鶴我の考察・感想・言葉の息吹を吹き込む日々の呟き。

自然・宇宙・日本の歴史に心赴くままに穏やかに情熱を大事に謙虚と感謝を忘れずに好奇心を持って生きてく男の記録。

澤野大樹さんの講演会やインタビュー(話)などの全文の貼り付け。【其之拾漆】

 

 

 

 

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83・私の中の「666ヤハウェ」の浮上は「無知の知」と共に

2021-03-06

テーマ:澤野大樹氏
公式ハッシュタグランキング:青森県22位

 

 

こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子です。

 

みなさん、

「鬼が仏の早変わり」

という諺(ことわざ)をご存知でしょうか。

 

鬼滅ワンフーの私といたしましては

スルーできない言葉ですよ。

 

どういう意味かと申しますと、

「陰では鬼のような振舞いをする

凶悪な人が、普段は

シレーっと仏の皮を被って、

人前では善人ぶっている」

ということを表す諺です。

 

そんなことを踏まえまして。

 

さて、

澤野大樹(さわの・たいじゅ)氏の

座右の銘のひとつに

無知の知」があります。

無知の知」は、今から2400年も昔に、

ソクラテスが提唱した哲学です。

 

「私はまだ何も知らないのだということを知る」

または、

「自分がまだ何も知らないのだということを知れ」

 

これが「無知の知」です。

 

この「無知の知」については、

講演会でも何度も学んで参りました。

大切なことですので、

今回、澤野氏が

過去の文章に大幅に加筆する形で

文章を書き下ろしてくださいました。

(2回に分けてお届けいたします。)

 

人の世の常として、

人は何かを知った時、

何かに気づいた時、

優越感や全能感を抱いてしまいます。

「私は真実を知ってしまった」

「私は気づいてしまった」

「私は覚醒した」と。

 

すると人々は

それを他者との優位性と勘違いし、

それを武器として、

「私たち選ばれた賢者たちだけが

この真実を共有しているのだ」と、

きわめて傲慢になっていきます。

 

このような精神状態について、

私はそれを「全知の無知」、

つまり「私はすべてを知ってしまったのだと

過信してしまう無知さ」

と表現しています。

 

この「全知の無知」は

いわば無敵状態を作り出します。

それまでの謙虚な姿勢は失せ、

半ば躁状態となり“ハイ”となります。

 

私はこれまで

そのような人をたくさん見てきました。

「全知の無知」は人をただちに

増上慢にさせる魔力を持っています。

多くの知識を得ることは

非常に大切なことですし、

人格形成や人徳の陶冶(とうや)には

欠かせないことです。

 

何か特別なひとつの事実に

気づいたり知ったとき、

「私がこの事実をみんなに広めなくては!」

と、使命感に駆られることもあるかと思います。

本源的にはそれはそれで

悪いことではないのでしょう。

しかしそこには

「罠」が標準装備されています。

 

「罠」というと聞こえが悪いですが、

正確に申し上げるならば

ヤハウェによる「セキュリティ」なのです。

 

そんな「セキュリティ」(罠)は、

三次元物質的な

「知識の増大」に際して、

もれなくセットとして

ぴったり付随してきます。

 

知識とか叡智とか

直観とかひらめきとかというものは、

じつはその者の

「人格形成を伴った知識や学識の総量」に

均衡し見合ったものしか

もたらされないのです。

 

剣道をやったことの無い人に、

知られざる剣道の極意の裏技は

もたらされませんし、

ギターに触ったことの無い人に、

スウィープピッキングの真髄は

もたらされませんよね。

 

何千回、何万回と

反復継続を繰り返し、

下積みを繰り返したのちに、

さらにその分野での

才能がある程度あった場合に

そういった極意というものは

ふと自然に舞い降りるものであって、

インスタントに、

机上の理論からは決して会得できない。

 

そしてここで重要なのは、

そのようにしてもたらされた

「極意」というものは、

じつは本人は

気づかない場合が多いわけです。

多くは他者から指摘されて

初めて気づくものです。

 

世界トップクラスの

ギタリストへの雑誌インタビューなどで

そういったことが時々見受けられます。

 

インタビュアーが、

「どうやったらそのような音が出せるのか

解説してもらえませんか」

と質問すると、困惑した表情で、

 

「え!?これは何か特別なの?

普通に弾いただけなんだけど」

「無意識で弾いたから

どうやってとか聞かれてもわからないや」

ここの部分なのですよね。

 

まだ初心者の人や、

素人や部外者や一般の人から見れば、

それは驚愕すべき技術であったり

表現であったりするものが、

当の本人はまったくもって

無意識でそれをやっていたりします。

 

でもその無意識でできてしまうというのは、

その人に才能があり

さらにそのことを寝食を忘れて、

無限回数の反復練習をした結果なのですよね。

 

ここで重要なのは、

「寝る間を惜しんで」ではなく

「寝食を忘れて」というところです。

そこに血の滲む「努力」など

皆無であったということなのです。

本人は楽しくて時間を忘れて

夢中になってやっていただけなのです。

 

やりたくないことを力を込めて

苦しみながら耐えながらやる

というのが「努力」です。

 

努力量と才能の開花には

さしたる相関関係はありません。

才能のある者が

夢中になって時間を忘れて、

楽しくて楽しくてしかたがない

数千時間をいかに経たか、

これがその分野で

トップになるならないの違いでしょう。

 

つまり私が何を言いたいのかと申しますと、

これらを経ずに

「一日でギターの達人になれる裏技」

とやらを得て、

そして舞い上がって

「私はすべてを知ってしまった」

と思ったら、

それは壮大な勘違いであると

いうことなのですね。

 

物事にはじつは

「近道」というものはないんです。

でもじつは近道はあるんです。

でもその「近道」というものは、

気の遠くなるようなほどの

反復継続の訓練、練習を

延々と繰り返した人「だけ」に

もたらされるのです。

 

「楽」をするための

画期的な発見というものは、

傍から見たら

「死ぬほどの努力」と映るであろう、

しかし本人には

楽しいその恍惚の時間というものを

どれだけ過ごしてきたか、

これにかかっているのだと思います。

 

自分が夢中になったことと、

秘められた才能が合致するかしないかは、

それは「運命」としかいえないでしょう。

しかしそれを万に一つでも

合致させてしまうことも

じつは才能の中に含まれているのです。

 

人の寿命を

「100年」だと仮定しましょう。

生後1日の赤ちゃんは

そのたった1日が「100年」分なのです。

そしてその後、人生を生きていく中で、

いわゆる「1日」というものが

希釈されていくんです。

だから物事を習得するのであれば、

とにかくできるだけ若いうちが望ましいわけです。

 

人生100年ということは3万6500日です。

生後1日の赤ちゃんは

「3万6500分の3万6500日」です。

エナジー満タンフルパワーですよ。

そこからカウントダウンしていくんです。

 

そして100歳になると

1日は「3万6500分の1日」となるのです。

1日の「濃さ」がまるで違うのですよ。

これはじつに重大なことを意味しているのです。

これは逆に言えば、

生後1日で亡くなった赤ちゃんと、

100歳で亡くなった人は、

じつはまったく等価値、

同量の「生命」(いのち)を

まっとうしていたのだ、

ということになります。

 

「ひとつ」の生命は

すべての人に平等にあり、

その価値は時間の長短とは

無関係だということになります。

 

人の生き死に、

そしてその価値、意味というものは、

人生の物理的な

「長短」で測るものではありません。

 

わが子を幼くして亡くした人も

たくさんおられるでしょう。

でも、その子が生まれてくれたおかげで

どれだけ幸せを感じ、

どれだけ考えさせられ、

どれだけ人生が変わったか?

