アニメーション制作会社の記入。第四章。[アニメ会社と関連する企業を記す日記。] (後半) 其之貳拾貳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阪急阪神ホールディングス

阪急阪神ホールディングス株式会社(はんきゅうはんしんホールディングス、Hankyu Hanshin Holdings, Inc.)は、阪急電鉄阪神電気鉄道阪急阪神不動産阪急交通社阪急阪神エクスプレス阪急阪神ホテルズおよびこれら6社の子会社を統括する持株会社阪急阪神東宝グループの一翼を担う「阪急阪神ホールディングスグループ」の中核企業である。

スローガンは「次のよろこびを、つくろう。

 

阪急阪神ホールディングス本社がある阪急電鉄本社ビル(大阪市北区)

阪急阪神ホールディングス本社がある阪急電鉄本社ビル

大阪市北区

 

本社所在地 日本の旗 日本
530-0012
大阪府大阪市北区芝田一丁目16番1号 阪急電鉄本社ビル
本店所在地 563-0056
大阪府池田市栄町1番1号(注)
設立 1907年明治40年10月19日
箕面有馬電気軌道株式会社)
業種 陸運業
法人番号 2120901019851 ウィキデータを編集
事業内容 都市交通事業(旅客鉄道事業)
旅行・運送事業
ホテル事業
不動産事業
エンタテインメント・コミュニケーション事業
流通事業 他
代表者 角和夫代表取締役会長兼グループCEO)
杉山健博代表取締役社長
秦雅夫代表取締役副社長)
藤原崇起代表取締役
資本金 994億74百万円
発行済株式総数 2億5428万1千株
売上高 連結:7367億63百万円
(2017年3月期)
営業利益 連結:1040億58百万円
(2017年3月期)
純利益 連結:713億2百万円
(2017年3月期)
純資産 連結:8046億59百万円
(2017年3月期)
総資産 連結:2兆3498億31百万円
(2017年3月期)
従業員数 連結:21,860人
(2017年3月31日現在)
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 5.08%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 3.60%
日本生命保険相互会社 2.28%
(2017年3月31日現在)
主要子会社 阪急電鉄(株) 100%
阪神電気鉄道(株) 100%
阪急阪神不動産(株) 100%
(株)阪急交通社 100%
(株)阪急阪神エクスプレス 100%
(株)阪急阪神ホテルズ 100%

 

概要[ソースを編集]

本社事務所の所在地は大阪府大阪市北区芝田一丁目16番1号、登記上の本店所在地は大阪府池田市栄町1番1号(池田駅の所在地である)。代表取締役会長兼グループCEOは、角和夫代表取締役社長は、杉山健博。東京支社(東京統括室)は、東京都千代田区有楽町一丁目5番2号 東宝ツインタワービル5階。

2005年(平成17年)4月1日持株会社化に伴い、阪急電鉄株式会社から阪急ホールディングス株式会社に商号変更した。持株会社化は、会社分割によって現在の阪急電鉄株式会社(1989年設立、休眠を経て2004年に阪急電鉄分割準備株式会社に商号変更、不動産事業を承継させるために必要な免許登録等を済ませたうえで分割期日の2005年4月1日に阪急電鉄株式会社に商号変更して現在に至る)に事業を承継させる手法でおこなわれた(沿革は阪急電鉄の歴史の項参照)。この時点で、阪急電鉄関連企業は、鉄道不動産レジャー流通事業が阪急電鉄ホテル事業(阪急第一ホテルグループ)は阪急ホテルマネジメント、旅行事業は阪急交通社の3社にそれぞれ再編成された。 このとき、「阪急東宝グループ」の名称については、阪急電鉄グループ(阪急HD)、阪急百貨店グループ、東宝グループの総称として、その後も継続使用されてきた(当時、3グループの資本関係はあまり濃くはなかった)。また、「阪急ホールディングスグループ」とは改称されず、従前のまま「阪急電鉄グループ」と称された。

