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笹原 俊さんの記事を貼り付け。【漆】北朝鮮篇 [中編]

 

 

40 北朝鮮の真実7 横田めぐみさんは金正恩の母親だった!?拉致問題をめぐる謎①

 

 2021-02-25

 

 

横田めぐみさんのその後

 いよいよ北朝鮮による日本人拉致事件を考察してみたいと思います。

 

 事件のあらまし、および、事件化に至った経緯については、次記事に譲るとして、まずは拉致被害者の一人、横田めぐみさんについて考察していきましょう。

 

 なぜ横田めぐみさんを特別扱いするのか、それは拉致被害者17人のうち、彼女一人だけが特別な存在だったからです。

 

 なぜそんなことがわかるのか、それはもちろん「北朝鮮が教えてくれた」からです。

 

メッセージに含まれた暗号

 とはいっても、別に北朝鮮が公式発表を行って、「横田めぐみさんは○○している」という真実を教えてくれたわけではありません。

 

 そもそも北朝鮮と日本の関係自体が秘密とされておりますし、当時の国際情勢の下ではとてもそんなことはできません。

 

 

しかし、北朝鮮の側としては、北朝鮮国内がどうなっているのか、金王朝が日本とどのようなつながりがあるのか、について、日本の人たちに密かに真実を伝えたいと切望しています。

 

 そのため、北朝鮮は、公開されるわずかな情報の中に、影のメッセージを組み込み、暗号として、日本に真実を伝える方法をとったのです。

 

 これは2002年の小泉首相北朝鮮訪問直後から行われ、2014年から17年の間に、最も多くの情報が開示されました。

 

 この開示された情報に含まれた暗号を受け取り、解読に成功した方々は、2017年の時点で、真相を把握していたということです。

 

 それでは時を少しさかのぼり、読者の皆様とご一緒に、暗号を解読していくことにいたしましょう。

 

発表された消息

 横田めぐみさんは、横田滋、早紀江夫妻の長女で、新潟県新潟市に暮らしていました。当時13歳だった1977年、バトミントン部の練習が終わり、帰宅中に、北朝鮮工作員に拉致され、北朝鮮に連れていかれたとされています。

 

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横田めぐみさん(13)

 

 2002年9月の小泉純一郎首相(当時)の北朝鮮訪問の際、めぐみさんは北朝鮮で金英男という男性と結婚し、その後、1993年3月に死亡したと告げられます。そしてこの金英男という人物と写した写真が2枚、小泉首相に手渡されました。

 

金正日の渡した写真

 まずはこの時手渡された写真が、北朝鮮からの第1のメッセージです。まず1枚目はこれです。

 

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 左が金英男さん、右の女性が20代のころのめぐみさんのようです。

 

 とりあえず2人の足元にご注目ください。なんと、影がありません。左の植え込みの植物にはちゃんと影ができていますね。

 

 遠近感も明らかにおかしいですね。奥の建物に比較して、2人の身長が巨大すぎます。

 

 これは見た瞬間にわかるはめ込み合成写真ですね。もう一枚の写真も、見た瞬間にわかる合成写真です。

 

 なんで北朝鮮は、こんな見え見えの合成写真を渡してきたのでしょうか。

 

 この後の流れも踏まえて考えると、これは北朝鮮からのメッセージと思われます。

 

 つまり、めぐみさんは結婚してその後死亡しました、といいながら、嘘写真2枚を渡すことで、まずは「それはうそだよ~、真相は、考えてみてね~」というメッセージを託したものと考えられます。

 

キムヘギョンさんとの面会

 2006年、それまで横田めぐみさんの娘であると伝えられていた、キム・ヘギョン(13)さんが、来日し、横田邸で横田夫妻との面会を果たしました。

 

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キム・ヘギョン(13)

 これは横田邸におけるキム・ヘギョンさんの写真です。この面会の模様はテレビで大きく報道され、横田夫妻がヘギョンさんにおもちゃをあげるシーンや、13歳という、めぐみさんがいなくなった時と同じ年齢 のヘギョンさんに対して、「めぐみが帰ってきたようです」とのべる、横田滋さんの言葉などが、テレビで流されましたね。

 

 その後、ヘギョンさんのDNA 鑑定が行われ、めぐみさんとヘギョンさんが親子関係である確率が、99.997%となったのを受けて、横田夫妻が記者会見を開き、

 

 

「100%とどう違うんだと申し上げました。今までは横田めぐみの娘と思われるキム・ヘギョンでしたが、これからは、横田めぐみの娘、キム・ヘギョンでおねがいします」

と述べたシーンがテレビで報道されましたね。

 

ウランバートル面会事件

 その後、2014年、3月10~14日の間に、横田夫妻はモンゴルの首都、ウランバートルに赴き、キム・ウンギョンさんと面会します。

 

 その直後に、北朝鮮側から、次の2枚の写真が公開されます。

 

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 この写真こそが、北朝鮮からの第2の、そして決定的なメッセージです。

 

 ネットで、ウランバートル、キムウンギョンで検索してみてください。様々な情報が交錯しています。

 

 これらは、この写真に込められた意味を隠蔽するために行われた工作の跡です。特に下の一枚は、この写真の意味が正確に伝わってしまうと、日本政府、マスコミ、被害者の会がついてきた嘘がすべてばれてしまう、致命的な一撃となります。

 

二転三転する政府発表

 まずは、この面会はモンゴルの首都、ウランバートルにある、モンゴル政府の迎賓館で行われました。事前に通知は一切されず、報道陣も入室を許されていません。

 

 つまり、面会自体が、秘密裏に行われ、政府は面会の事実を発表するつもりがなかったということです。

 

 しかし、面会直後にまず、1枚目の写真が流出しました。そこで3月17日になって、外務省は慌てて、この面会の事実を公表します。

 

 その時は、横田夫妻が抱いている幼児がキムウンギョンで、横田夫妻はひ孫に会えてうれしかったと述べた、ということになっています。

 

 

その後、2枚目の写真が流出します。そこで政府は、実は左の女性はキムヘギョンであり、この幼児の母親であると言い出します。

 

 でもキムヘギョンは来日した2006年の時点で、13才であり、その8年後ですから21歳ですよね?この女性そんなに若いでしょうか?

 

 これを受けて政府はさらに、めぐみさんは北朝鮮に渡ったのち、1986年にキムヘギョンさんを出産し、この女性は28歳になったキムヘギョンさんであり、その子供が幼児であるキムウンギョンさんだと言い出します。

 

 では、2006年に来日した13歳のヘギョンさんはいったい誰でしょうか?計算が合いませんね。

 

 挙句の果てに、86年に生まれたのはキムウンギョンさんで、この女性はヘギョンさんではなく、ウンギョンさんだ、と言い出します。

 

 じゃあ、この幼児は誰なのでしょうか?