それだけでもうその子は

100年を生きたことと同じなのです。

ならばその子は

親なんかとっくに追い抜いて、

100年の人生を

あっという間に駆け抜けた「先輩」なんですよ。

ならばいつまでも死んだ子の年を数えて

嘆き続けちゃいけない。

その子はじつは先駆者であり先輩なのですよ。

 

また、

楽器や舞踊といった伝統芸能には

「稽古始め」「習い事始め」がありますね。

それは「6歳6月6日」(666)とされています。

 

言語が安定し、

自我意識が定着してくるその時から、

まさに「稽古始め」とされているわけです。

だから小学校の入学も

6歳からとされています。

 

誰もが共通して持っている

「ひとつの人生」というもの。

これが一般的には

「時間」で解釈されています。

 

長生きすることだけが美徳であり、

早世することは悪徳であるとする

奇妙で偏った考え方が

この世の中の通念として蔓延っています。

 

つまり「時間」というのは幻想に過ぎず、

本当はその生命の持っている質であり、

量であり、コンテンツにこそ

意味があったのだということ。

 

しかしこのようなことを

隠蔽し封印してきた者たちがいます。

彼らは人々に「時間」という幻想で

拘束してきました。

本来、時間というものは

本人の意識の持ちようによって、

いかようにもすることができるのです。

 

最高に楽しいコンサートの2時間は

あっという間に過ぎ去ります。

しかし、違反者免停講習の2時間は

死ぬほどの苦痛になります。

どちらも同じ2時間です。

 

つまり「時間」など、

本人の意識の持ち様如何によって、

長くもなれば短くもなるのです。

時計の針の動きと

私の意識の中の時間は、

じつは関係がなかったということに

気づくことが重要です。

しかし私たちはそれに

ずっと縛られてきました。

「計器」が定めた時間に

従わされてきたわけです。

 

この世の人類の意識を支配、そして

操作するということは、

じつは「時間」を支配し、

操作するということなのです。

相対的な時間を絶対的なものとして

信じ込まされてきたのです。

 

だからカバールDSは、

私たちにこう言ってきました。

 

「人生は一度きりだから、楽しまなきゃ損だぞ」

「刹那な毎日を送れ」

「おまえはひとりだ、寂しいひとりだ」

「人生の深い意義など考えるだけ無駄だぞ」

「来世なんか無いぞ、だからとにかく楽しめ」

「死ぬまで消費しろ」

「隣のヤツと自分を見比べろ」

「目先の損得だけで動け」

「神なんかいないぞ、どんどん堕落して楽しめ」

「死んだら損だぞ、長生きこそが最上の価値だ」

「人生の意味など無い、肉体の生き長らえにだけ傾注しろ」

「死ぬまでの間に勝ち組になることだけが美徳だ」

「来世などという不確実なものを考慮などするな!」

「堕落しろ!放蕩に耽(ふけ)ろ!」

 

こうして私たちは

目に見えぬ敵との無為無益な戦いを

ずっと強いられてきたわけです。

しかも「限られた時間」という枠内でですよ。

 

さて、

ここで言う「堕落」とは何だと思いますか?

この「堕落」こそが

「全知の無知」のことなのです。

 

自らの無知を忘れさせ、

己の全能性を過信し誇らせること。

「限られた時間」というのは

時間の信任性に裏打ちされた

ムラ社会」のことで、

私たちはその外に存在している

「ハラ(原=大自然)の世界」を

知らされることなく

誰もが苦難の人生が

当たり前だと思わされてきました。

 

自己を誇らせ

「私はすべて知っている」と、

自信を持たせた。

しかしそれは

カバールが仕掛けた罠だった。

「私はすべてを知ってしまった」

と思った瞬間に、

大宇宙、ヤハウェから注がれていた叡智は、

すべてストップしてしまうからです。

 

ヤハウェからすれば、

「あ、もういいのね、

はいわかりましたさよなら」

ということです。

これは自ら

ヤハウェとの接続を解除することであり、

ヤハウェから己を自ら切り離すことです。

こうして自ら

ヤハウェと決別した存在のことを

「自分」(自ら分かれた)といいます。

これを「ひとつから分かれた」といいます。

 

かつてこの作業をやって

ヤハウェから呪われてしまったのが

南ユダバビロン系カバールたちです。

大宇宙であり己自身でもあるヤハウェを、

自ら否定し「新しい神」を創造してしまった。

つまり「自分」を創造した。

ひとつであるヤハウェとは

違う「自分」を創造した。

その自分とは「偶像」そのものだった。

 

彼らはその一件があって以来、

地球上の全人類にも

同じ境遇を味わわせるために、

人々の堕落、

つまり「全知の無知」を行き渡らせるための

工作活動を繰り広げてきました。

 

「堕落」というのは

ヤハウェからの訣別」のことです。

 

つまり、

「私はすべてを知ってしまいました、という無知さ」

であり、だからゆえ、

「私が神(ヤハウェ)に代わって

この世を統べるべきである」

という、

神、宇宙への冒涜を美徳とするようになったわけです。

だから、

「カバール」とみなさん簡単に言われておりますが、

カバールを語るためには

相当深い学びと理解が必要なのです。

 

人の前で「10」を話すためには

「100」知らなきゃならない。

でも「1」しか知らないのに

「10」に背伸びしてしまうと、

それはじつは

バレバレになっているのだということです。

 

「100」知っている人が話す「10」と、

「1」しか知らない人が背伸びして話す「10」は、

同じ「10」ではないのです。

 

物事の習得に

「一朝一夕」というものは存在しません。

もしそれがあると思ったらそれは間違いです。

武道の習得の90%は「雑巾がけ」です。

「なんでいつまでも雑巾がけなんですか?

