。

 

 DS のメンバーは、事件の数か月前、少なくとも1週間前には、事件発生を知っていたと思われます。それは、株価の変動にも表れています。

 

 

f:id:shunsasahara:20210422193630j:plain

 

 上図は、仙台市にある建設会社、東日本ハウスの株価チャートです。

 

 311の直前、3月7日あたりから、大量の買いが入り、株価が上昇していることがわかります。

 

 その後、311が起こり、復興需要によって、建設会社の株が急騰し、この時買っていた人々は大きな利益を上げることになりました。

 

 東日本ハウス以外にも、3月7日~8日にかけて、熊谷組三井住友建設、技研工業、東海リースなどの、ゼネコン株が、大きく買われ、311以降急騰しています。

 

 

 日本、および、世界各地のDS 投資家は、3月11日に大震災が起こり、そこで建設株が急騰することを事前に知っていて、これによって大きな利益を手にしたことがわかります。

 

 311は、事前に周到な計画が練られた、DS による、偽旗テロだったのです。 

 

トモダチ作戦の罠

 震災発生から1週間後、東北地方太平洋岸を航海する、アメリカ海軍空母、ロナルド・レーガンを中心とする、アメリカ空母機動艦隊が、すぐさま、東北地方の人々の救助に入りました。名付けて、「トモダチ作戦」。

 

 日本国内では、アメリカ軍に対する感謝の報道に溢れましたが、私は当時映像を見ていて、大きな違和感を感じました。

 

f:id:shunsasahara:20210422200459j:plain

 

 なぜならこの作戦に携わったアメリカ軍兵士は、みんな、腕にワッペンをつけていたからです。 

 

f:id:shunsasahara:20210422194933j:plain

トモダチ作戦ワッペン

 それはこのようなワッペンでした。

 

 あれ?なんで、ワッペン付けてるの?という疑問です。

 

 ちなみに軍隊がワッペンをつけるためには、まずワッペンを作ることを決定し、図案を決めて、制作会社を選定し、発注し、製造して、納品し、部隊に配備して、兵士に配らなければなりません。

 

 この手続きは通常3か月程度かかります。

 

 なんで、事件から1週間後にたまたま近くを航行していた艦隊の、1万人余りの兵士全員が、ワッペンをつけているのでしょうか?

 

 こんなの1週間で作れるはずはありません。そもそも現地の救助を急いでやらなければならない状態で、ワッペンを作ろうなんて言う発想になるでしょうか。

 

 

これをテレビで見ていた私は、「ああ、これは米軍は3か月以上前から、この震災が起こることを知っていたな」と、直観しました。

 

 調べるにつれ、この直観が当たっていたことを確信していったのですが、最初のころは、直後に起きた福島第一原子力発電所の事故との関連がわかりませんでした。

 

原発事故の必要性

 しかし、調べるにつれ、2つの事件の関係が見えてきて、それは確信に変わりました。

 

 結論から申し上げますと、福島第一原子力発電所の事故は、フェイク事故であり、実際にはメルトダウン放射能漏れも発生しておりません。

 

 このフェイク事故は、東日本大震災が人工地震である、決定的な証拠のひとつを隠滅するのに必要不可欠であり、なおかつその後のDS の、日本における活動に際して、その事故自体が必要不可欠なものでもある、重要な作戦だったのです。

 

 それでは、この福島第一原発フェイク事故がどのような目的で、またどのようにして引き起こされたのか、考察していくことにしましょう。

 

 

 

 

53  地震兵器4 福島第一原子力発電所事故の謎 メルトダウンは起きていなかった!?

 

 

 2021-04-29

 

 

 

事件の概要

 東日本大震災の直後、福島第一原子力発電所の事故が発生しました。事件の概要は、ウィキペディアによると、

 

f:id:shunsasahara:20210428152001j:plain

各原子炉の配置

 

福島第一原子力発電所事故は、2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震による地震津波の影響により、東京電力福島第一原子力発電所で発生した原子力事故。

地震発生当時、福島第一原発では1 - 3号機が運転中で、4 - 6号機は定期検査中だった。1 - 3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失ったが、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が起動した。

地震の約50分後、遡上高14 m - 15 mの津波発電所を襲い、非常用ディーゼル発電機が津波の海水により故障し、全電源喪失に陥り、核燃料の冷却ができなくなった。

その後1・2・3号機ともに、炉心溶融メルトダウン)が起き、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器(格納容器)に漏れ出した(メルトスルー)。

1 - 3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満。1・3・4号機はガス爆発を起こして原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破した。

格納容器内の圧力を下げるために行われた排気操作(ベント)や、水素爆発、などにより、大気中や土壌、海洋、地下水へ大量の放射性物質が放出された。

日本国政府は、福島第一原発から半径 20 km圏内を「警戒区域」、20 km以遠の放射線量の高い地域を「計画的避難区域」として避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難した。

 

 となっています。

 

NSA職員、ジム・ストーン氏の告発

 この事件について、以前の記事でも述べた、元NSA職員、ジム・ストーン氏が驚くべき告発をしています。

 

 彼によると、なんと、原発事故はそもそも発生していないというのです。

 


 

  福島第一原子力発電所の管理は、イスラエルのマグナBSP社が行っていました。

 

 事件発生1年前の時点で、福島だけではなく、日本中の原発の運営・管理は、すべて、このマグナBSP社の管轄になっていました。

 

 自国の安全保障に直結する、原発の安全管理を、外国の一企業に任せる時点でおかしいのですが、これももちろんDS の仕掛けです。

 

 マグナBSP 社は、原発の安全管理ではなく、原発事故を演出するために、DSに雇われた企業なのです。

 

 彼らが用いたのはスタックネットと呼ばれる、コンピューターウィルスです。

 

 このウィルスは、少なくとも4か月前から福島第一原発の制御コンピューターシステムに仕込まれていました。

 