 

 最後には、ヘギョンはウンギョンの間違いで、ヘギョンさんは存在せず、正式にはウンギョンという名前だったといい始めます。

 

 そしてこのウランバートルでの面会が、孫との初面会だった、として、2006年のヘギョンさんの来日をなかったことにしてしまいました。そんなばかな。

 

 

現在ネットで検索すると、2006年の横田邸での面会が一切出てきません。つじつまを合わせるためのネット工作が行われたとみられます。

 

 まさに一度うそをついてしまうと、うそにうそを重ねなければならない、の典型のようです。

 

 しかし、どう取り繕っても、矛盾しているのはお分かりですね。この矛盾したそれぞれの段階の説がネットに氾濫しているので、何が何だかわからない状況になっているというわけです。

 

 この重ねられたうその数々は、すべて、2枚目の左の女性がだれなのか、を隠すために行われたものであると思われます。

 

ウランバートル事件の真実

 しかし真実は常にシンプルです。政府がうそにうそを重ねながらつじつまを合わせようとしてもどこかで矛盾が生じてしまいましたが、一切矛盾が生じない解釈が一つだけあります。それが真実だということです。

 

 2006年に来日した13歳の少女が、キムヘギョンさんです。モンゴル迎賓館で、横田夫妻が抱いている少女がキム・ウンギョンさんです。

 

 では2枚目の写真で、早紀江さんの横にいて、親しそうに肩を抱いている女性はいったい誰でしょうか。顔のつくりから明らかに親族ですね。それも昔からよく知っている人物のようです。

 

 そうこの女性こそが、13歳の時に日本を離れ、当時49歳となった、横田夫妻の長女、

 

 横田めぐみさん、その人なのです。

 

北朝鮮からのメッセージ

 この写真を流出させたことによる北朝鮮からのメッセージその1は、もちろん

 

横田めぐみさんは生きているよ~」です。

 

 もう一つは、日本政府が横田夫妻がめぐみさんとひそかに面会していることを暴露することによって、

 

 「拉致事件は嘘だよ~」ということを、日本国民に伝えたというわけです。

 

 まあ、いずれにせよ、この写真が流出した時点で、横田夫妻の主張は破綻していると考えていいでしょう。

 

めぐみさんの北朝鮮での立場

 というわけで、横田めぐみさんは生きていて、ひそかに両親とも会っていることが明らかになったわけですが、それではめぐみさんは北朝鮮でどのような立場で、何をしているのでしょうか?

 

 これについても北朝鮮が、答えを示してくれています。

 

 北朝鮮は、2015年の朝鮮労働党結党70周年式典の際、指導者である金正恩が、身ごもった際の記念式典の写真を公開しました。それがこれです。

 

 

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 真ん中にいるサングラスをかけて帽子をかぶった人物が、当時の最高指導者で、金正恩の父である、金正日です。

 

 周りに親族の男性と、奥に後宮の女性が控えています。そして前列に並ぶ5人の女性が、金正日の妻たちです。

 

 金正日には5人の妻がいるとされてきましたが、その全員の顔が公開されたのはこれが初めてです。

 

 右から2人目、黄色い服を着た女性にご注目ください。北朝鮮の発表ではこの人物は、第3夫人の高容姫です。

 

 これ、めぐみさんですよね?

 

1984年の写真ですから、当時19歳でしょうか。なかなか美しい王妃様です。

 

北朝鮮からのメッセージはもちろん、

 

横田めぐみさんは金正日の妻の一人だよ~」です。

 

 ということで、横田めぐみさんはなんと、金正日の5人の妻の一人に参列されていたということがわかりました。

 

金正恩の母親は?

 残る問題は、金正恩の母親は、この5人のうちのいったい誰なのか、ということです。

 

 北朝鮮の公式発表で、金正恩の母親とされているのは、第二夫人の高英姫です。この人物ですね。

 

 

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 さらに、金正恩の回想として、母は、日本生まれで、日本人と朝鮮人のハーフである、と語られています。

 

 この高英姫は、大阪の在日朝鮮人女性の娘で、北朝鮮にわたり、喜び組に入隊して、そこで見染められて、金正日の妻となりました。金正日からは、日本名で「あゆみ」と呼ばれていたそうです。

 

 これらの情報から、高英姫の父親は日本人なんだろうな、と思われていました。

 

 そして2017年、北朝鮮の高官が謎の発表を行います。それは、

 

金正日夫人の高英姫の父親は、日本のプロレスラー大同山又道である」

 

というものです。なんでこの時期にこれを単独で発表する、と不思議に思った方が多かったようですが、これが実は北朝鮮からの最後のメッセージ、パズルの最後のピースです。

 

 大同山は、もともと柔術家で、その後プロレスに転向し、日本のプロレスの草創期を作った人物です。力道山の一世代前の方ですね。

 

 有名人なので、当然系図が残っています。両親ともに朝鮮人です。

 

 つまり、高英姫は、両親ともに朝鮮人であり、金正恩自身が言った「母は日本人と朝鮮人のハーフ」の条件に当てはまらないことになります。

 

 しかし、金正日の5人の妻のうち、この条件に当てはまる人物が一人だけ残っていますね。

 

 それはもちろん、日本で生まれ、日本人の父滋さんと、朝鮮人の母早紀江さんの間に生まれた、横田めぐみさんです。

 

 北朝鮮からのこの謎の政府高官発表は、

 

金正恩の母親は、横田めぐみさんだよ~」というメッセージだったのです。

 

                              つづく

 

 

 

 

41 北朝鮮の真実8 横田めぐみさんは金正恩の母親だった!?拉致問題をめぐる謎②

 

 2021-03-03

 

 

早紀江さんの血統

 それでは、なぜ横田めぐみさんは、北朝鮮渡航し、金正日の妻となり、金正恩を生むことになったのでしょうか。

 

 2017年以降、横田めぐみさんが金正恩の母である、という説がネット上を席巻し、それに応じて、横田家の人々の近親者や、友人などからの情報リークが相次ぎました。

 

 

それらを総合すると、めぐみさんが北朝鮮渡航するに至った最大の原因は、母である横田早紀江さんの血統にあったようです。

 

李王家の末裔

 朝鮮半島は、1392年から1897年まで、長きにわたり、李氏朝鮮が治めていました。李氏朝鮮は、代々李家が王位を世襲し、清の属国となっていました。

 

 1894~95年にかけて行われた、日清戦争によって、日本の力で朝鮮は清から独立を果たし、大韓帝国が成立します。

 

 

大韓帝国は、李氏朝鮮の王族であった李家の当主がそのまま皇帝を務めました。初代皇帝は、李氏朝鮮最後の王であった、高宗です。

 

 1907年、高宗は退位し、息子の純宗(李拓)に皇位を譲ります。この時、純宗の弟である李垠(り ぎん)が皇太子となります。

 

 1909年、伊藤博文が暗殺され、翌1910年、大韓帝国大日本帝国に併合されます。朝鮮半島は、大日本帝国の領土の一部となったわけです。

 

 大韓帝国は消滅し、皇帝はいなくなりましたが、李家の一族は、日本に迎え入れられ、準皇族としての待遇を受けます。

 

 日本では天皇の直系男子は親王、それ以外の皇族男子は王と呼ばれますが、李家の人々はこの王の称号を与えられ、李王家が新設されました。

 

 

高宗は特別に太王の称号を与えられ、純宗と李垠には、王の称号が与えられました。東京赤坂に李王家の邸宅が作られ、3人は東京に住むことになりました。

 

 この李王家の邸宅は、二次大戦後に李王家の廃絶とともに取り壊され、跡地に赤坂プリンスホテルが建設されることになります。

 

梨本の宮方子女王の結婚

 日本は、日韓融和の証として、この李王家と日本の皇族との結婚を進めていきました。その一環として、1920年日本の皇族、梨本の宮方子(まさこ)女王と、李王家の李垠王の婚儀が行われました。

 

 梨本の宮方子女王は、一時は裕仁皇太子(のちの昭和天皇)の妃の第一候補として、名前が挙がったこともある人物です。

 

 

 李垠は、陸軍士官学校を卒業し、陸軍軍人としての人生を歩みます。1945年の終戦時には、陸軍中将にまでのぼり詰めていました。

 