早く技を教えてください」

--このような「全知の無知」の

有象無象の無礼者にはなってはいけません。

 

先日、八戸講演会での話しの脱線で、

「逆みかん」の話をしましたが

まさにそのとおりで、

「内側に有限に閉じた宇宙」である「私」と、

「外側に無限に開放された宇宙」である

「私の外側の環境世界」が、同時に

多次元的に複合されて共存しているのが

私たちが生きているこの「世界」の本当の姿です。

 

そんな「私」が

宇宙(ヤハウェ)に対して「謙虚」であること。

「謙虚」であることとは、「無知の知」のことです。

「私はまだ何も知らないんだ、ということを知る」

ということです。

 

これは己に対して、

そして己を取り巻くすべての世界に対して、

謙虚であるということです。

この「謙虚」というものは、

日常の中でお人好しに立ち居振舞うことではなく、

己を卑下し低く徹することでもなく、

他人におべんちゃらを並べることでもありません。

 

「宇宙」に対して

素直で純粋で謙虚であるということです。

人から嫌われ、友達もひとりもいないような人でも、

じつは宇宙に対しては

謙虚であるという人はいるのです。

 

「虚心坦懐」という表現もされますが、

そのような者は

この社会では多くは生き難いはずです。

 

有史以来、この世界というものは、

そのような本当の意味で

謙虚な者が排除され、

異端であるとされて

排除されてきました。

だって「無知の知」を提唱した

あのソクラテスですら、

それが発端となって、

毒を飲まされて殺されたのですから。

 

宇宙に対して、そして、

ヤハウェに対して謙虚であり続けた者が

命を落とさざるを得ないような世の中が

これまで続いてきました。

でも、そんな時代は終わりました。

これまで世の表舞台に出ることすら許されず、

排除され、その存在を

封印されてきたサイレント・マジョリティ

胸を張って堂々と

生きることができる時代になりました。

 

これまでの時代は、

「あなたは右ですか? 

それとも左ですか?」と選択を迫られました。

しかし、それは

虚構の世界だとわかったのです。

私たちは右でも左でもなかった。

私たちは「下」に封印されていた。

 

宇宙に対して謙虚に生きること。

そして、それが

当たり前となる世が来ること。

これは、

これまで歴史から抹消され、

いなかったことにされてきた無数の

「報われなかった魂」たちを

呼び起こします。

もはや操作された「右か左か」の

「多数決」などという幻想システムは機能しない。

これからはそこに、

封印されていた無数の名も無き、

声無き声の魂たち、

サイレント・マジョリティたちが呼応し、

さらにヤハウェがそこに

感応することになります。

 

目の前にあるはずの

この三次元現実世界には、

無限の多次元世界が

すでに私たちと同時にいるのだ、

という不思議な状態になっているのです。

そんな時代に生きるとき、

必要となるのは、

最新情報でも特ダネ情報でも

先取り情報でも、

裏情報でもありません。

私たち自身がヤハウェそのものであり、

すべては最初から「ひとつ」だったという

きわめてシンプルなことを発見していくことです。

それを発見するためには、

何よりも「謙虚さ」しかありません。

 

もし「私はついに覚醒した」

と思ったとしたならば、

それは何かの勘違いか、

うっかりしただけです。

「私は覚醒した」

というセリフというのは、

「あなたは覚醒からもっとも遠いところにいます」

ということを知らせる

最大のメッセージなのです。

そのメッセージを

自らの口から発しているということは、

つまり、

あなたの中の内在の

ヤハウェからの愛そのものなのです。

何かを「知った」ということは、

次の「まだ知らない世界」への入り口なのです。

それは無限に続いていくことになります。

つまり、

あなたや私の「知った」という気持ちとは、

「※現時点では」という

注意書きがじつは加わるのです。

 

「謙虚」とは何か?それは

己の達成度、成長度、熟達度などを

勝手に己自身で「規定」したり

決めたりしないということ。

自己の状況に

「リミッター」をかけないということ。

無限の宇宙に対して

副交感神経を優位にすること。

身を委ねること。

それでいながら

「下積み」を夢中で反復継続すること。

「いつまでたっても私はまだ何もわかっちゃいない」

ということを無意識に普通に思い続けること。

これはできそうでなかなかできない。

学校でもまず教えてもらうことはできない。

この他にも決定的なことはあるのだけれども、

それはネットでは書かないことが適切だと思います。

(澤野大樹)

 

さて。

いかがだったでしょうか。

かなり深いですよ。

無知の知」に始まり、

時間のことに繋がり、

命(生死)の価値、

愚鈍な「覚醒」という勘違いについてまで。

「ひとつ」に関しても、これまで

ハンドラーたちによって「ワンネス」と

歪曲され伝えられてきていました。

 

これは

ヤハウェ「666」愛の叡智、

囚われ封印されてきた

縄文、津軽蝦夷、日高見国、

そして北イスラエルの民の

魂そのものの叫びとも言えます。

 

多くの人は、

「私はこれだけ知っている」と誇り、

無明なる人々を救ってやらねば、と、

自らがまるで「覚者」になったかのように、

「拡散」に奔走します。

 

このような状態について澤野さんは、

「もっとも唾棄すべき無知の極み」

だと仰います。

 

無知の知」の対義語が「全知の無知」

 

「全知の無知」とは、

自分が神にでもなったかのように、

全能を誇ってしまうこと。

自分は覚者である、

私は神である、

私は覚醒した、

などと恥ずかしげもなく

自らが高慢に語ること。

 

前回の青森講演会では、

人はいとも簡単に

ダークサイド(鬼)の誘惑に負け、

奈落の底まで堕とされてしまう、

堕ちたことさえ本人は気が付かず、

うっかり鬼と契約させられてしまい、

鬼の片棒を担いていることすら

気が付かず、

さらには、神通力でも

授かったかのような奇跡や

眩いばかりの「神」の皮を被った

「女神」「天使」と見紛うてしまう化け物の

実態というものを体験させられ、

さらに、あまりにも奇跡的に

順調にことが運ぶが故に、

嬉々として調子に乗ってしまい、

堕ちていることすら本人は気が付かずに

全能を誇ってしまう、

ということを、おさらいしました。

 

私たちが一旦、

澤野情報に足を踏み入れたならば、

必ずといっていいほど

アラハバかれていきます。

アラハバキは一定のものではなく、

人の数だけあります。

その人が心の奥底に秘めて

封印している、あらゆるものが

表に表出してきます。

しかもそれらは意図せずに顕れてきます。

隠し切れなくなった「わだかまり」が

「解放のカタルシス」というものを求めて

表に出てくるのです。

 

多くの方がこれまで持っていた

既存の思い込みや通念、

そして「こうあるべきだ」という

願望に立脚した個人的な意向や、

感情ベースで積み重ねられてきたものが

ことごとくアラハバかれていきます。

「自分だけは大丈夫」といった

思い込みこそが一番厄介だと仰います。

 

アラハバキの作用の本質とは、

「建前世界(三次元物質)の破壊」と同時に

「伏在し封印されてきた世界

(多次元世界)を引き上げる」こと。

逆もまたしかり。

 

突出したどちらか一方を抑制し、

封印されたどちらか一方を

引き上げる均衡の働きのことを

アラハバキ」といいます。

 

そしてその「アラハバキ」こそが本当の

「愛」そのものでもあると仰います。

 

つまり、均衡をもたらす

アラハバキの作用のことを「愛」と言います。

「愛」とは惚れた腫れたの

イクラブのことではありません。

「愛」には「感情」が存在しません。

感情を加味した時点でそれは

「執着」へと姿を変えます。

 

世に起こる激烈、そして苛烈な事象も、

一部の領域にある視座から観察すれば、

それは紛れもない「愛」そのもので

あるということになります。

そしてそれは「個人」の中でも起こるのです。

すべてはフラクタルで呼応しますから。

 

そこには巷間で流布されているような

通年としての

「愛」と表現されるいわゆる

「優しさ」という感情や、

喜怒哀楽は全く関係がないということ。

 

私たちはこの「愛」によって

どれだけの気づきや発見や

学びがあったかわかりません。

 