 このウィルスは、オペレーターの機能を学習し、実際の原子炉の状況にかかわりなく、コントロールルームに対して、偽の情報を送り続けるというウィルスです。

 

 約1か月の学習期間のあと、スタックネットは、福島第一原発のコンピューターシステムを完全に把握しました。

 

 

その後、マグナ社の社員たちが、1~3号機の燃料棒を取り出し、原発を停止させ、1・2号機に水素発生装置を取り付け、3号機に2つの小型核爆弾を設置します。事故の1か月前にはこの作業は終了していました。

 

 この時点で1~3号機は完全に停止していたのですが、スタックネットが制御コンピューターにうその情報を流し続け、原発職員たちは、原発が正常に稼働していると思いこまされていたわけです。

 

 

事件当日の流れ 

 そして3月11日がやってきました。

 

 地震発生直後、揺れを感じた制御コンピューターは、原子炉を自動停止させます。もっとも原子炉はとっくの昔に止まっていたのですが、スタックネットが自動停止したという情報を送っただけです。

 

 その後、津波が来て、予備電源が浸水し、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷するか、または流出で失うなどの偶然が重なり、原発は全電源喪失に陥ったとされています。

 

 

 もちろん、これは偶然ではなく、安全(?)管理を行っているマグナ社が、そうなるように仕組んだわけです。管理会社自身の犯行ですので、どうにもなりません。

 

 その後、1号炉がメルトダウンし、2号炉も圧力が高まり・・・なんていうのは、映像も含めて、すべてスタックネットから送られた偽情報です。

 

 偽情報を信じ込んだ所長は、ベントを指示します。この時放出されたのは、もちろん水蒸気と水素だけです。放射性物質は含まれていません。

 

 さらに1号機と2号機で水素爆発を発生させ、映像を世界に配信します。これは爆発のタイミングに合わせて映像が撮影されており、日本人にショックを与えるために、わざと映像を撮って流したものと思われます。

 

 

3号機で核爆発

 さて、本番は3号機の爆発です。これはDSとしては映像を撮らせないでひそかに行う予定だったようです。メジャーなマスコミはどこも映像を持っていません。

 

 しかし、幸運なことに、またDSにとっては不運なことに、地元の福島中央テレビがこの瞬間の映像をとらえ、しっかり残して放送してくれました。

 

 

 

f:id:shunsasahara:20210428152502j:plain

 

 見事な黒煙が上がっていますね。黒煙は上空高く上っており、まるでキノコ雲のようです。

 

 1・2号機の水素爆発は、白い煙が横に広がっていましたので、明らかに異なった性質の爆発であることがわかります。

 

 これはもちろん核爆発です。3号機に取り付けられた2個の小型核爆弾が爆発したのです。

 

 DSは、この核爆発によって、すべての原子炉を吹き飛ばし、証拠を隠滅しようとしていたのです。

 

 また、現場で全く放射線が観測されないのも問題なので、一応つじつま合わせに、放射線が観測されるように、核爆発を起こしたものと思われます。

 

 

トモダチ作戦ロナルド・レーガン乗組員、太平洋上で被爆

  この時、太平洋上では、アメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンを中心とする、空母機動部隊が展開していました。

 

 トモダチ作戦を、行った部隊ですね。

 

 作戦終了後、このロナルド・レーガンの乗組員が大量に被爆していたことがわかり、乗組員による東京電力などに対する、大規模な訴訟に発展します。

 

 

f:id:shunsasahara:20210428154653j:plain

 

 ロナルド・レーガンの乗組員4843人中、じつに、1734人、全体の35.8%が被爆しています。

 

 しかも、ロナルド・レーガンは、期間中ずっと、海岸から100海里、185km以上の距離を保っていたのです。

 

 

f:id:shunsasahara:20210428154904j:plain

 

 しかし、福島第一原発の職員に被爆者は出ていません。

 

 実際に事件直後の放射能汚染の地図を見てみましょう。

 

 

f:id:shunsasahara:20210428155339j:plain

 汚染の範囲は太平洋上に集中しているのがわかります。

 

 これはつまり、東日本大震災を引き起こすのに用いられた、5発の水爆による核汚染です。

 

 福島の赤い点は、3号機爆破の核爆発によるものですね。

 

 ロナルド・レーガンは、まさに太平洋上の、水爆起爆地点の真上に停泊していたために、多数の乗組員が被爆したと思われます。

 

 このように見てくると、福島第一原発事故の、真の目的が見えてきます。

 

 つまり、東日本大震災を引き起こした核爆発による、放射線をごまかすために、原発事故が必要だったのです。

 

内閣官房参与平田オリザ氏のリーク

 これは、当時菅内閣内閣官房参与を務めていた、劇作家の平田オリザ氏の発言によって裏付けられます。

 

 

f:id:shunsasahara:20210428155114j:plain

 

 平田氏は、2011年5月17日に、ソウルで行われた講演会において、

福島第一原発事故の冷却水を海洋に放出したのは、アメリカ政府からの強い要請によるものだった」

と述べています。

 

 福島第一原発の職員たちが、一生懸命、冷却水をプールにためて、海洋を汚染しないようにしていたにもかかわらず、アメリカ政府からの強い要請によって、海洋放出することになったというわけです。

 

 このとき、もし汚染水が海洋放出されなかったとすると、太平洋の核汚染が、福島第一原発の事故によるものだった、という言い訳が成立しません。

 

 地震を発生させるための、太平洋における、核爆発をごまかすことができなくなってしまうというわけです。

 

 もっともこの冷却水も、もちろん核汚染などされていない、きれいな水だったのですが・・・。

 

 ちなみに、現在において、日本各地から放射線が観測され、福島第一原発事故のせいだとされていますが、福島からは放射性物質は放出されていません。

 

 これは後の記事で述べる、ケムトレイルが原因です。ケムトレイルの中に、放射性物質が混入されており、それをまくことによって、日本全土に放射性物質が降り注いでいるのです。