 終戦後、李王朝が廃絶され、陸軍将官であった李垠は、公職追放処分を受けてしまいます。朝鮮への帰国も果たせず、李垠・方子夫妻は、日本において一般の在日朝鮮人夫婦として生活することを余儀なくされます。

 

 1963年の日韓国交正常化で、朝鮮半島へ帰還を果たしますが、その7年後、1970年にソウルで死去します。

 

 2人の子供は男の子は李晋(1921~22)、李玖(1931~2005)の2人が記録に残っていますが、女の子については記録が残されていません。

 

 しかし、この2人の間に、1936年に女の子が生まれていて、それが李早紀江さんだということです。

 

 この李早紀江さんが、1963年、横田滋さんと結婚して、横田早紀江さんとなり、翌64年、めぐみさんを生んだということのようです。

 

 私もこの情報は最初は半信半疑でしたが、2人の写真を見比べてみると、合点が行きます。

 

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 左が、晩年の梨本の宮方子女王、右が横田早紀江さんです。

 

 これはもう、似ているを通り越して、同一人物であるといっても通用するレベルなのではないでしょうか。

 

横田めぐみさんは、金王朝の皇后として招聘された

 もう一度、情報を整理してみましょう。

 

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 上の系図をご覧ください。横田めぐみさんの母、早紀江さんは、日本の天皇家、および、朝鮮の李王家の両方の血を引いていることがわかります。

 

 この血は、娘のめぐみさんにもそのまま流れています。

 

 そして、そのめぐみさんの血を引いた指導者が、金正恩です。

 

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金正恩

  

  2011年12月17日、金王朝2代目の指導者、金正日が死去しました。金正恩は、この2日後、12月19日の金正日死去の発表と同時に、次期指導者として報道されました。

 

 この後継指導者としての決定の異常な速さは、金正恩の指導者就任に反対する勢力が全くなかったことを示しています。

 

 それはそうです。金正恩は、由緒ある朝鮮の王家である、李家の血をひいています。さらには父親が、北朝鮮の建国者、畑中理の息子であり、さらには横田めぐみさんを通じで、日本の皇族の血も引いているのです。

 

 北朝鮮を建国し、統治している旧日本軍の残地諜者にとっても、統治されている新羅系韓族にとっても、ともに王族の血を引いているわけです。

 

 北朝鮮の統治者として、これほど望ましい血統はほかに考えられません。誰が彼の即位に反対することができるでしょうか。

 

 金王朝の血統は、3代目、金正恩において、完成を見たということができます。

 

 そして横田めぐみさんは、金王朝の血統を完成させるため、金王朝皇后陛下として、白羽の矢を立てられ、北朝鮮に丁重に迎え入れられたのです。

 

拉致問題成立の経緯

 さて、少し時間をさかのぼって、そもそも問題視されていなかった、この17人の人物のヘッドハント、北朝鮮への移住が、なぜ、北朝鮮による「日本人拉致事件」として、問題となったのかを考えてみましょう。

 

 彼らの北朝鮮への移住が行われたのは、1977年から84年にかけてでした。この時は別に何の問題も起こっていなかったわけです。移住は合意の下で平和裏に行われ、日本、北朝鮮どちらも、問題が起きたという認識はありませんでした。

 

 しかしこの平和な状態を、いきなりひっくり返してしまう大事件が発生します。

 

 1987年に起きた、大韓航空機爆破事件です。

 

大韓航空機爆破事件の衝撃

 87年11月27日、中東に出稼ぎに来ていた韓国人労働者を乗せた大韓航空858便が、バクダットを発ち、アブダビ経由でタイのバンコクに向かう途中、ミャンマー上空で空中分解し、乗客乗員115名全員が死亡しました。


 事件発生当時は、航空機の機体の不良が原因といわれていたのですが、調査が進むにつれて、爆弾テロであることが明らかになっていきました。


 実行犯は北朝鮮の2人の工作員、金勝一と金賢姫です。

 

 2人はバクダットで858便に乗り込み、時限装置つきのプラスティック爆弾と液体爆弾が入った酒瓶を手荷物として持ち込み、手荷物を航空機のハットトラックに置いたまま、アブダビで降機しました。爆弾は時限装置によってミャンマー上空で爆発し、機体は空中分解したというわけです。


 2人の工作員は偽造の日本国のパスポートを使用しており、事件発生前から当局にマークされていました。事件発生当日からマナーマのホテルに宿泊し、30日午後、バーレーンからローマに向かう航空機に乗り込むところを、バーレーンの警察官および日本大使館職員に身柄を拘束されました。

 

 2人はその場で服毒自殺を図ります。これによって金勝一は死亡しますが、金賢姫の方は一命を取りとめ、3日後に意識を取り戻します。


 バーレーン警察の取調べの後、金賢姫の身柄は韓国に引き渡されました。

 

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金賢姫

 韓国警察による金賢姫の取り調べの模様は、日本のマスコミで連日報道されました。

 

 金勝一と金賢姫は、北朝鮮工作員で、翌1988年に行われるソウルオリンピックの妨害のために、韓国の信用を低下させることを意図して事件を起こしたことが明らかになります。


 さらに、捜査の過程で、金賢姫が蜂矢眞由美という名で日本人に成りすましていたこと、彼女に北朝鮮で日本語や日本文化や日本人の立ち居振る舞いをを教えていたのが、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性であったことがわかります。

 

 この、李恩恵が日本人だったのではないか、ということになり、捜査が進められました。

 

 金賢姫の供述を基に似顔絵が作られ、警察によって全国各地に「昭和55年以前に行方不明になったこの女性を知りませんか」というポスターが貼られました。

 

 その後1991年になって、埼玉県警察警備部の調べで「李恩恵」が1978年に行方不明となった田口八重子と同一人物ではないかと推定され、警察庁から2人の担当官がソウルへ行き、ソウル大使館政治部の警察庁出身の者を同行させ金賢姫と面会しました。

 

 同年輩の女性の顔写真10枚ほどが準備されました。田口八重子の写真をこの中に混入し、「このなかに教育に当たった女性がいるか」と金賢姫に示すと、1枚1枚写真を見ていた彼女は田口八重子の顔写真を見て、「この人です」と言ったということです。

 

 ここでマスコミが、日本人である田口八重子さんが、北朝鮮に拉致されていた、と騒ぎ出し、ほかにも被害者がいるのではないか、と言い始めました。

 

 それから77~78年の間に行方不明となっていた人物が次々と見つかり、「17人の人物が北朝鮮に拉致された」と騒ぎ始めたというわけです。

 

韓国とマスコミによって作られた拉致事件

 北朝鮮に納得ずくで渡航した日本人の家族は、渡航後、警察に捜索願を提出し、行方不明事件として処理していました。

 

 当時日本と北朝鮮は正式な国交がなかったので、北朝鮮への渡航は、秘密にしないといけません。

 

 しかしただ、何も処理せずいなくなると、後で大騒ぎになって面倒なので、一応捜索願を出し、当然見つかりませんので、行方不明扱いとなり、戸籍上の問題をクリアしていたというわけです。

 

 マスコミは、ここにつけ込み、「捜索願が出ていた、誘拐だ~」とさわぎ、「北朝鮮工作員による拉致にちがいない」と騒ぎ立てました。

 

 このマスコミによる大騒ぎの中で、遺族は、「実は○○は、北朝鮮渡航したんですよ」とは言いだせなくなってしまい、そのままマスコミに同調します。

 

 その後、日本政府から多額の補助金(次記事で詳述)を支給されることになり、いつの間にか被害者の会ができてマスコミにもてはやされるようになってしまい、後に引けなくなってしまったということです。

 

 これはなかなか巧妙な、事件のでっち上げと思われます。

 

 韓国としても、ディープステートに支配されたマスコミとしても、日本と北朝鮮の離間工作ができればばんばんざいです。

 

 結局北朝鮮への納得ずくのヘッドハントは、いつのまにか、北朝鮮による日本人拉致事件として、一人歩きを始めてしまったのです。

 

 

42 北朝鮮の真実9 日朝首脳会談の茶番。どっちが日本の味方なの!?