逆に同じ「愛」でも、

こちらが望まないことを

「愛」という美名の下に、

相手の立場を考えず

良かれと思ってすること、

わざとこちらが嫌がることをして

自分に気を向けさせようとするような

一方的な「愛」とやらは、

決して、断じて「愛」ではありません。

この古い「愛」を唱えてきた現代までの

グローバリズムは間もなく終焉を迎えると

澤野さんは仰います。(次へ続く

 

津軽蝦夷が隠れていたという聖地より 撮影

 

 

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84・虚構の三次元は終わり多次元的「本音」の世界へ(前回からの続き)

2021-03-06

テーマ:澤野大樹氏

 

ひとつ前の記事

『私の中の「666ヤハウェ」の浮上は無知の知と共に』

 

こちらより続きます。

 

縄文時代は「霊性はMAX」でしたが、

「科学技術はゼロ」でしたね。

現在は、

「科学技術はMAX」ですが、

霊性はほぼゼロ」へと

貶められてしまっていますね。

つまり、私たちはまだ

経験したことのない境地が

ひとつあるのです。

それは、

霊性MAX」でありながら

「科学技術もMAX」という境地です。

霊性と科学技術が

高次元で均衡する世界です。

多次元世界と三次元世界が

均衡するという世界のことです。

 

霊性と科学技術が

50:50で均衡している境地です。

このことを私は

「半霊半物質」と言っています。

「半霊半物質」って透明人間になるとか

半透明になる世界のことではありません。

まだ私たちが見たことも

経験したこともない世界があるのです。

 

さて、

グローバリズムとは何であるのか。

それは、

グローバリズムというものの根源にあるのは、

南ユダ弥生のメンタリティです。

わかりやすく言うと、たとえば、

見ず知らずの相手、

与り知らない相手の人生に入り、

相手の記憶に侵入していくというやり方です。

「この人とどうしても仕事がしたい」

「この先生とどうしてもコラボしたい」

「この人と何とかして知り合いたい」

このように願うことはよくあることで

そして通常の範囲内であれば

とても良いことです。

 

そして、ならば、

それを実現するために自分を成長させ、

憧れのその相手に見合ったレベルにまで

己を成長させ

引き上げていく作業を行っていく。

 

これが

人が人として成長していくための

王道中の王道でしょうし、

そうあるべきでしょう。

しかし、

こういう王道作業を

「非合理的」であり

「めんどくさい」と

考える人もいるのです。

 

ならば、

「人工的にシンクロニシティを演出して

強引に関係を構築した方が、

遥かに早いし、

労力もかからない、合理的だ」

という考え方です。

こういう人に捕まってしまったら大変なのです。

 

彼らは結局

自分の利益のことしか考えていませんから、

あの憧れの先生とコラボをやったとしても、

その上澄みをすべて持っていくだけなのです。

 

つまり、

「あの人と仕事がしたい」

というのは方便であり、

つまるところ、

相手の持っている「富」のエネルギーを

吸い尽くし、己の利としたい

というのが本音でしょう。

これを世界規模でやっているのが

グローバリストでしょう。

 

本当の偶然、

本当の運命があるならば

大いに結構なのですよ。

しかし、

そういうのはなかなか起こらない。

でも、関係は持ちたい。我慢できない。

ならば、

強引に関係性をクリエイトしてしまえば

良いではないか、と。

 

すべて計算した上で、

偶然を装って近づき、

シンクロニシティ

「演出」していくやり方です。

これは良いことではありません。

なぜならば、

相手はそのことを知らず、

本当に運命の出会いであると

信じてしまっているのですから。

 

これは詐術であり騙しです。

人の心をそうやって

人工的に操作しようとするということは、

人を人と思っていないということですよね。

ならばそのようなことをする人とは

絶対に付き合ってはならないのです。

 

このやり方をかつての縄文は

弥生にやられたのです。

これは完全に

侵略者グローバリストの手口であり

メンタリティです。

この手口は乗っ取りであり、

侵略であり、

もっと的確に表現しますと

それはじつは憑依のことです。
(澤野大樹)

 

憑依に関することも、

第⑦回講演会でお話をしてくださいました。

 

グローバリズムとは

弥生南ユダ侵略者メンタリティ、

乗っ取り思想そのもの。

 

やらなくともいいことをし、

聞いてもいないことを言い、

こちらが何もせずとも聞かずとも

自らの本質が

自然に炙り出されてしまうというのは、

アラハバキの作用です。

 

澤野さんが説く

アラハバキ(愛)」は

これほどまで深い意味があります。

 

病気も「愛」そのものなのです。

病は、その原因を精査することなく、

単なる「悪」として治してはいけない。

 

澤野氏が以前伝えてくださった、大切なこと。

 

己と向き合わないと、病気の根本的な

治療にはならないということです。

 

「病」は、己と向き合うために、

おしえてくれる大切な気づき。

 

「自己と向き合うため」に、

わざわざやってきてくれた「愛」そのもの。

「病」は感謝しかないものなのです。

 

病気にでもならないと、

しっかり自己と向き合う機会は

ないだろうからと

病気さんの方からからわざわざ

出向いてくれて現れてくれた。

まさに「無料エマージェンシーサービス」です。

 

ですので、

「病気」をその原因を精査し、

きちんと向き合うことなく、

邪魔で厄介なものとして扱って

三次元的な医療で物理的に

「処理」してはならないのです。

もちろん、お医者さんによる治療は行うべきです。

でも、それだけじゃダメなんです。

病気にはちゃんと「原因」がある。

まさかと思うような原因があります。

 

その人の一番弱いところ、

思い癖、思考の偏り、固執した感情、

執着、恨み、後悔、劣等感、自己喪失感、

こういったことが長期間続くと

「病気」になって現れます。

「病気」とは、

そんな心の不安定さを知らせてくれて、

気づきを促すためにやってきます。

 

だから、病気になったら、

まずは感謝しかないのです。

 

その無償の自己犠牲の愛を

「厄介者」として消したら大変なカルマを

生みます。

 

物理的な治療だけをしても、

また病はやってきてしまいます。

本当の「原因」が解決してないからです。

 

本当は、

人は自らの病気の原因について、

静かに内省し、徹底的に自分と

向き合わなきゃならない。

それは激烈な時間となります。

これまでずっと無視してきたこと、

目を背けてきたことと

向き合わなきゃならない。

己の顕在意識がどれほどまでに

本質的な自己を破壊してきたかについて、

全人生を賭けて向き合わなきゃならない。

そのために病気(がん)は現れてくれた

愛そのものなのです。

よって、病は敵じゃないのです。

 

「がん」とは

じつは自分自身の「本音」なのです。

 

今まで気づかなくてごめんなさいと

謝り続けても足りないくらいの無償の愛。

 

それを放棄し、無視し、

病気を「悪」とし、

いち早く、一刻も早く

治療を行うことは、

広義において「自己」への冒涜。

それは「宇宙」(ヤハウェ)への背信行為だと

そう澤野氏は伝えてくださいました。

 

「自分を冒涜すると、

自分は自らを消滅させようと動き出します。」

 

澤野氏がお伝えする

厳しくも愛溢れるアラハバキの叡智。

 