 

 

これによって、DSは、福島のウソをごまかすことができるとともに、日本国民の健康を損なうという目的をも達成できるというわけです。

 

 

イスラエルのネタニヤフ首相の脅迫

 

 さらには、この大災害に乗じて、マグナBSP社の所属国であるイスラエルが、日本に脅しをかけてきます。

 

f:id:shunsasahara:20210428155638j:plain

 

 3号機爆破の直後、イスラエルのネタニヤフ首相が、菅直人首相に電話をかけてきました。その内容は、

 

 「日本が持つアメリカ国債50兆円分を、イスラエルに名義変更しろ。さもないと、日本中の原発を爆破するぞ」

 

 というものでした。なんと、ネタニヤフ首相は、日本国民が失意のどん底にあるのをいいことに、50兆円を脅し取ろうとしたわけですね。

 

 

もっともこの時すでに日本中の原発は、マグナBSP 社の管理下にありましたので、ネタニヤフ首相がやろうと思えば、いつでも原発の爆破が実行可能だったわけです。

 

 菅首相は、この脅しに屈し、50兆円分のアメリカ国債イスラエルに献上しました。まさに火事場泥棒というところですね。

 

ディープステートの真の目的

 その後、日本政府は、福島第一原子力発電所周辺の住民を避難させました。

 

 ウィキペディアの記述をもう一度読み直してみると、

 

日本国政府は、福島第一原発から半径 20 km圏内を「警戒区域」、20 km以遠の放射線量の高い地域を「計画的避難区域」として避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難した。

 

 

となっていますね。

 

 実はこれこそが、この事件におけるDSの最終目的です。

 

 この避難地域には、もちろん放射能汚染はありません。

 

 日本国民を原発の20Km圏内から避難させ、そこを立ち入り禁止にすることで、DSは、日本国の中に、半径20Kmに及ぶ、自らの「領土」を手に入れたのです。

 

 実は東京地下要塞が手狭になっており、DSは、首都圏に近い大規模な増築先を探していたのです。

 

 その後、福島の地下に大規模な児童売買基地が建設され、東京地下要塞と連結されて、DSのために多大な利益をもたらすことになります。

 

 さらには、福島の地上に、大規模な強制収容所を建設し、そこで、さらってきた日本人を強制労働させようという計画もあったようです。

 

 もちろん、福島地下要塞はすでに破壊され、強制収容所も撤去されて、現在では日本国内で捕らえられたDSの収容施設に替わっていますが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

※日米經済戰爭篇 

 

 

 

 

 

54 日米経済戦争1 日米戦争第2ラウンドは、経済における主導権争い!? いかにしてディープステートは日本の富を奪い取ったのか。

 

 

 2021-03-31

 

 

日本の復興

 1945年、大東亜戦争において、日本はアメリカに降伏しました。

 

 その後、日本軍によって宗主国の軍が駆逐された、アジアの植民地では、独立戦争が勃発し、植民地が次々と独立を果たしていきました。

 

 これらの戦争では、現地に残る旧大日本帝国陸軍の残党たちが、大活躍を見せました。詳しくは当ブログ、

 


 


 

の記事をご参照ください。

 

 この間、本国日本では、目覚ましい経済復興が遂げられていました。

 

 国防をアメリカに任せ、持ちうる資源のすべてを経済復興に注いだ政策は大成功し、これに国民が一丸となって答え、人類史上最高の、高度経済成長を迎えました。

 

 72年には、外交によって、沖縄の返還に成功しました。

 

 73年のオイルショックによって、成長は多少鈍りましたが、その後も日本は安定成長を続け、80年代には、アメリカに十分匹敵しうる、国力を身に着けるに至ります。

 

f:id:shunsasahara:20210330172229j:plain

 

 写真はバブル崩壊直前の、89年の、渋谷のスクランブル交差点です。ちょっとごみごみしていますが、現在とあまり変わらない街並みですね。

 

 日本経済が最高潮を迎えていた1989年と現在のGDP を比べてみましょう。

 

f:id:shunsasahara:20210330173245j:plain

1989年と2019年の各国GDP

 左が1989年、右が2019年のGDP です。

 

 89年には日本のGDPは世界2位で、アメリカの6割程度まで迫っていました。2次大戦のときはアメリカの20分の1のGDPで、戦いを挑み、あそこまでやっていますので、アメリカにとっては脅威だったと思います。

 

 日本の指導層も、2次大戦でアメリカに降伏したのは経済力の差が原因だと考えていましたので、次は負けない、ということで、まずは国力の充実に努めたのです。

 

 

しかし2019年には、日本のGDPは中国に抜かれて世界第3位となり、アメリカの4分の1以下まで落ち込んでいるのがわかります。

 

 次は会社の時価総額ランキングです。

 

f:id:shunsasahara:20210330173521j:plain

 

 御覧のように、89年には世界の会社の上位20位のうち、14社までが日本企業です。アメリカ企業はベスト10内にIBMの1社だけですね。

 

 逆に2017年では、上位の企業がほとんどアメリカ企業であり、日本企業は、35位にトヨタ自動車がやっと入っているだけです。

 

 

 さらに、世界一の大富豪の変遷を見てみましょう。

f:id:shunsasahara:20210330174323j:plain

 

  ウィキペディアから抜粋しています。94年までは世界一の大富豪は日本人です。堤義明氏は、西武鉄道グループの代表、森泰吉郎氏は森ビルの社長です。

 

 ウインドウズ95が発売された、95年からしばらくは、ずっと、ビル・ゲイツ氏ですね。

 

 89年の時点で、世界の富と金融資産は日本に集中し、製造業は日本が世界を制覇し、このままいけば、日本経済が世界を制覇するところまで行っていたことがわかります。

 

なぜ日本経済は失速したのか

 しかしこの後、日本経済はバブルの崩壊を迎え、デフレに突入します。その後結局デフレから脱却することなく、経済は低迷を続け、今に至ります。

 