 

 

 2021-03-05

 

 

日朝首脳会談の開催

 2002年9月17日、平壌の百花園招待所にて、日朝首脳会談が行われました。出席者は、日本側は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎北朝鮮側は、国防委員長(当時)金正日です。

 

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 小泉首相の後ろに、会談に同席した安倍晋三氏の姿も映っていますね。

 

 報道によると、

 

北朝鮮側は、日本人を拉致した事実を認め、謝罪した。 日本側の安否確認に対して、北朝鮮側は地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子の4人の生存を明らかにし、横田めぐみ田口八重子、市川修一、増元るみ子、原敕晁、松木薫、石岡亨、有本恵子の8人を「死亡」と発表した。 更に、日本側も把握していなかった曽我ひとみの拉致・生存と、横田めぐみの娘の生存も明らかにした。

 となっています。この会談は、やはり日本政府の規制対象になっているようで、この時の報道の記事はすべてネット上から削除されているようです(みなさんも探してみてください)。政府はこれをなかったことにしたいようです。

 

 参考までに、首相官邸と外務省の該当サイトのリンクを貼っておきましたので、ご参照ください。

 


 


 

首脳会談の裏側

 この日朝首脳会談は、日本側と北朝鮮側で、全く異なった意味づけを持っていました。まずは、会談に至る経緯を見てみましょう。

 

 前記事でのべたように、拉致問題は、91年に初めて問題となりました。きっかけは、大韓航空機爆破事件の実行犯とされる、金賢姫が、自分に日本の習慣を教えたのが、かつて行方不明になっていた、田口八重子だと自供したからです。

 

 しかしこれは、韓国国内における、韓国警察の捜査を基にしたものです。金賢姫自身が本当に実行犯だったのか、本当に田口八重子が教育官だったのかについては、様々な異論が残されています。

 

 なにはともあれ、この自供に、日本のマスコミが群がり、単なるヘッドハントであった北朝鮮への移住を、北朝鮮による日本人の拉致として騒ぎ立て、「拉致事件」を創作していったわけです。

 

 このころには、拉致被害者の会も発足し、移住者の遺族がマスコミに協力する形で、騒ぎは大きくなっていきました。

 

 ディープステート支配下にあった、日本政府もこの騒ぎに便乗し、遺族に補助金を与え、マスコミの工作に協力していく形をとっていました。

 

 ディープステート幹部の一人である、小泉純一郎氏は、国内におけるこの流れを決定的なものにし、日本国民と北朝鮮国民をいがみあわせ、両国の分断を決定的なものにするために、この会談を設定したものと思われます。

 

 北朝鮮側は、拉致事件なんて全く身に覚えがありません。単なる納得ずくの人材ヘッドハントですから。しかし北朝鮮側は、日本との国交樹立を切望していました。この国交樹立の契機として、史上初の日朝首脳会談に応じたというわけです。

 

日朝平壌宣言の欺瞞

 結果として、この日朝首脳会談は、とんでもない茶番劇となりました。

 

 まずは、平壌空港で、専用機から降り立った小泉純一郎首相を、金正日委員長自ら出迎え、握手を交わします。その時、金正日委員長が、小泉氏に言い放った一言は、

 

「お互い、外国人の指導者どうしが会談するとは、皮肉なものですね」

 

というものです。小泉氏は、苦笑いを浮かべていました。

 

 これは、日本人である、北朝鮮の指導者金正日氏と、朝鮮人である、日本の指導者小泉純一郎氏が、互いに会談することを、皮肉ったものと思われます。

 

 会談自体は10分で終わり、あとは雑談と会食パーティーです。ついでに北朝鮮国内の観光も行って、2日間の日程の終わりに、すでに双方合意の下で用意されていた、日朝平壌宣言が締結されました。

 

 原文は外務省のサイトにあります。短い宣言ですので、下のリンクから、ぜひ一度、目を通してみることをお勧めします。

 


 

 御覧のように、平壌宣言には、「拉致事件」については、一言たりとも触れられていないのがお分かりになると思います。

 

 これは双方の立場で、都合のいいように解釈できる、玉虫色の条文になっています。

 

日本の立場

 まずは日本側は、この条文をどう解釈したかを見てみましょう。

 

 平壌宣言における、拉致問題?についての言及と言われるのは、前文における、

両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

 という記述と、第3章の

3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

という記述だけです。この、「 日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題について」

「このような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。」という表現を、日本のマスコミは、「北朝鮮拉致問題を認めて謝罪した。」と解釈して報道しているわけです。

 

 まず、「拉致問題」なんて一言も言ってませんし、謝罪の言葉なんて一言もありません。懸案問題は、ミサイル発射かもしれないし、公海上での漁船拿捕かもしれません。それを気を付けると言っているだけですね。

 

 私の読解力では、この表現から、拉致問題を認めて謝罪した、という結論を導くことはとてもできません。みなさんはどうでしょうか?

 

 さらに注目すべきは、第2章の

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。

 という文言です。なんで拉致問題について文句を言っているはずの首相が、過去の植民地支配を謝罪しているのでしょうか。

 

 この文章は、北朝鮮側が必要ないといったのにもかかわらず、小泉首相が絶対入れてくれ、と言ってねじ込んだ文章です。

 

 小泉首相(と、背後にいるDS 、韓国・中国勢力)は、何が何でも、2次大戦において日本が悪事を働いたことにしておかないと都合が悪いので、こんなところに拉致問題とは全く関係ない、謝罪文を忍び込ませているわけです。

 

 北朝鮮は一言も謝罪を要求していないのに、なぜか日本が勝手に謝罪をしているわけですね。

 

北朝鮮の立場

 北朝鮮にとっての日朝首脳会談の意義はもちろん第一章に

1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

と書かれています。日朝国交正常化ですね。

 

 日朝間の問題を解決すると補足されていますが、「日朝間に存在する諸問題」の「諸」にご注目ください。これはもちろん拉致問題ではなく、国交正常化に至る手続き上のいろいろな問題という意味に解釈するのが妥当でしょう。

 

 北朝鮮は、もともと大日本帝国陸軍が建国した国ですので、日本と国交正常化を果たすのは、まさに建国の悲願であるわけです。あともう一つは、第2章の後半、

 

双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。

 です。日本と国交正常化を果たしたうえに、補助金までもらえるのですから、北朝鮮にとってはまさに願ったり、叶ったりです。

 

 拉致問題?そんなの知らないよ。だってそもそもそんな問題、存在してないじゃん、条文にも書いてないし、日本の国内のマスコミがでっち上げた問題だろ、そんなのそっちの国内で対処してよ、ということです。

 

 実際にこの日朝首脳会談について、北朝鮮国内では、

「日本が我が国に、国交正常化を求めてきた。我が国は快くこれに応じた。」

と報道されており、拉致問題のらの字も報じられていません。

 

北朝鮮からの帰還者とは

 では、この時北朝鮮から帰還した5人の人物は、いったい何だったのでしょうか?