「己と向き合うこと」

 

講演会の中で印象的だったのは、

巷間言われている

『風の時代に突入しました~♪』などと、

今、浮かれている場合ではない、と。

 

風の時代が到来した今だからこそ、

自分としっかり向き合い、

自己を確立しないと

あっという間に吹き飛ばされてしまう、

本当の「風の時代」とは、

そういう意味なのだ、ということです。

 

これから、

目を覆いたくなるような

耳をふさぎたくなるような

見たくなかった、

知らんぷりして

蓋をしていた自分自身が炙り出され、

嫌でも自己と

向き合わなければいけないような

「耳の痛い話」がたくさん

目の前に具現化されることでしょう。

 

しかし、恐れることはありません。

目の前に現れた事象は

紛れもない自分自身なのですから、

どうか今度ばかりは

誤魔化さず、スルーせず、しっかりと

今まで蔑ろにしてきた自分をいたわり、

ちゃんと向き合ってあげてください。

 

間違っても、

逆ギレしてはいけませんよ。

ほんの一瞬で

風に吹き飛ばされてしまいます。

 

これまで蓄積してきた「負債」を、

全部チャラでキャンセルして

次の時代へ行きたいものですが、

それだと「話のスジ」が通らないのです。

 

次のステージ、

次の世界に行くということは

なかなか一筋縄ではいかないということ。

三次元でも多次元でも

泣きたくなるような

アラハバキという「愛」を通過してからの

「ミロク(666)の世」がやってくる。

これは確かに

素晴らしい未来を予感させますが、

オートマティックな「オイシイ話」ではないのです。

 

自分を成長させたいと願うのなら、

「己と向き合う」のみ。

 

ということは、

これからの「スピリチュアル」という分野こそが、

もっとも巨大な変革を迫られるということ。

これまで世界人類の精神を支配してきた

バビロン系スピリチュアルが終わるということ。

 

じゃあスピリチュアルはすべて終わるのでしょうか?

それは違います。

悪魔崇拝でもない、

モレク崇拝でもない、

偶像崇拝でもない、

侵略でもない、

乗っ取りでもない、

憑依でもない、

これまでずっと隠され封印されてきた

「宇宙」(ヤハウェ)と「ひとつ」という

「本物のスピリチュアル」が浮上してきます。

 

間違っても

「鬼の下働き」などさせられませぬよう、

善かれと思って図らずもバビロン系に加担せぬよう。

 

鬼はその人の一番弱いところにつけ込んで

「血鬼術」を仕掛けてきます。

 

ぜひみなさん「本物」を取り戻していきましょう。

 

どうか、この大切なメッセージに

今一度、耳を傾けてくだされば幸いです。

 

澤野大樹氏が語る

【活字版原稿の秘密】

こちらの記事もあわせてご覧ください。

 

 

 

―――――――――――――――

【青森講演会活字版原稿販売】

青森講演会では
過去講演会の「活字版原稿」を販売しております。

活字版のご用命は、こちらからどうぞ。

 

※青森講演会①~⑥【序文】

――――――――――

 

青森県八戸市葦毛崎展望台より撮影

 

※全国講演会情報は→こちら

 

 

 

 

 

85・低層四次元と日本のDS(中編)

2021-03-18

テーマ:澤野大樹氏
公式ハッシュタグランキング:青森県37位

 

みなさん、こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子です。

 

まず始めに

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」

公開初日に観てきました。

 

誰もが知っていたはずの「エヴァ」。

そのラスト『完結編』

「さようなら すべてのエヴァンゲリオン

宇多田ヒカルnewLP/EP『OneLastKiss』ジャケット

 

 

私たちが生き暮らしているこの宇宙、

「潜在意識」と「顕在意識」のフィールドで

起こっていた宇宙とは一体何だったのか。

「潜在意識」と「顕在意識」の間の「点」とは

何であったのか。

それは、

澤野氏がこれまで長年伝えてきた世界観に

非常に似ていて、

まるで、庵野秀明監督が可視化した

ストーリーと呼応しているかのようです。

 

聖書は、

アダムとイブと蛇から始まる人類創世記。

新世紀エヴァンゲリオン

澤野氏が提唱する「ひとり」と「ひとつ」。

 

澤野氏が仰っていたことは、

本物の「ひとつ」は伏せられ

人類には知らされてこなかった。

しかし、私たちはこれから

「本物のひとつ」が現れるのを目撃する、

目の前に「本当のひとつ」と

「嘘のひとつ」という、まさに

「ふたつのひとつ」が現れる、と。

ホンの一瞬の気の迷いひとつで、

いとも簡単に私たちは「ひとつ」を

間違えてしまうのですよ、と。

 

そして、地球全体が逆戻りするというのは、

人類文明が退化して戻ることではなく、

極限まで加速された技術革新を経た後の

時代逆行、それは

逆行しているように映るだけで、

じつは究極の「人類の進化」ということ。

一言では語り尽くせるものではありませんが、

エヴァンゲリオンの壮絶な「核」と

ほぼシンクロしていました。

 

澤野氏が紐解く

古代ヘブライの流れの根幹を

理解してきたからこその、

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||。

 

ダヴィンチが絵画に託し、

全人類に伝えたかった「宇宙」の神髄。

今まで、その謎は誰にも解けなかった。

あの不気味な少年犯罪も

未解決事件も、

事故も、戦争も震災も、

澤野氏によって一気に解読されていきます。

全て、青森活字版原稿①~⑦に

書かれてあることです。

またしても青森講演会第⑦回で

シンエヴァ公開前に、

予想だにしていなかったことが

既に澤野氏から出されていたとは。

いつもながら驚きの連続で茫然自失となりました。

 

さて、

『低層四次元と日本のDS(前編)』

からの続き(中編)をupします。

 

――澤野さん、

トランプさんによるカバールDS掃討作戦を観察していますと、

随所に「爬虫類人」(レプティリアン)など宇宙人的な存在が

出てきますが、どう考えれば良いでしょうか?

 

いわゆる宇宙人っていうのはいないのですよ。

「いわゆる」というのは、

テレビやマスメディアで採り上げられるような

ステレオタイプの「宇宙人」のことを指します。

 

――え?!宇宙人はいないのですか?

ロズウェル事件とかありましたよね?

 

あれは地球外宇宙からやってきたUFOじゃないですもん。

だいたい人類が逆立ちしたって辿り着けないような

何百光年も先の星からやって来たという

私たちの想像を絶する超科学を持った存在が、

地球に来た途端になんとも絶妙のタイミングで

墜落すると思いますか?

 

――たしかにそうですね。

墜落するわけないですよね。

 

そうそう。

つまり、ロズウェル事件についての考察は、

まず「宇宙から来たUFOではないよ」

から始まるんです。

 

――なるほど。

では「宇宙」から来たものではないなら

どこから来たのでしょうか?

 

まず最初にでは「宇宙とは何か?」という

基本的な部分についての

定義といいますか、

コンセンサスのようなものが成立していませんよね。

 

――やはりそこから入っていくのですね!