 日本国民のパワーが落ちてしまったのでしょうか。そんなことはありません。

 

 政府が適切な政策をとらなかったからでしょうか。それはあります。

 しかし適切な政策をとらなかったというよりも、日本政府はこの間、日本を弱体化させ、日本国民の富を、国際金融資本家、つまりディープステートたち、に献上し続ける政策をとっているといったほうがいいでしょう。

 

 なぜこんなことになったのでしょうか。

 

 実は1980年代中盤から、2000年代中頃までの間に、日本国民の目に見えないところで、アメリカとそこに巣くうディープステートたちと、日本とのし烈な経済戦争が展開されていたのです。

 

 我が国は残念ながら、その戦争にやぶれ、国はガタガタにされ、国民の富は収奪され、国民はみんな貧しくなってしまったというわけです。

 

 

それでは、時間を1980年台まで戻し、この日米経済戦争のいきさつを振り返ってみることにいたしましょう。

 

アメリカのドル切り下げ要求

 当時のドル円レートは、1ドル240円の固定相場でした。今から見ると考えられないほど、円が安いのがわかります。

 

 この円安の状況下で、日本の製造業は、海外輸出を強化し、世界中で自動車を中心とする工業製品を売りまくりました。

 

 かつて工業国であったアメリカの、国内産業は壊滅し、アメリカは工業製品輸入国に転落します。

 

 アメリカ政府からの度重なるドルの切り下げ要求を、日本政府はのらりくらりとかわし続け、日本国内の製造業を支援しました。

 

次世代の基幹産業

 80年代前半の時点で、急速に成長し、次の世代の基幹産業となるだろうといわれていたのは、パソコンです。

 

 70年代後半から、徐々に、個人用の過程据え置き型コンピューターが普及し始めていました。これらは最初のころは、マイコンと呼ばれていました。

 

 アメリカでは、パソコンはIBM社製と、アップル社製のものが普及していました。アメリカでパソコンが一気に普及したのは、78年のアップルⅡの発売がきっかけです。

 

 

 日本でもパソコンは発売されていましたが、こちらは国内企業であるNEC(日本電気)製のマイコンが市場を制圧していました。PC-8800シリーズの成功を糧に、82年に発売されたPCー9800シリーズが爆発的にヒットし、日本国内に日本製のパソコンがいきわたっていたわけです。

 

 82年の年末に、TIME 誌の表紙を飾るマンオブザイヤーに、コンピューターが選ばれました。この時そのコンピューターに「パソコン」の名が使われ、これ以降パソコンの呼び名が主流になっていきます。

 

 パソコンは80年代初期までは、プログラムを自分で打ち込んで操作するスタイルで、相当コンピューターの知識がある人でないと、使いこなせない代物でした。

 

 この状況を打破し、プログラムをかけなくてもコンピューターを使えるようにしたのは、OS(オペレーションシステム)が出現したおかげです。

 

 アップル社のコンピューターには、初めから独自のOSが搭載されていました。

 

 IBM社のコンピューターのOSは、創業したばかりのマイクロソフト社製のMS-DOSが使われていました。若きビル・ゲイツが作った会社ですね。

 

 日本のNEC製のコンピューターにもこのMS-DOSが搭載され、画面からコマンドの入力するか、フロッピーディスクに入ったプログラムを走らせて、パソコンを使うシステムになっていました。

 

OSをめぐる主導権争い 

 しかしこのMS-DOSが、かなり使い勝手の悪い代物でした。コマンドを覚えて、文法をマスターし、画面から1行1行入力しないと動きません。

 

 ビル・ゲイツはプロジェクトを立ち上げて、1981年から、ウィンドウ型OS、WINDOWS1.0 の開発に取り掛かりますが、技術的な問題から、84年になっても実用化することができませんでした。

 

 

1984年、スティーブ・ジョブズのアップル社が、Mcintosh を発売し、独自OSである、Mac-OSによって、ウインドウ型のOSが実現します。

 

 このままではマイクロソフト、およびIBMは、大きな後れを取ってしまいます。

 

 そうこうするうちに、とんでもないニュースが入ってきます。日本が、画期的なウィンドウ型OSの開発に成功したというのです。

 

国産高性能OS「TRON」

 1984年6月、東京大学教授(当時は助手)、坂村健氏による、リアルタイムOS開発プロジェクト、通称「TRONプロジェクト」が開始されます。

 

f:id:shunsasahara:20210331182231j:plain

坂村 健


 これは、坂村氏独自の「ユビキタス」プロジェクトの中心となるOSで、身の回りのあらゆるものにマイクロチップを埋め込んで、それをすべて一台のPCで、制御しようという計画です。

 

 まあ、ユビキタス計画の是非はさておき、この坂村氏考案のOS、「TRON(トロン)」は、OS単体としても、既存のすべてのOSの性能を大きく上回っていました。

 

 さらに坂村氏は、世界中の人々の生活を便利にしたいという願いのもとに、このTRONを無償提供することに決めたのです。

 

 TRONは翌85年に早くも完成し、松下電器産業株式会社の協力を得て、製品化が目前に迫っていました。

 

 松下電器は、自社の製品を無償で世界中のすべてのPCに供与しようとしていたのです。

 

 これが実現すれば、今より20年早く、IT社会が実現し、世界中の人々は、無料の高性能OSの恩恵に浴すことができていたでしょう。

 

ビル・ゲイツの野望

 しかし、このニュースを聞いて、快く思わなかった人物が一人だけいます。もちろん、ビル・ゲイツです。

 

 ビル・ゲイツは、自社のOSを世界中のPCに高額で標準装備し、その利益を独占しようとしていました。

 

 しかし、開発が思うように進まず、困っていたところに、日本が、自分が作っているOS より、はるかに高性能なOSの開発に成功し、しかもそれを無償配布している。

 