当時の小泉首相金正日委員長の会話を再現してみましょう。

 

金「日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交樹立を心から歓迎します」

小泉「どうもありがとう。ところで、日本から移住した人たちの件なんだけど、あの人たち、帰国させてくれないかな?日本国内のマスコミがうるさくてさ」

金「困りましたね。あの方たちは皆、わが国で高い地位を占め、必要不可欠な方々です。一人は私の妻になってますしね」

小泉「そこをなんとか。俺の顔を立ててよ。何人か一時的に帰してくれるだけでいいからさ」

金「では、比較的役割が少ない人物を5人ほど一時帰国させましょう。5年間たったら、わが国に、返してくださいね」

小泉「わかった、わかった。ありがとう。あとの人たちは死んだことにしとけば、あとは俺が何とかするよ」

 

 なんてかたちで、金正日は、日本からの移住者を5人、5年間だけ一時帰国するという形で、提案を飲んだわけです。

 

 しかし日本のマスコミは、「北朝鮮拉致事件を認めた~。5人の拉致被害者を取り戻した~」と騒ぎ立てたわけですね。

 

 もちろんこの5人は、日本に帰国したことになり、5年たっても北朝鮮には帰っていません。

 

 小泉首相としては、拉致被害者帰国の業績をあげたことになり、金委員長としては、日本が、移住者の一時帰国の約束を破った、と主張することができるわけです。

 

いずれにしても、キツネとタヌキの化かしあいですね。

 

 

 

 

43 北朝鮮の真実10 北朝鮮のミサイル発射の真意は!?北朝鮮は今も日本を守っている。

 

 

 2021-03-08

 

 

北朝鮮によるミサイル発射

 1990年代に入ると、北朝鮮による、日本海黄海・太平洋へのミサイル発射が頻繁に行われるようになりました。

 

 ミサイルの発射目的は、初期のころと、2000年代に入って以降は大きく異なると思われます。

 

 

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北朝鮮から発射されたミサイルの軌道
 1990年代のミサイル

 1990年代に北朝鮮は1993年と1998年の2回にわたり、ミサイルを発射しています。

 

 1発目は1993年5月29日に発射され、日本海に着弾しました。その後、2発目は、1998年8月31に発射され、こちらは津軽海峡付近の日本列島を通過し、太平洋に着弾しました。

 

 ロケットの1段目が日本海に、2段目が太平洋に落下し、マスコミでも大きく取り上げられましたので、ご記憶の方も多いと思います。

 

 この2発のミサイルの発射目的は、「日本へのメッセージ」です。

 

 一つ目のメッセージは、「こっちはもう準備ができているよ」です。もう一つのメッセージは、「そっちもそろそろ目を覚ませよ」です。

 

 何の準備ができているのでしょうか?一つは、終戦直後から開発してきた核兵器が、もうできてるよ、という準備です。こちらは50年代にはすでに開発が終了していたのですが、一般の日本人は知りませんでした。それを日本人全体に知らせたということです。

 

 そしてもう一つは、「第2次大東亜戦争」の準備が整ったよ、ということです。

 

 北朝鮮を建国した、残地諜者の悲願は、第2次世界大戦のスローガンであった、大東亜共栄圏の再構築です。

 

 あの時は、本国日本がアメリカに占領され、その後植民地の独立を達成したものの、またもやアジア諸国は欧米の経済的収奪を受けるようになっています。

 

 それを跳ね返し、大東亜共栄圏を再び実現するための、準備が整ったよ、ということです。

 

 しかし日本は、自虐史観が横行し、中国・韓国による収奪が行われています。

 

 この日本の現状を見て、「お前らそろそろ目を覚ませよ。俺たちがせっかく一生懸命やっているのに、肝心の本国が眠っててどうする」というメッセージを込めて、日本近海にミサイルを撃ち込んだというわけです。

 

 ちなみに、北朝鮮製の核兵器とミサイルは、日本から渡航した優秀な技術者が開発しておりますので、狙いを外すことはありません。この2発は、わざと外して撃っているわけです。

 

 日本にミサイルを命中させてしまっては、そもそも残地諜者にとっては元も子もありませんので。

 

2000年代のミサイル

 その後8年間は何事もなく過ぎ去りました。しかし、2006年から、再び北朝鮮は、ミサイル発射を繰り返すようになります。

 

 こちらは90年代とは異なり、毎年大量のミサイルを何度も打ち込むというスタイルになります。

 

 2006年7月5日に日本海へ7発、2009年4月5日に太平洋へ1発、2012年は4月と12月に1発ずつ、2013年は5月18日から20日にかけて日本海へ合計6発、2014年は6月19日に日本海へ数発、2016年は2月7日に東シナ海へ1発、2017年は2月から11月にかけて合計16発、2019年は4月から11月にかけて合計15発です。

 

 これらのミサイル発射の目的は、1~2発の場合はミサイルの性能実験、何発も集中して打ち込む場合は、周辺諸国へのけん制です。

 

 

 2006年と13年は、日本海に艦隊を展開する韓国軍の間近に大量のミサイルを着弾させ、これをけん制しています。

 

 2012年と16年は、東シナ海に部隊を展開する中国艦隊の間近に打ち込み、行動をけん制しています。

 

 2017年と19年は、太平洋上を大きく飛び越え、アメリカをけん制するとともに、日本海黄海にも打ち込んで、韓国・中国をけん制しています。

 

 2000年代の北朝鮮のミサイル発射は、日本の周辺諸国の軍事行動に脅しをかけるという、すでに実際の軍事目的に即した運用がなされているわけです。

 

 

これらはすべて、日本が動けない状態にあるときに、日本に代わって、日本近海を脅かす外国の艦隊に向けて行われているのがわかると思います。

 

 アメリカについては、現在では日本の同盟国となっていますが、北朝鮮に残る残地諜者の感覚では、いまだに敵国です。

 

 2次大戦終戦直後の、アメリカに核ミサイルを撃ち込んでやる、という目標は、彼らの中で、いまだに生き続けているのです。

 

 北朝鮮にとって、第2次大東亜戦争は、すでに始まっているのです。

 

延坪島砲撃事件

 北朝鮮の軍事行動は、牽制だけではありません。日本が身動き取れない状態で、他国が進攻しようとしたときには、朝鮮戦争の時と同じように、現代でもしっかり軍事行動を起こしてくれます。

 

 それが、2010年11月13日に発生した、延坪島砲撃事件です。

 

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延坪島砲撃事件

悪夢の民主党政権

 この事件が発生した時、日本の首相は民主党菅直人が務めていました。

 

 民主党政権は、「悪夢の民主党政権」とよばれています。何が一体悪夢なのかというと、この政権の時代に、実際に日本国は、その領土を失う危機に何度も直面したからです。

 

 2010年9月7日には、中国漁船衝突事件が発生します。菅政権はこの事件の真相を国民から隠そうとしましたが、海上保安庁職員、Sengoku38こと、一色正春氏の勇気ある告発によって、事件の一部始終が国民に知られることになります。

 

 

 しかし政府は、中国漁船の船長を釈放し、中国に身柄を引き渡してしまいます。この態度を見た周辺諸国が、一斉に日本の領土をかすめ取ろうと牙をむきます。

 

 2012年にはロシアのメドベージェフ首相が北方領土に上陸し、韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、ともに自国の領土として確定しようとします。