 

これは講演会でもお話ししている

「逆みかん」の内容なのですが、

少し振り返ってみましょう。

 

宇宙を理解するためには、

「私」を理解する必要があります。

これを説明するための例え話を私は

「逆みかん」と称しています。

 

一個のみかんがあります。

これは皮に包まれた一個のみかんです。

これが「私」という肉体だと思ってください。

三次元の物質としてのみかんは、

皮で閉ざされ、

内側に閉じた宇宙なのです。

よく「内在の宇宙」とか

「内在の神性」とかいいますよね。

まさにそのとおりで、

この一個のみかんとは

私たちそのものをあらわしています。

そしてそのみかんの皮の中、

つまり中身の部分が宇宙です。

 

しかし、私たちは空を見上げれば

そこには星空があり、

大宇宙が広がっていますよね。

内在の宇宙があって、

さらに天空に広がる宇宙もある??

となりますよね。

それはそうなのです。

もうひとつの宇宙として、

「逆みかん」があるのです。

「逆みかん」とは、みかんが逆転したものです。

みかんは皮を境に

内側に閉じていた有限の宇宙でした。

しかし逆みかんは

外側に拡大した無限の宇宙なのです。

逆みかんとは、

みかんの皮の外側が内側になり、

内側の中身の部分が外側に展開されている状態です。

 

「みかん」とは本来は「点」ですので

理論的には存在しません。

つまり、時間も存在しないということです。

そして、逆みかんも本来は「点」なのです。

逆みかんは「外側」(皮の外側)が中に入り込んでいるのです。

という意味で、みかんも逆みかんも

どちらも本来は「点」にすぎないのです。

 

みかんは、「有限のひとり」であり、

逆みかんは、「無限のひとり」ということになります。

 

そして、両者とも「宇宙」なのですから、

みかんも逆みかんも同じ宇宙としてイコールなのです。

その両者が同時に存在することによって、

「私」と、それを取り巻く「世界」が生じているのです。

 

ややこしいけどおわかりになりますか?

 

このみかんは人ですので、地球上に77億人います。

77億個のみかんが同居して重なり合い、

この三次元世界というホログラムの舞台を

「共有」しているだけなのです。

 

つまり、宇宙とは、

私たちの「中」にあるものであり、

では天空の宇宙とは、

私たちの「中」にある宇宙が反転して、

私たちの周りに無限に展開されて

投影されているホログラムなのです。

つまり、夜空の天の川とは、

私たちの内面の世界にある閉じた宇宙の映像なのです。

 

となると、

宇宙の本質というものはどちらかというと、

私たちの「中身」に閉じられている

有限の宇宙の方なのではないか?

そう思えてくるわけですね。

 

よく「人類を覚醒させるためには

どのような“真実”を人類に知らせればよいか?」

と、議論されていますが、

それはカバールの陰謀についてなどではないのです。

 

私たちが「中」だと思っている世界が

じつは「外」で、

私たちが「外」だと思っている世界が

じつは「中」だった、ということですよ。

 

つまり、私たちが「外」だと思って

眺めているトランプさんのカバール掃討作戦も、

じつは、私たちの「内側」の宇宙で起きていることが、

外側に反転されて投影されているのを

眺めているということなのです。

つまり、カバール掃討作戦とは

私たちの中の宇宙で起きていることだったのです!

そして、その中こそが、

じつは外だったということなのです!

 

――シン・エヴァンゲリオンの「マイナス宇宙」みたいですね。

 

あ、確かにそうですね。

今回、この地球、そして全人類の意識レベルが

一気に拡大することになりました。
人類意識をランクアップさせるということです。

(※実際は上とか下とかは無いのですが

便宜上“ランクアップ”と表現しています)
このランクアップをさせるために、
これまで地上世界を支配してきた

裏の存在、カバールDSの領域が、
統廃合され、廃止、撤廃されることとなったわけです。
つまり、カバールたちの本来の居留区

「低層四次元」がお払い箱になるということなのです。
その作業をトランプさんたちは行っているのだということです。
 
つまり、今行われている

「目に見える掃討作戦」というものは、
象徴として投影されたホログラムだったということです。
つまり、

そもそも「善と悪の戦い」などではなかった。
つまり、

トランプさんたちの真の目的とは、
「人類意識の拡大に伴う覚醒」だと

いうことがわかってくるのです。


まあ「覚醒」と表現すると

大いに勘違いされてしまうと思いますが、

いつかこの「覚醒」についてもお話ししたいと思います。


しかし、カバールたちは

ダボス会議によって、
グレートリセットという名の

「次元後退意識縮小計画」を進めていたわけでしょ。
それがトランプさんたちに阻止され、
本来の本当の意識レベル、

意識の拡大の方向にシフトされたということ。
 
これまで私たち人類は、

片方の「みかん」しか

認識させてもらえなかった。
しかし、これから情報が開示され、
もうひとつの宇宙である

「逆みかん」の存在が

明らかにされてくるでしょう。
これが「宇宙の機密情報の公開」

ということなのですよ。

「宇宙人情報か?」じゃないのです。

 

つまり「宇宙人」が公表されるんじゃなくて、

「私たちが考えていた宇宙人というのは

何だったのか?」が

公表されていくのだということです。 


宇宙は私たち一人ひとりに専用のものがあり、
それは地球人類77億人全員に

それぞれ備わっているものです。
つまり、宇宙は

現時点でだいたい77億個あるんです。

人ひとりに宇宙はひとつしかない。

そのひとつの宇宙に存在するのは

「私だけ」です。
しかし、そのみかんである

77億個の宇宙が、外側世界に

ホログラムとして用意された地球という舞台であり

物質ステージを「共有」しているということなのです。

 

人ひとりには宇宙はひとつ。

でも77億人で物質舞台を共有しているので、

物質世界は「ひとつ」しかない。

そんなひとつの世界に別の並行宇宙から、

別の存在を招き入れてはならないのですよ。

この「別の存在」については

後編にお話しいたします。
 
だから、「私」が捉えて解釈する世界と、
隣の人が捉えて解釈する世界は

まったく違ったのです。
舞台は同じですが、

個別のみかんは別々だったからです。
でも、その「個別」とはまさに特異性のことであり、
じつは77億人全員は、

きちんと「ひとつの宇宙」の中に

あるということです。
 
驚くべき「宇宙情報」というのは、
「みかんという宇宙」とは別に、

もうひとつ「逆みかん」があるんだということです。

みんな「みかん」は「私」だと何となく思っていた。

しかし「逆みかん」も「私」だったとは寝耳に水です。

しかも「みかん」と「逆みかん」は同じものだったということ。

でもこれまで私たち一般人類には、

この「逆みかん」が「私そのもの」であるということは

固く伏せられてきた。

伏せることで「二元性」を生み出していたからです。

しかし、封印はすでに解除されています。

つまり「みかん」と「逆みかん」が

同時存在するということを

意識上で認識することがしやすくなりました。

忘却させられていた片方が

「回復」したということです。
 
そして、

その両者がひとつに「統合」すること、

されることで、私たちは初めて、

本当の「ひとつ」というものを発見し

実感することになります。
これを「ヤハウェ」と言います。

つまり「洗礼者ヨハネ」の回復でもあります。

この統合を成し得た瞬間に

イエス・キリスト」は消滅します。

 

――ヤハウェと洗礼者ヨハネについては

青森活字版原稿で

お話しされていましたからわかります。

統合した瞬間に

イエス・キリストが消滅することも理解できます。

 

すべてがひとつであるヤハウェから

分離していたものが

本来の「ひとつ」へと統合するわけですから、

ヤハウェの存在を封印した上に

創造し成立させてきた

「新しい神」という偶像が

瞬間的に消滅するのがわかりますよね。

 

――はい、わかります!