 こんなことされたら、俺が利益を独占できなくなるじゃないか、ということです。

 

 ビル・ゲイツは、生まれながらにして、ディープステートの大幹部です。彼はもちろん、ディープステートおよびその支配下アメリカの総力を挙げて、これを阻止しようとします。

 

 しかし当時のアメリカは、技術力も、資金力も、日本の後塵を拝しており、通常の手段でこれを止める手立てはありませんでした。

 

 そしてディープステート配下のアメリカは、最後の手段に出ることになります。

 

 当時ただ一つ、アメリカが日本に勝っていた分野、軍事力を用いて、この計画を阻止することにしたのです。

 

日米経済戦争開始

 そして、その後30年にわたる、日米経済戦争の開始を告げる、運命の日がやってきました。

 

 1985年8月12日、午後6時12分、TRON製品化に向けた最終調整のため、大阪本社に向かう、松下電器産業株式会社の技術者17人を乗せた、日本航空123便は、524人の乗員・乗客を満載にして、羽田空港を飛び立ちました。

 

 このときすでに、相模湾沖には、日米軍事演習を名目に、アメリカ空母機動艦隊が布陣し、群馬県御巣鷹山には、ゲリラ戦特殊訓練を名目に、自衛隊の特殊部隊が布陣していました。

 

 

55 日米経済戦争2 日本航空123便は、アメリカ軍+自衛隊によって撃墜されていた!? 日本航空123便墜落事件の真実①

 

 

 2021-04-02

 

 

日本航空123便墜落事件

 1985年8月12日、乗員乗客524人を乗せた、日本航空123便が、墜落しました。

 

f:id:shunsasahara:20210401192425j:plain

 

 事件の概要は、ウィキペディアによると、

 

123便東京国際空港羽田空港)発大阪国際空港伊丹空港)行きの定期旅客便で、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落した。

乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。この数字は2020年(令和2年)4月時点で単独機の航空事故の死亡者数として世界最多である。

 となっています。しかし、みなさまの予想どおり、この記述には多くの嘘が含まれています。

 

 現在では、生存者の証言、搭乗者が撮影したカメラの映像、現場の遺留物や写真、関係者の回想書籍、など、様々な資料が残されていますので、それらをもとに、実際にこの日に、何が起きたのかを、振り返ってみたいと思います。

 

123便は撃墜されていた

 まずは以下の地図を見ながら、事件当日の123便の航跡を振り返ってみましょう。

 

f:id:shunsasahara:20210401194457j:plain

123便航跡図

 1985年8月12日18時12分、日本航空123便ボーイング747 乗客509人、乗員15人、合計524人)は、大阪に向け、羽田空港から飛び立ちました。

 

 このときちょうど、日米合同軍事演習が行われていました。相模湾、伊豆沖には最新鋭護衛艦や潜水艦が出動し、陸ではゲリラ訓練場となっている御巣鷹山に、対空ミサイルが配備され、対ゲリラ用の毒ガス・火炎放射器を装備した自衛隊の特殊部隊が集結していました。

 

 

もちろん、これらの部隊は、これから起こることをあらかじめすべて想定して、布陣されていたと考えるのが妥当だと思われます。

 

オレンジ色のミサイル

 18時18分、123便は、相模湾の高度3500メートル上空を飛行していました。右に江の島、その先に富士山が見えるあたりです。

 

 このとき、長濱機長は、機体レーダーによって、斜め右前から近づく飛行物体を確認します。近づいたところを目視すると、それはオレンジ色のミサイルでした。

 

 

 亡くなった乗客の小川哲さん(41才)もこれに気付き客席からカメラで撮影しました。
このカメラは後に遺族に渡り、現像したところオレンジ色の飛行物体が写りこんでいたとのことです。

 

 18時24分、ミサイルが垂直尾翼に命中、最後部ドアと尾翼を損傷しました。123便は、このミサイルが突き刺さったまま飛行を続けます。垂直尾翼の7割を失った123便は、正確な航路調整ができなくなり、蛇行しながら飛行することになります。

 

 生存者の一人、最後部座席に座っていた、川上慶子さんによると、この時、トイレ付近の天井に、1.5m四方の穴が開き、付近が真っ白になったそうです。その後、酸素マスクが下りてきて、スチュワーデス(当時の呼称)の指示で、乗客がそれを付けたそうです。 

 

 ちなみにこのミサイルは、伊豆半島沖に展開していた海上自衛隊護衛艦「まつゆき」から発射された、チャカ2型、艦隊空ミサイルと思われます。射撃訓練用のミサイルなので、弾薬は入っておらず、全体がオレンジに塗られています。

 

 

海上自衛隊では、訓練用ミサイルをオレンジに塗装する習慣があるのです。米軍にはこの習慣はありませんので、最初に当たったこのミサイルが、自衛艦が発射したものであることは間違いないでしょう。

 

 

     f:id:shunsasahara:20210402192350j:plain

 

 この時、護衛艦まつゆきは、進水したばかりであり、試験航行が行われていました。艦上では、アメリカ人技師による、艦載ミサイルの整備が行われていました。

 

 調整後のテストとして、無人標的機ファイアー・ビーを飛ばし、それを狙ってチャカ2を発射したところ、ファイアー・ビーが123便に当たり、ちょうどその瞬間、チャカ2が命中したとのことです。

 

 

しかし、そんなうまい偶然があるでしょうか。おそらくまつゆきのミサイルテストをしていたアメリが人技師が、ファイアー・ビーとチャカ2を操作し、123便にわざとあてた、と考えるのが妥当でしょう。

 

 しかし自衛隊は大慌てです。当時の士官が、

 

「えらいことをした。無人標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」

 

と語った証言が残っていますので、この時点の海上自衛隊の認識としては、「ミサイル誤射」であったことがわかります。

 