 

韓国・中国部隊の集結

 このような流れの背景には、民主党政権が、まったく日本の国土を守る気がなかったということが挙げられます。

 

 彼らは、骨の髄まで自虐史観に染まった人たちなので、日本が占領されればいい気味だぐらいに思っていたのでしょう。

 

 

中国漁船衝突事件で、船長が中国へ送還された直後の、2010年10月20日対馬侵攻を目指して、韓国軍が釜山に軍を集結させます。

 

 中国においても、人民解放軍が、瀋陽軍区の北朝鮮との国境地帯に、30万の軍を集結させます。

 

 この様子を衛星から監視していた米軍から、日本政府に連絡が入ります。しかし、菅首相は何もしませんでした。

 

 米軍は、韓国軍に警告を発しますが、韓国軍はこれを無視し、中国軍とともに、対馬侵攻の準備を進めます。

 

 ついに自衛隊が、政府を無視して動き始めます。こういう時のために、2006年、自衛隊統合任務部隊(JTF)が作られ、統合幕僚監部が創設されていました。

 

 これは陸・海・空の3つの自衛隊を幕僚監部からの指令で、統一して作戦を実行するシステムで、この時このシステムが初めて稼働しました。

 

 自衛隊は、まったく動く様子のない菅直人首相、北沢俊美防衛相の指示を待たず、独自の判断で、日本海に部隊を展開、米軍が同地域に艦隊を派遣します。

 

 日本海を挟んで、韓国・中国軍と、自衛隊・米軍のにらみ合いが続きました。

 

延坪島砲撃開始!

 そして、北朝鮮が動きます。11月23日、14時34分、北朝鮮は、韓国との国境沿いにある大延坪島に向けて、170発の砲弾を発射します。

 

 そのうち、80発が島に命中、島に駐留していた韓国軍の陣地を火の海にします。

 

 これを見て、韓国軍は釜山に集結していた部隊を、引き返させ、延坪島の防衛に当たらせます。

 

 これによって、日本海をまたぐにらみ合いは終了し、対馬侵攻の危機は回避されたというわけです。

 

北朝鮮の絶妙のアシスト

 日本は朝鮮戦争に続き、またしても、まったく身動きできない状況での韓国の野望を、北朝鮮によって、阻止してもらったわけです。

 

 北朝鮮によるミサイル発射も、延坪島砲撃も、すべて日本にとっての北朝鮮からのアシストであることがお分かりいただけたと思います。

 

 

44 北朝鮮の真実11 北朝鮮と中国の腐れ縁は金正恩が断ち切った!? 二転三転する北中関係の謎。

 

 2021-03-10

 

 

金正恩の行った大粛清

 2011年12月17日、金正日が死去し、2日後の12月19日に、国営の朝鮮中央放送によって、金正日の訃報とともに、金正恩が、後継の北朝鮮指導者であることが内外に示されました。

 

 翌2012年1月28日、金正恩は、社会主義企業責任管理制や圃田担当責任制などの、資本主義化政策を実施します。

 

 

同時に金正恩は、2012年から13年にかけて、軍上層部及び与党朝鮮労働党上層部の大量粛清を実行します。

 

 2013年8月には、「銀河水管弦楽団」の音楽家など9人を、ポルノ映像制作の容疑で公開処刑しました。

 

 同年12月には、叔父で金正日の腹心だった、張成沢を処刑します。

 

 その後、粛清は党幹部と政府高官に及び、結局2015年までに70人余りの国家上層部の人々が粛清されることになりました。

 

 2017年2月13日に、マレーシアの首都、クアラルンプールのホテルで、兄である金正男を毒殺し、粛清は完了します。

 

中国と結びついた勢力

 この時粛清の対象となったのは、中国と結びつき、北朝鮮内部に潜り込んでいたディープステートたちです。

 

 音楽家のポルノ映像制作の件では、北朝鮮の女優が出演していたとして報道されましたが、これはようするに、ディープステートたちがやっていた、児童性愛映像を押さえたということです。

 

 彼らは北朝鮮でも、同じようなことをやっていたわけです。

 

 建国から60年余り経過する間に、北朝鮮国内にも、ディープステートが入り込んでいたのです。彼らは、中国経由で国内に入り込んでいました。そしていつものやり方で北朝鮮の高官たちを篭絡し、北朝鮮国内で、ある程度の勢力を持つに至ったわけです。

 

 この背景には、北朝鮮が、この時に至るまで中国との関係を切ることができなかったという事情があります。それはどうしてか、少し時間をさかのぼって見てみましょう。

 

中国共産党を援助した大日本帝国陸軍

 大東亜戦争の開戦に先立ち、1937年から、日本と中国の間で日中戦争が行われていました。戦っていたのは、関東軍、すなわち大日本帝国陸軍中国方面部隊と、蒋介石を指導者とする中華民国の国民党軍です。

 

 このとき中国国内には、毛沢東を指導者とする中国共産党軍がいました。蒋介石はこの共産党軍を主な敵とみなし、日本軍よりも共産党軍と優先して戦っていました。

 

 

 日本陸軍は、これを見て、蒋介石の国民党軍の力をそぐために、毛沢東共産党軍に、武器・弾薬や資金や食料を援助しました。

 

 陸軍の思惑通り、共産党軍は成長し、蒋介石軍を苦しめたのですが、決着がつく前に、1945年、本国日本が降伏してしまいます。

 

なぜ共産党国共内戦に勝利できたのか

 日本軍が撤退した後の中国で、1946年から、蒋介石の国民党と、毛沢東共産党による内戦、いわゆる国共内戦が勃発します。

 

 普通に考えれば、日本軍と戦った、中国の正規軍である国民党軍が、非正規軍の共産党軍を圧倒しても不思議ではありません。

 

 

しかし、世界中の予想を裏切り、毛沢東共産党軍は、国民党軍に勝利し、蒋介石は台湾に逃亡、1949年、毛沢東によって、中華人民共和国が建国されます。

 

 なぜ、非正規のゲリラ軍である共産党軍は、正規軍である国民党軍に勝利を収めることができたのでしょうか。

 

 その理由は、二次大戦後に、東南アジア諸国が、宗主国相手の独立戦争に勝利し、ベトナム戦争で、北ベトナムのベトコンが、アメリカ軍に勝利した理由と同じです。

 

 中国国内に残る、残地諜者と、大日本帝国陸軍の残党が、共産党軍に紛れ込み、共産党軍に戦術を指南し、ともに戦ったからです。

 

 旧陸軍の残党たちにとって、国共内戦は、まさに日中戦争の第2ラウンドとでも呼ぶべき戦いでした。

 

 8年間にわたって戦い抜き、ついに決着がつかなかった、蒋介石の国民党との戦いは、ここにおいて決着を見た、というわけです。

 

北朝鮮と中国の蜜月時代

 というわけで、1950年の時点で、残地諜者が建国した国は、世界に2国あったわけです。

 

 金日成を指導者とする北朝鮮と、毛沢東を指導者とする中華人民共和国です。

 

 この時代、この2国は、同じ建国思想を共有し、とても仲が良く、いいパートナーシップを築いていました。

 

 北朝鮮はディープステート支配下の西欧諸国からにらまれ、経済封鎖を受けており、中華人民共和国も、初期のころは資本主義諸国と絶縁状態で、同じ社会主義国ソ連とも、国交がなかったので、この2国の間で貿易を行い、ともに経済的利益を得ていたわけです。

 