 

それをカバールたちは有史以来ずっと恐れてきた。

まさか2021年にそれが現実のものとなるなんて

思ってもいなかったことでしょう。

このことが三次元的には

バチカンの終焉」という形で投影されてくるわけです。

 

――私たちは歴史的瞬間を目撃するのですね!

 

大事なのはそれが歴史的瞬間だと理解できること。

多くの人はそれが歴史的瞬間だと知覚できない。

 

――せっかくの歴史的瞬間はきちんと目撃して、

きちんと味わいたいですね!

 

壮大なる「宇宙の本質」というものを

理解するということは、
じつは、「私」というたったこれだけの

存在の本質を

理解することだけだったのです。
この、普通であり当たり前だと

思っていた状況を理解することこそが、
「ひとつ」へと回帰し、

統合を果たすことに繋がるのですよ、

ということです。

 

――では私たちが毎日目にする様々な報道やニュースというものは

どう解釈すればいいのですか?

 

私たちの「肉の目」に視覚として確認できる世界の

一番上に薄く広がっている表層の部分、

つまり、77億人が共有している物質的な「舞台」という

虚構世界、幻想世界を維持しなくてはなりませんから、

それはもう彼らは本気で

「これこそが世界である」という鎖を強化するための

演出というものがなされています。

そのことを「報道」とか「ニュース」と呼んでいます。

これは少なくともこれまで2000年は続いて来たでしょう。

 

これは非常に粗い部分なのだけれども、

じつはその部分のうちの

三次元情報が共有されているだけで、

それを見て感じて捉えるのは

人それぞれなのだから、

77億通りの「世界」であったり

「宇宙」であったりするわけ。

 

――「宇宙」というというものの

常識がまったく変わってしまいますね。

 

そうそう。

私たちは無意識に

「宇宙」などという言葉を使うべきじゃない。

その当たり前だと思っていることが、

じつはまったく当たり前ではなかったことに

まず気づく必要があります。

当たり前だと思って

無意識に用いているということは、

無意識にもその言葉の概念を「理解している」と

無意識のまま誤解し続けていることを

放置しているということです。

これは広義においては「怠慢」と映るでしょう。

 

これは宇宙に限らず、

「愛」であったり「調和」であったり、

「優しさ」であったり、「生」であったり

「死」でも同じです。

セキュリティの掛かった概念というものは、

通常の一般人類が傾注しないように

設定されています。

普通はまず考えない方向に

「鍵」が隠されています。

それは「鍵」とは言っても

ロックは掛かっていません。

まず気づかれたり

発見されたりすること自体がないのですから。

このセキュリティの存在に気づくことができるのは、

「私はまだ何も知っちゃいない」という「無知の知」を、

四六時中認識しているような特殊な人くらいでしょう。

でも、スピリチュアルの本質を求めるのであれば、

それくらいストイックになることも必要かと思います。

 

――「宇宙とは何か?」という漠然とした疑問は

誰しもが抱くと思いますが、たとえばNASAなど、

地球外宇宙を探索していますが

これはどう考えれば良いですか?

 

NASAは地球の外側の物質宇宙のことなど探査していませんよ。

 

――えっ!?

 

ナチスドイツの崩壊以降、

ソ連科学アカデミーにせよ、NASAにせよ、

最初から人の内在の宇宙を探査しているのですよ。

ここで言う「内在の宇宙」って、

つまり本当の外の世界であり、

本当の外の宇宙っていう意味になります。

戦後ナチスのいわゆる「科学者」たちは

ソ連アメリカに分けられましたよね。

その流れからの「冷戦構造」でした。

 

――それはどういうことでしょうか?

 

彼らが探査しているのは

低層四次元と呼ばれる

ある周波数領域に位置する「幽界」についてです。

私たちが生活しているこの「地上」に

同時に存在していますよ。

その領域のことを本来は

「宇宙探査」と呼ぶわけですが、

それでは予算が付きませんから、

時々はフェイクの外的物質宇宙に

ロケットとか飛ばさなきゃならない。

あと、宇宙の本質というものを

一般人類に悟られないように、

最先端科学というものを

かなりデチューンする必要があった。

もちろん彼らは

低層四次元以降の奥深くも探査しているでしょう。

 

――その低層四次元領域とは?

 

某非肉体知的意識生命体がそこにたくさんいるわけ。

でも彼らは三次元物質世界で活動するための

「肉体」というものを持っていない。

この「低層次元」にいる「者たち」、

そしてその「領域」のことを、

私なんかは「ディープステート」と呼ぶわけですよ。

そこで「地球人」たちはいろいろ考えたわけですよ。

 

まあ、この続きはまた次回にいたしましょう。

(澤野大樹)

 

――澤野さん、ありがとうございました。

 

次回(後編)をまた楽しみにお待ちください。

 

ここで、仙台天命塾講演会第35章の

【序文】を振り返ってみましょう。

 

★2021年3月14日(日) 仙台天命塾 講演会 第35章★

【序文】

米国大統領選挙は、一般の私たちが

当初より想像していたものとは
些か、いやかなり違うものへと

変貌していきました。
その変貌は段階を踏まなければ

理解できない複雑なものでした。
ヤハウェによる神仕組の

“コード・シェア”も複雑に絡まり、

そして重なり、
もはや三次元的思考では

その片鱗すら垣間見ることができなくなってきました。
それは、

三次元的思考(3D Chess)から

四次元的思考(4D Chess)への
変化だと言われていますが、

それはさらに四次元をも超え、すでに

「多次元的思考」(Multidimensional Chess)

を用いなければ、今、世の中が

どうなっているのかについて

理解することが困難とまでなっています。
この世が多次元的に

展開されているということを理解するためには、
まさに「人間万事塞翁が馬」を

深く理解することであり、
それがすなわち「ヤハウェ」の采配を

読み解くための「鍵」となります。
また、多次元世界には「時間」の

概念がありませんので、
過去と未来は

同時に進行していることを

「今」を基点として理解すること。

(いや、そもそも「進行」などしていないのですが)
多次元チェスの世界では、
過去を動かしながら未来を観察して調整し、
未来を動かしながら過去も調整していきます。


過去と未来は常に呼応し合っていて、

それは「今」が基点になっています。
過去と未来はそもそも無い、

存在しないということは、
善と悪に代表される「二元論」も

そもそも存在しないということに繋がっています。


――そう、すべては最初から「ひとつ」だったということが、
ここから直観されていくのだということです。


このようなことをベースとして、今回の仙台講演会では、
様々な分野について派生して言及しながら

「今」を紐解いてまいりましょう。 澤野大樹

 

さて。

この暗号のような仙台【序文】を読み解くには

深い洞察が必要となってくることが

おわかりになりましたよね。

 