スコーク77発令

 高濱機長は、ミサイル命中のわずか7秒後に、緊急信号「スコーク77」を管制に向けて発信しています。このスコーク77というのは、通常のSOSと異なり、「当機は敵によって撃墜されようとしている」という意味の信号です。 

 

 機長は6分前からミサイルをレーダーで視認していますので、命中の瞬間「撃墜される!」という救援信号を発令したわけです。

 

これをうけた埼玉県所沢市にある東京航空管制部は、即座に123便と、日本語での通信を開始しました。

 

パイロットと管制との通信は通常すべて英語で行われています。日本語での通信は異例中の異例です。撃墜されるかどうかというときに、英語なんて使ってられないということです。

 

自衛隊機の追尾

 スコーク77は撃墜信号ですので、それを受けた航空自衛隊は、即座にスクランブルをかけ、敵機との戦闘態勢に入ります。

 

 この時、信号発令直後に、茨城県百里基地から、航空自衛隊のF-4ファントム戦闘機2機が飛び立ち、現地に向かいました。

 

 ちなみに首都圏には埼玉の入間基地など多くの航空自衛隊の基地がありますが、いわゆる戦闘機が配備されているのは、この百里基地だけです。

 

 123便は、伊豆半島を横切り、静岡県に入って北上を開始します。

 

 機長は、アメリカ軍横田基地に向けて緊急着陸の許可を申し入れます。しかしこれはあっさり拒否されます。それはそうです、犯人に助けを求めてもムダというものです。

 

 富士山の東で、百里基地から出たファントムが合流し、123便の後ろに2機のファントムが追尾する形になります。

 

 このジャンボジェットの後ろに2機のファントムが追尾する姿は、多くの方によって目撃されています。

 

 ファントムは123便と連絡を取り、群馬県御巣鷹山に誘導します。高濱機長は長野県のレタス畑への緊急着陸を希望したようですが、自衛隊機が拒否して、群馬の山中まで誘導する形になったわけです。

 

 

 

アメリカ空軍F-106発進

 123便が大月を過ぎたあたりで、横田基地から、機体が真っ黒に塗られた、アメリカ空軍のF-106「デルタダート」2機が飛び立ちます。デルタダートは群馬県御巣鷹山に向かいます。

 

 このF-106デルタダートは、歴代のアメリカ戦闘機の中で、最大の破壊力を持つといわれる戦闘機です。現在最新鋭のF-22やF-35よりも、ある意味強いです。

 

 デルタダートの武装は、AIM-4E/F/G スーパーファルコン空対空ミサイルと、AIR-2A ジニー空対空核弾頭ロケット弾です。

 

 スーパーファルコンはごく一般的な空対空ミサイルですが、問題はジニー空対空ロケット弾です。このロケット弾には核弾頭が搭載されています。

 

 デルタダートは、アメリカ空軍で後にも先にもただひとつの、核ミサイルを発射できる戦闘機なのです。

 

f:id:shunsasahara:20210402202044j:plain

ジニー核弾頭ロケット弾を発射するF-106

123便の撃墜!

 123便御巣鷹山上空に差し掛かるころ、2機のF-106が123便に追いつき、後方から、スーパーファルコン空対空ミサイルを発射します。

 

 必死で体勢を立て直そうとしていた123便に、3~4発のミサイルが命中、機体は失速し、御巣鷹山の山中に墜落します。

 

 18時56分26秒、東大地震研究所は、群馬県の山中に墜落した、123便のものと思われる振動をキャッチします。

 

 123便は、この時、アメリカ軍によって撃墜されたのです。

 

核ミサイルによる機体破壊

 そしてそのわずか5秒後、東大地震研究所は、S派から始まる独特の波形の15秒にわたる表層地震をキャッチします。

 

 それと同時に、御巣鷹山周辺の住民が、空高く立ち上るきのこ雲を目撃しています。

 

 そうです。F-106デルタダートは、ここで、ついに、ジニー核弾頭ロケット弾を使用したのです。

 

 核ミサイルによって123便の機体はバラバラになり、この時機中に残っていた乗員・乗客は消し炭となりました。

 

 このアメリカ軍による核ミサイルの使用は、2009年8月に元日本航空職員の佐宗邦皇氏が講演によって指摘しています。

 

 


 

 佐宗氏は、この公演中にペットボトルのお茶を飲み、そのまま帰らぬ人となりました。

 

 あきらかに、ディープステートによる暗殺と思われます。佐宗氏の指摘は正しかったということでしょう。

 

 ちなみにこの後、123便プルトニウムを積んでいたという情報がネット上に出回ります。

 

 しかし私はこれは、アメリカ軍による核ミサイル攻撃で、放射能汚染された現地の状態を、カムフラージュするための、偽情報であると考えています。

 

自衛隊対空ミサイルによる迎撃

 そしてこのタイミングで、すでに配置についていた、陸上自衛隊の地対空ミサイル、レッドアイが火を噴きます。

 

 上空で旋回していた航空自衛隊F-4ファントムと、アメリカ空軍F-106デルタダートは、地上からのミサイル攻撃によって撃墜されました。

 

 これはアメリカ軍、および実行に加わった自衛隊の了解のもとになされた、証拠隠滅と思われます。

 

 ここまで、123便が羽田を飛び立ってから、実に1時間もかからないうちに、行われていたことがわかります。

 

 この状態で、123便はバラバラになり、そのほかにも4機の戦闘機の残骸が、現地に散乱していたわけです。

 

 また墜落時に機体から投げ出された乗客が、この時点で多数生存していました。

 

 この時点で即座に救助活動を始めれば、多くの人が命を救われていたことでしょう。

 

 しかし日本政府は、これから16時間の間、人命救助を拒否し続けました。

 

 そこで行われていたことは、徹底的な証拠隠滅だったのです。

 

 

 

 

56 日米経済戦争3 自衛隊特殊部隊によって、徹底的な証拠隠滅がはかられた!? 日本航空123便墜落事件の真実②

 