 朝鮮戦争の時も、金日成毛沢東は互いに面識がなかったにもかかわらず、北朝鮮があっさり中国の援軍を受けることができた背景には、お互いの指導者の背後に控える、日本軍の残地諜者の働きかけがあったのです。

 

毛沢東の暴走と中国の闇落ち

 しかし中華人民共和国の指導者、毛沢東がかなりの曲者でした。

 

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毛沢東

 彼はもちろん、中華人民共和国の建国に、日本軍の残党たちが果たした役割を熟知していました。実際に、何度も、建国に際する日本軍の貢献に感謝する発言をしています。

 

 しかし、残地諜者たちに担ぎ出されて指導者となった金日成と異なり、毛沢東は、日本軍による援助が始まる前から、中国共産党の指導者でした。

 

 

また、残地諜者の政策によって、中国国内における毛沢東の神格化が行われ、疑似天皇制に近いシステムが構築されるにつれて、毛沢東の力はどんどん高まっていきました。 

 

 毛沢東は、自らの政策に口出ししてくる残地諜者たちを、疎ましく思うようになり、中国国内に残った残地諜者たちは、次々と毛沢東によって粛清されていきます。

 

 その後、毛沢東が、大躍進政策文化大革命の失敗によって、失脚し、死後、4人組が粛清されると、中華人民共和国の実権は、ディープステートの手下である、鄧小平へと移っていきます。

 

 この時点で、毛沢東の粛清と、革命の動乱の中で、中国に残る残地諜者たちは殲滅されてしまっていました。

 

 鄧小平は、一人っ子政策を実施し、2人目以降の子供たちを売り飛ばし、武漢にアドレノクロム精製施設を建設して、外貨を稼ぎ、中国は経済成長を遂げていきます。

 

 結局、中華人民共和国は闇に落ち、中国共産党はディープステートの巣窟となってしまったわけです。

 

 この辺について詳しくは、当ブログ

 


 

 の記事をご参照ください。

 

北朝鮮と中国との腐れ縁

 中国がこのような状態になってしまった後でも、北朝鮮は中国との縁を切ることができませんでした。

 

 この時代の北朝鮮は、頼みの綱の本国日本との補給路を断たれ、資本主義国からも社会主義国からも経済封鎖を受けて、事実上の鎖国状態でした。

 

 最後の頼みは、隣国中国との貿易であり、中国がディープステート支配下に落ちた後であっても、中国との経済的関係を切ることはできなかったわけです。

 

 この時代に、北朝鮮国内に大量のディープステートが侵入し、北朝鮮国内は、従来からの親日派と、新たに形成された親中派との間で主導権争いが行われるようになります。

 

武器輸出による経済発展

 このような北朝鮮国内の閉塞状態を打開したのは、皮肉なことに、前記事でのべた、1990年代から始まった、北朝鮮のミサイル発射でした。

 

 度重なるミサイルの発射と、その打ち上げの成功によって、北朝鮮製の武器が、世界中の闇市場で高い評価を受けるようになります。

 

 北朝鮮は、パキスタンや、イラン、インドなどの核保有国に、核弾頭とミサイルを輸出できるようになりました。

 

 この武器輸出による莫大な外貨収入によって、北朝鮮は経済的な飛躍を遂げることになります。

 

現在の北朝鮮

 マスコミによる報道と異なり、現在北朝鮮国内は、かなりの発展を見せています。

 

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これが平壌の街並みです。かなり高いビルが立ち並んでいますね。

 

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 遠景はこんな感じです。真ん中の三角形の建物は、平壌の中央にそびえる柳京ホテルです。

 

 国全体としては、大体日本の70年代後半から80年代前半の街並みのイメージです。平壌の中心部については、未来都市の景観を呈している場所がいくつもあります。

 

 武器輸出による安定的な外貨収入を確保することによって、金正恩は、中国との腐れ縁を断ち切り、国内の中国寄りの一派及び、国内に潜り込んだディープステートを、2015年の時点で、世界に先駆けて、一掃することができたわけです。

 

 日本国内において、北朝鮮と中国を同一視する見方が強いのは、ひとつには、2015年までの北朝鮮と中国の関係が影響しているといえます。

 

 70年代後半から2015年にかけて40年近くにわたって、北朝鮮はDS中国との関係を続けていましたので、それが人々の印象に根強く残っているというわけです。

 

 しかし現時点においては、北朝鮮と中国は、まったく独自かつ別の国家であると考えるべきでしょう。

 

 長年における世界各国からの経済封鎖に耐え抜き、ついに独自の発展に成功した北朝鮮は、なかなか骨のある国家であるということができると思います。

 

 

 

45 北朝鮮の真実12 トランプ大統領は北朝鮮の真実をすべて把握している!? 米朝首脳会談の裏舞台。

 

 2021-03-14

 

 

米朝首脳会談の実現

 2018年6月12日、シンガポールにて、史上初の米朝首脳会談が行われました。

会談したのは北朝鮮金正恩委員長と、アメリカ合衆国ドナルド・トランプ大統領です。

 

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 この会談以降、東アジアにおけるアメリカの軍事・外交は、劇的な変化を遂げていくことになります。

 

2018年までの朝鮮半島情勢

 第2次世界大戦終結時に、朝鮮半島は、38度線を境に、北はソ連、南はアメリカが占領していました。

 

 その後、韓国と北朝鮮が独立し、1950年に朝鮮戦争が勃発し、韓国をアメリカ、北朝鮮を中国が支援し、再び38度線を国境として、1953年、休戦が行われました。

 

 このとき、アメリカは、1953年10月1日、韓国と「米韓相互防衛条約」を締結し、韓国と軍事同盟を結びました。

 

 

韓国国内には米軍基地が作られ、約2万9000人の在韓米軍が駐留し、韓国軍とともに、韓国及びその周辺の防衛にあたっています。

 

 アメリカは北朝鮮と国交を結ぶことはなく、北朝鮮国内の情報は、韓国を経由して入手していました。

 

 韓国はもちろん、アメリカに対して、北朝鮮共産主義国で、資本主義の敵である、世界中の国々の反対を押し切って、核開発を強行し、ミサイルをぶっ放してくる、手の付けられない暴れん坊である、と吹き込んでいました。

 

 2017年9月3日、トランプ大統領は、ツイッターで、

 

「韓国はようやく分かってきた。私が言ってきたように、北朝鮮との対話などという融和策は意味がないことを。北朝鮮は1つのこと(核武装)しか頭にないのだ」

 

なんて述べていますので、この時点のトランプ大統領の認識は、マスコミ情報そのものであったことがわかります。

 

 さすがにトランプ大統領といえども、複雑怪奇な東アジア情勢は苦手、というか、おそらく全くご存じなかったと思われます、この時点では。

 

トランプ大統領の認識の変化

 しかし、この米朝首脳会談の直後から、トランプ大統領の発言が一変します。

 

 北朝鮮金正恩委員長に対して、「彼は信頼できる人物だ」という一方で、韓国に対しては、

 

「韓国は米国につけ込む一番の悪者だ。中国と韓国・・・奴らは右と左から我々を食いものにしてきたんだ」

 

  なんて言うようになります。さすがはトランプさん、たった一度の会談で、真実を見抜き、真の敵はどこかを正確に把握なさったようです。

 

2度目の首脳会談

 2019年2月27日~28日にかけて、ベトナムの首都ハノイにおいて、トランプ、金正恩両首脳の第2回の首脳会談が開かれました。

 