序文の中には、

既にサードインパクトが終わり、

新しい次の段階、

フォースインパクトへの

移行が始まっていたことを示唆する

言葉がちりばめられています。

 

まさに、

「多次元的思考」(Multidimensional Chess)

を用いなければ、今、世の中が

どうなっているのかについて

理解することは困難ということなのでしょう。

 

澤野氏が25年もかけて、

ずっと伝えて来られたこと。

 

それが、今の時代になって

ようやくトランプ氏の手によって、

「次の時代」に自然に入っていけるように、

私たちがこれまで体験したことがないような

不思議な情報開示が意図的に

少しずつ行われているということ。

 

トランプ氏は、

日本が目覚めなければ

世界は変わらないということを

知っている、ということになりましょう。

 

だから、日本が最後の最後。

だから、日本で「鬼滅の刃」からの、

日本で「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

 

これまでの人類史における、

途轍もない長い長い時を経ての、

今が大総決算。

元の世界へ戻す作業、

「消されたシリウス」を浮上させる

アラハバキ

 

それを、ずっと澤野氏は

無意識で伝えてきたわけです。

人類を支配してきた

バチカンシステムを「知覚」できるように。

 

エヴァンゲリオンと一緒で、

それは「にわか」では

到底理解できるものではありません。

 

古代ヘブライを紐解く作業を

まず、しなければならないのです。

 

既に2015年の仙台天命塾では

「南極の秘密」をお話されてました。

縄文が霊性MAX状態、

現代は科学MAX状態、

新世紀は霊性MAX・科学MAX状態が共存し、

同調する時代に生まれ変わる、ということも

既に言及されていました。

「魂」と「魂が乗る肉体」についても。

 

しかしそれは、バチカンシステムによって

歴史の波に葬り去られようと

していたのです。

 

実社会で巻き起こる事象も、

「智恵の実」を食べるな、

と教えられてきたから、

私たちが幻想世界(虚構)

を生きているということを

知覚できなかった。

 

私たち日本人のルーツも

嘘で塗り固められ

騙して、稼いで、儲けろ、と

ユダヤの商人のやり方を教えられ、

ほんのひとにぎりの裕福な上流階級に

憧れを抱かせるように

ハンドラーたちの手によって

意識を操作させられていた。

 

死海文書」は隠され

新たに編纂された「新約聖書」が

人類を眠らせるため

クリエイトされました。

ところが、つい最近、

なぜかシンエヴァ公開の後、

65年ぶりに‟聖書の原型”「死海文書」が

新たに発見されたのだそうです。

 

澤野氏のされている活動は、

世の中を明確に知覚できるように、

まずは古代ヘブライを紐解き、

縄文日高見国を知り、

明治維新という美名に隠れている

武力による徳川幕府転覆の

クーデターを掌握し、

戊辰戦争以前から東北征伐として

坂上田村麻呂大和朝廷

何度も東北を攻めてきたという

根底に立ち戻り、

本当の平和というものは

これから、私たちが見えていなかった

自らの「壁」をまず突破し

私たちひとりひとりが自分自身の意識変化で

武器を持たずに平和を実現していく

ということです。

 

そもそも「平和」というものもなかった。

「平和」という概念は

「戦争」という概念と対になっています。

そもそも戦争を経験したことのない者にとっては、

平和という状態は存在していないのです。

 

誰もが持っているATフィールド。

そのATフィールドを自分自身で

突破せよ、ということです。

囚われていた‟りんご”(ATフィールド)をかじって、

エデンの園から出ろ、と。

しかしそれは、

神だの天使だの女神だの宇宙人だの

他の何者かから助けられるということではなく、

自分でなければその「心の壁」を破壊できないのです。

 

そして、

今の世の中は、PC・スマホ上で

展開しているといっても

過言ではありません。

PC・スマホに支配されています。

そもそも「コンピュータ」(Computer)とは、

「666」(鏡)なのだと

澤野氏は言っていましたよね。

 

澤野氏曰く――、

 

「CPU」が「勾玉」で、

「アンテナ」が「剣」で、

「画面」が「鏡」なのですよ。

さらに、

「Computer」は「666」。

World Wide Web」(www)も「666」。

「バーコード」も「666」。

1976年のアップルコンピュータの最初のパソコン、

Apple Ⅰ」は「666ドル66セント」で発売された。

(澤野大樹)

 

――ということなのだそうです。

 

現実の世界と

666の鏡であるコンピューターの世界。

二つの世界が現存しているわけです。

SNS上の私と、現実の私。

SNS上の情報は「本当」でしょうか。

インスタグラムやTwitter

facebook上で、

どんな世界も虚構も容易に創造できます。

しかし、どちらも、存在しています。

 

要は、澤野氏が話されていたことは、

すべてヤハウェ666の「ひとつ」の

「宇宙の叡智」を伝えていたということ。

「己と向き合う」

「己という宇宙の基本情報を理解するのが

ヤハウェ666のひとつ」ということです。

 

そして、

その「ひとつ」に世界は戻る、

とは、

知覚できる人と、

知覚できない人とでは、

目に見える三次元的背景は変わらずとも

まったくの別次元に存在することなるのですよ、と。

出典:ミニチュア作家田中達也さん作品

 

10年前の3/11に

突如として起こった出来事は、

仙台の人にとっても

忘れる事ができない日と

なったでしょう。

 

その上で、私自身にとっても、

『低層四次元と日本のDS』が解き放たれた日は

忘れられないことを知る

忘れられない日となりました。

 

次回3月21日(日)の名古屋講演会第17回では

どのようなお話しになるのでしょうか?

楽しみですね!

澤野大樹氏名古屋講演会主催者 小長谷宏さんブログ

 

 

※全国講演会情報は→こちら

 

 

【青森講演会第⑧回のお知らせ】

澤野大樹(さわの・たいじゅ)氏

2Days.講演会 弘前×八戸第⑧回

★2021年4月3日(土)「弘前
★2021年4月4日(日)「八戸」

のお申込・詳細はこちらからどうぞ。

(今回より、当日参加はございません。)

 

【2021青森講演会スケジュール】

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★2021年4月3日(土) 「弘前」第8回★

★2021年4月4日(日) 「八戸」第8回★

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★2021年6月12日(土) 「弘前」第9回★

★2021年6月13日(日) 「八戸」 第9回★

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★2021年8月7日(土) 「弘前」第10回★

★2021年8月8日(日) 「八戸」第10回★

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★2021年10月16日(土) 「弘前」第11回★

★2021年10月17日(日) 「八戸」第11回★

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★2021年12月11日(土) 「弘前」第12回★

★2021年12月12日(日) 「八戸」第12回★

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みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

 

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【青森講演会活字版原稿販売】

青森講演会では
過去講演会の「活字版原稿」を販売しております。

活字版のご用命は、こちらからどうぞ。

 

※青森講演会①~⑥【序文】

 第⑦回直前インタビュー

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生き残るというのは色んな意味を持つ。

死んだ人の犠牲を受け止め

意志を受け継がなきゃならない。

それが「ひとり」だったら尚更だ。
辛いのは君だけじゃない。(加持リョウジ

“『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』より”

 

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