2021-04-06

 

 

徹底的な証拠隠滅

 前記事で述べたように、1985年8月12日18時12分に羽田空港を飛び立った、日本航空123便は、18時56分、アメリカ軍によって撃墜されました。

 

 相模湾で、海上自衛隊護衛艦まつゆきの、対艦ミサイルが尾翼に命中、航空自衛隊のF-4ファントムに誘導されて、群馬県御巣鷹山上空で、アメリカ空軍F-106デルタダートの空対空ミサイルによって撃墜され、地面に横たわったところを核ミサイルを撃ち込まれ粉々にされるという、凄惨な幕切れでした。

 

 

その直後に、陸上自衛隊の対空ミサイルによって、先導したファントムと、撃墜したデルタダートが撃ち落とされ、現場には123便のほかに、4機の戦闘機の残骸が散乱する壮絶な状態だったわけです。

 

f:id:shunsasahara:20210406191341j:plain

 

 これは123便の胴体部分です。核ミサイルによって粉々にされているのがわかりますね。通常の墜落ではここまで機体が粉砕されることはありません。

 

 しかしこのような状態の中で、墜落とともに機体から投げ出され、付近の森林や洞窟で、生きながらえている生存者が少なくとも100人以上はいたようです。

 

 

 ミサイルが命中し、航行不能になりながらも、森林への胴体着陸を試みた、長濱機長の腕のなせるところだと思います。

 

 生存者の一人、川上慶子さんによると、

「気がつくと真っ暗で油臭いにおいがした。子供の泣き声などがザワザワ聞こえていた。手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており、生きていると思った。みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。母は答えなかった。『手や足を動かしてみ』と言われて足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。足首がヌルヌルしていて血だなと思った。」

 

 同じく生存者の一人、日本航空スチュワーデスの落合由美さんによると、

「墜落の直後に「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

とのことです。墜落直後に、多数の生存者がいたことがわかります。

 

米軍と自衛隊からの救助の申し出を拒否

 墜落からおよそ30分後の19時32分、早くもアメリカ軍の輸送機が現地に到着しています。

 

 横田から沖縄にある米軍嘉手納基地への輸送任務を終えて帰還中の、Cー130輸送機が、123便のスコーク77を受信、横田からの命令で、御巣鷹山上空に赴き、墜落地点を特定、そのまま上空を旋回します。

 

 その後、座間基地からアメリカ軍の救助ヘリ2機が出動、20時50分前後に現地に到着、C‐130と合流して、救助に入ろうとしたそうです。

 

 

この時C-130の航海士であった、アメリカ空軍のアントヌッチ中尉によると、救助ヘリからロープを下ろし、救助隊が下りようとしたまさにその時、横田基地の司令部から連絡が入り、帰還を命じられたということです。

 

「日本側に遭難地点の通報と救助活動開始の許可を求めたが、断られたので直ちに撤収せよ」

ということでした。

 

 この時の様子は先述の落合由美さんによると、

「やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」、「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。」

 

 ということです。無念さが伝わってきますね。

 

 また、米軍から位置の特定を受けた自衛隊も救助に乗り出そうとします。しかし、そのまま待機の命令が出され、命令を振り切って救助に向かおうとした、自衛官一人が射殺されます。午後20時ごろのことです。

 

このときNHKで

「待機命令を無視して救助に行こうとした自衛隊員を射殺」

という速報テロップが出ています。

 

 さらにフジテレビで、「123便は撃墜された」という速報が報じられます。しかし圧力がかかったのか、のちにフジテレビはこの速報を、誤報であったとしています。

 

NHKによる意図的な誤報

 アメリカ軍および自衛隊の実行部隊(犯人)たちは、当然、事件直後に正確な撃墜地点を知っていました。その他の米軍及び自衛隊も、事件30分後には、正確な位置を知っていたことになります。

 

 また、墜落地点の御巣鷹山がある、群馬県上野村の住民たちも、事件を目撃していましたので、正確な撃墜地点を警察に通報しています。

 

 しかし、マスコミの報道は、事件発生後、しばらくしても、「墜落地点は不明」となっていました。

 

 夜の8時になってやっとNHKが、墜落地点を発表しますが、それは、「長野県佐久郡北相木村」でした。マスコミと救助隊がさっそく向かいますが、当然空振りです。

 

 上野村の住人はNHKに抗議電話をかけ、正確な墜落地点を伝えます。

 

 深夜になって、NHKが墜落地点を修正します。しかしそれは、御巣鷹山ではなく、すぐ隣にある、「御座山(おぐらやま)」でした。

 

 住民たちの再度の抗議電話を無視し、NHKは御座山に墜落と報道し続け、またもやマスコミと救助隊が無駄骨を折ることになります。

 

 結局翌朝6時になってはじめて、NHKは正確な墜落地点の、御巣鷹山の名を出すことになりました。

 

 これはもちろん、政府の指示に基づく、意図的な誤報です。マスコミの目を欺き、救助隊を現場に入れないために、わざと偽の墜落地点を報道し続けたと考えられます。

 
 

自衛隊特殊部隊による証拠隠滅

 その間、現地に展開していた自衛隊の特殊部隊が行っていたことは、まずは、「残骸の処理」です。

 

 この残骸とは、123便の残骸ではなく、現場に散らばっていた自衛隊のF-4ファントムと、アメリカ軍のF-106デルタダートの残骸のことです。123便以外に4機もの航空機の残骸が残っていては、だれもが怪しむからです。

 

 この残骸処理は、撃墜直後から始められ、現場には自衛隊のヘリが、残骸を入れた袋を運ぶ姿が見られていたようです。

 

 

 そしてもう一つは、目撃者の隠滅です。この任務は特殊装備を身にまとった、90名程度の自衛隊特殊部隊が担当しました。

 

 