 このときは夕食会を挟んで1泊の日程で、会談が行われ、両首脳は忌憚なく意見を交わしていたようです。

 

 翌日、列車で帰国しようとした金正恩委員長に対して、トランプ大統領

 

「あなたが望むなら、我々はあなたを2時間で母国に送り届ける用意がある」

 

と言って、大統領専用機エアフォースワンへの同乗を勧めた、というエピソードが残っています。

 

 この会談の最大の特徴は、事前に用意してきた共同宣言が破棄され、宣言がなされなかったことです。

 

 マスコミは、会談は失敗だ~、なんて騒いでましたが、全く逆です。

 

 これはこの会談で、トランプ大統領が、このブログに書いたような真実を完全に把握したことを意味するのです。

 

 第一回目の会談では、事前に用意された共同宣言が締結されました。

 

(1)アメリカ合衆国朝鮮民主主義人民共和国は、平和と繁栄を求める両国国民の希望に基づき、新たな米朝関係の構築に取り組む。

(2)アメリカ合衆国朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮半島での恒久的で安定的な平和体制の構築に向け、協力する。

(3)2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、朝鮮民主主義人民共和国朝鮮半島の完全な非核化に向け取り組む。

(4)アメリカ合衆国朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮戦争の捕虜・行方不明兵の遺骨回収、既に身元が判明している遺体の帰還に取り組む

 

 なんて感じで、北朝鮮の非核化についての記述がありますね。

 

 この時のトランプ大統領は、「どうやら今まで言われてきたことは嘘らしい」ぐらいの認識だったと思います。それでとりあえず、この宣言を採択したわけです。

 

 しかし2度目の会談では、北朝鮮の非核化を含む、国務省が事前につくった宣言文を、トランプ大統領自ら破棄しました。

 

 

 報道では、会談は失敗に終わった、北朝鮮の非核化は暗礁に乗り上げた、とされています。しかしそれこそが、トランプ大統領の望んだことです。

 

 真実を完全に把握したトランプ大統領にとって、北朝鮮の核ミサイルは、アメリカ・日本の脅威にならない、それどころか、中国・韓国の暴走を抑えるのに、必要不可欠である、ということです。

 

 ちなみに日本のマスコミは、拉致問題が~、と騒いでいましたが、これについては御覧のように第一回の共同声明でも一言も触れられていませんし、第2回会談では議題にすら上っていません。

 

 一方、この時点でアメリカと韓国との間には、在韓米軍駐留費問題、戦時指揮権移譲問題、GSOMIA脱退問題など、様々な問題がありました。

 

 2017年までは、アメリカが意思を表明し、それを実現させようとしていましたが、これ以降は、とりあえず流して韓国の申し出通りに受け入れるという、おざなり外交に代わっていきます。

 

トランプ大統領北朝鮮に入国

 そして、2019年6月30日、トランプ大統領北朝鮮入国が実現します。

 

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 2019年6月29日、大阪におけるG20 サミットに参加していた、トランプ大統領は、ツイッターで、「金正恩が望むなら、板門店で会う用意がある」とツイートし、サミット後に金正恩と面会することを提案しました。

 

 これに金正恩が答える形で、第3回米朝首脳会談米朝両国は単なる「面会」だと主張していますが)が実現します。

 

 

 翌6月30日、韓国を訪問したトランプ大統領は、米韓首脳会談を終えると、そのまま板門店に移動し、待ち構えていた北朝鮮金正恩委員長と面会します。

 

 上の写真は、トランプ大統領が、アメリカ大統領として初めて、北朝鮮に入国するシーンです。真ん中のブロックが国境線、右が韓国、左が北朝鮮です。

 

 トランプ大統領は、金委員長に「私に渡ってほしいか?」と聞いて、金正恩の意思を確かめたのち、北朝鮮に入国しました。

 

 会談は2分の予定でしたが、結局53分にも及び、その後韓国エリアに戻って、韓国の文在寅大統領を交え、米・朝・韓の3首脳が一堂に会しました。

 

文在寅の横槍

 この時トランプ大統領に同行していたボルトン大統領補佐官は、2020年に出版された『それが起きた部屋:ホワイトハウス回顧録』の中で、この時のことを回想しています。

 

 それによると、トランプ大統領はこの会談において、金正恩との2人きりの面会を望んでおり、当初は文在寅大統領の同席を拒否したそうです。

 

 しかし文在寅大統領が激しく食い下がり、結局ついてきてしまったとのことです。

 

 文在寅大統領がついてきた理由は、一つには儒教国独特の体面を保つ、という発想があるでしょう。

 

 さらにもう一つは、トランプ大統領金正恩が2人だけで話し合うことにより、これまで自分がついてきた北朝鮮に関する嘘が、すべてばれてしまうのではないか、という恐れがあったのではないでしょうか。

 

 しかし文在寅の懸念はすでに手遅れでした。トランプ大統領はすべての真実を把握し、文在寅の嘘はすべてばれてしまっていました。

 

 

その後2019年8月26日にフランスで行われたG7 サミット初日の夜、各国首脳が外交・安全保障問題を議論している最中に、トランプ大統領は、各国首脳に対し公然と

 

文在寅という人は信用できない」


金正恩は『文大統領はウソをつく人だ』と俺に言ったんだ」

 

と述べ、韓国の 文在寅大統領に対する不信感をあらわします。

 

 さらに翌8月27日の夕食会の席上では、文在寅大統領について、

 

「なんであんな人物が大統領になったんだろうか?」

 

 と述べるようにすらなっています。

 

朝鮮半島におけるアメリカの外交スタンスの変更

 この一連の米朝首脳会談を経て、トランプ大統領の、朝鮮半島における外交スタンスは明らかな変化を見せました。

 

 すでに述べましたが、トランプ大統領は、韓国との懸案の問題となっていた、在韓米軍駐留費問題、戦時指揮権移譲問題、GSOMIA脱退問題をスルーします。

 

 北朝鮮の核開発問題について、何も触れなくなります。

 

 さらにはG7 への韓国の招待に反対するようになります。

 

 そして決定的だったのは、2020年7月23日にアメリカ議会で可決し、トランプ大統領が署名した、アメリカの国防権限法の改正です。

 

 この改正によって、国防権限法に特別条項が追加されました。それは、

国防長官が韓国と日本などの同盟国と協議をして適切だと認めた場合は在韓米軍を撤収できる

というものです。

 

 トランプ大統領は、いつでも韓国との同盟を打ち切り、アメリカの意志で、アメリカ軍を韓国から撤収できる、という法律を定めたというわけです。

 

 これは、アメリカが、いつでも韓国を切り捨て、北朝鮮につく用意が整った、ということを意味しています。

 

今後の朝鮮半島

 これまでこの一連の記事をお読みになってくださった皆様はすでにお分かりのように、朝鮮半島問題のベストの解決策は、「北朝鮮による朝鮮半島統一」です。

 

 長らく分断された2つの日本を統一し、再び一つの国家となって、共に手を携えて進んでいく、という未来の姿が、東アジアにとって最も望ましい形となるでしょう。

 

 これまではアメリカと韓国の同盟、在韓米軍、北朝鮮アメリカのお互いによる敵視などがその道を阻んできましたが、それらの障害はもはや存在しないということです。

 

 のこる障害は・・・もちろん、日本国内における、日本人の意識です。

 

 もはや騙されているのは、日本国民だけなのです。一刻も早く、日本国民が長き眠りから目覚め、真実に気づき、とるべき道を選択していくことを、切に望みます。