 彼らが行ったことは、現場周辺に毒ガスを散布し生存者を〇害、同時に火炎放射器で、彼らの体を〇却するというものでした。

 

f:id:shunsasahara:20210406192030j:plain

 

 現場の写真では、遺体は完全に焼却され骨まで炭化しています。通常のジェット燃料の燃焼温度では、このような焼け方はしないそうです。

 

 顔の判別はつきませんので、遺体を収容した後、歯科医がカルテを見ながら歯列の照合を行って、身元を確認したそうです。

 

 検視した医師は、「まるで高温で2度焼きしたようだった」と述べていますので、おそらく彼らは、死んだのち、もしくは生きたまま、火炎放射器で焼かれたものと思われます。

 

 特にすべてを知っている高濱機長は、完全に炭化した姿で発見されたそうです。

 

地元住民Mさんの証言

 群馬県上野村に住むMさんは、事件当日、事故の報道を見て、友人2人とバイクで現場に向かいました。

 

 上空にヘリが旋回している場所が現場だと確信し、途中白バイの検問を突破し、ヘリの音を頼りに御巣鷹山を上ります。

 

 6~7時間かけて山を登り、午前4時にMさんは現場に到着しました。

 

 そこには40~50人ほどの生存者がいて、そこらじゅうでうめき声がしていたそうです。また既に100人程度の自衛官がいて、作業をしていました。彼らは皆、暗視ゴーグルをつけていました。

 

 Mさんが生存者を発見し、「生きているぞ」と自衛隊員に声をかけると、彼は、

「動かすと危険だ。後続部隊が救助を担当するから」と言って、生存者には目もくれず、黙々と機体の残骸を拾って、バッグに詰め、ヘリで吊り上げていたそうです。

 

 1時間ほどして午前5時ごろになると、うめき声は全く聞こえなくなりました。そしてMさんは山を下りました。

 

 この証言から午前4時の時点で40~50人程度の生存者がまだいて、彼らの焼却作業が午前5時には終了したことがうかがえます。

  

 午前5時、すべての隠滅作業が終わったあと、自衛隊がしたことは、周辺にバリケードを築き、山への立ち入りを禁止したことでした。

 

 これに対して、地元上野村の住民が反対の声を上げ、バリケードは解除されます。

 

救助隊の出発

 事故翌日の8月13日朝6時から、現場にマスコミのヘリが到着し、事故現場の映像がテレビに流れるようになりました。

 

 その映像を見ていた地元、上野村の住民が、大きな発見をします。

 

 撃墜現場から離れた、はるか下方の谷底に、123便の尾翼部分が落下しており、そこに人影が見えたのです。地元の住民たちは、映像を一目見てそれがどこだか理解しました。

 

 「スゲノ沢だ! まだ生存者がいるぞ!」

 

 実は123便が撃墜されて地面に衝突する瞬間、半回転して尾翼部分が接地し、その時、水平尾翼と後部座席の部分が本体からちぎれ、斜面を滑落、300メートル下の谷底に落下していたのです。その谷の名が、スゲノ沢でした。

 

 すぐに地元の上野村消防団、警察、機動隊からなる救助隊が組織されました。

 

 救助隊は8時に村を出発し、土地勘のある消防団の先導で山を登ります。救助隊は、墜落現場の御巣鷹の尾根には見向きもせず、スゲノ沢に直行しました。

 

 彼らの予感は的中しました。

 

 10時半、救助隊が現地に到着して見たものは、ほぼ完全な形で残った123便の尾翼部分と、同じくほぼ完全な形を保ったままの乗客の姿でした。

 

 結局、証拠隠滅を行った、自衛隊特殊部隊は、これに気付いていなかったのです。

 

 御巣鷹の尾根にある機体の本体は粉砕され、生存者は完全に焼却されてしまいましたが、スゲノ沢は高度差があるため、核ミサイルの効果が及ばず、御巣鷹の尾根からは見えないため、証拠隠滅作業の対象外となったわけです。

 

 

奇跡の生還者

 スゲノ沢の救助隊は、10時54分、最初の生存者である落合由美さん(26)を発見します。その後次々と生存者が発見され、結局落合さんのほかに、川上慶子さん(12)と、吉崎博子さん(35)、吉崎美紀子さん(8)親子の合計4名が救助されました。

 

 そのほか12名の遺体が現場にありましたが、どれもきれいで、焼けた跡もなく、最初は生存者と死者の区別がつかなかったそうです。御巣鷹の尾根の死者はすべて炭化していたのとは対照的ですね。

 

 その後すぐさま自衛隊のヘリが到着し、次々と自衛隊員が降下してきます。しかし彼らは袋を持って突っ立っているだけで、救助しようとも、生存者を運ぼうともしません。

 

 おそらく「しまった、処理し忘れたやつらがいた。どうしよう」と思いながら、「どうやって救助隊を追い払って、生存者を〇し、遺体を焼却しようか?」などと考えていたのではないでしょうか。

 

 さすがに見かねた地元救助隊が、「自衛隊員を下すよりも、生存者を病院に運ぶのを優先しろ!」と詰め寄り、自衛隊はしぶしぶ重い腰を上げます。

 

 やっと13時5分になって、生存者は自衛隊のヘリで救助されました。発見されてから2時間にわたり、生存者はその場に放置されていたのです。

 

f:id:shunsasahara:20210406200513j:plain

救助される川上慶子さん(12)

 さらにヘリで運べば病院まで5分で着くにもかかわらず、救助ヘリはいったんふもとで生存者を下し、道がわからないとか、ヘリが手配できないとか、理由をつけて病院搬送を遅らせます。

 

 結局4人が、藤岡市の多野病院に搬送されたときは、13日の14時20分になっていました。事件発生から実に20時間後ということになります。

 

 この事件で犠牲となった、520名の乗員・乗客の方々に、心から哀悼の意を表します。

 

 同時に様々な苦難を乗り越え、奇跡の生還を果たした4名の方々に、心からの拍手を送りたいと思います。