2006年(平成18年)5月30日から阪神電気鉄道株の株式公開買い付けTOB)を実施。6月19日TOBは成立し、阪神電鉄子会社化。10月1日株式交換で完全子会社化し、阪急ホールディングスから阪急阪神ホールディングスに商号変更された。これにあわせて、「阪急東宝グループ」に代えて「阪急阪神東宝グループ」を誕生させ、阪急東宝グループにおける阪急電鉄グループに相当するものに阪神グループを加えたものを「阪急阪神ホールディングスグループ」とした。

2007年(平成19年)10月1日には連結子会社であった阪神百貨店について、(旧)阪急百貨店(同日、阪急百貨店会社分割純粋持株会社エイチ・ツー・オー リテイリングとなった)との間で株式交換を実施、その結果、阪急百貨店も含めて百貨店グループ会社と当社との資本関係が強化された。

2008年(平成20年)4月1日にはホテル部門子会社・旅行部門子会社それぞれについて、旧阪急系と旧阪神電鉄系とを統合する会社再編を実施した。

2009年(平成21年)4月1日には、神戸市と乗り入れ鉄道会社とで株式持分比率の均衡が図られていた神戸高速鉄道株の神戸市保有分のうち15%を取得し、同社設立後に近接して高速鉄道路線(神戸市営地下鉄西神・山手線)を開設し営業している神戸市から経営権を取得。同社は連結子会社となっている。

2009年(平成21年)11月30日鉄道車両の部品についての資産計上に於いて、2008年3月期までの3年間で約5億円の所得隠しを指摘された事が発覚した[1]。また、その後2011年にも、1億円の所得隠しを指摘されていたことが判明している[2]

2006年1月にプリヴェチューリッヒ企業再生グループ(現・プリヴェ企業再生グループ)が5.01%の阪急ホールディングス株式を取得し筆頭株主になっているが、その後出資比率を2.1%まで低下させている。

阪急による阪神の買収という形態で成立した統合で、従って統合後も阪急側が優位となっている[3]が、社名を含めて通常の吸収合併以上に対等性を強調した配慮が行われている。2019年現在、4人の代表取締役のうち2人が阪神出身者である。ただし、会長、社長職と、社外役員を除く残りの取締役3人は阪急(グループ)出身者が占めている。

主な傘下子会社[ソースを編集]

中核会社は、阪急電鉄株式会社、阪神電気鉄道株式会社、株式会社阪急阪神交通社ホールディングス、株式会社阪急阪神ホテルズの完全子会社4社であったが、旅行・国際事業の見直しにより、阪急阪神交通社ホールディングス(2013年4月1日付で阪急阪神エクスプレスに吸収合併)に代わって株式会社阪急交通社と株式会社阪急阪神エクスプレスが中核会社となっている。2018年4月1日からは当社の子会社となった阪急阪神不動産株式会社(旧阪急不動産)が中核会社に加わった。

運輸事業[ソースを編集]

連結子会社[ソースを編集]

持分法適用会社[ソースを編集]

旅行・運送事業[ソースを編集]

いずれも連結子会社

ホテル事業[ソースを編集]

いずれも連結子会社

不動産事業[ソースを編集]

いずれも連結子会社

エンタテインメント・コミュニケーション事業[ソースを編集]

いずれも連結子会社

リテール事業[ソースを編集]

いずれも連結子会社

その他事業[ソースを編集]

持分法適用会社[ソースを編集]

過去の傘下子会社[ソースを編集]

プロ野球との関係[ソースを編集]

 


ソニー(SONY)/ソニーグループ株式會社

ソニーグループ株式会社Sony Group Corporation)は、東京都港区に本社を置く、日本の多国籍コングロマリット。世界首位のCMOSイメージセンサなどのハードウェア分野をはじめ、映画音楽などのソフトウェア分野、およびハード・ソフト・サービスを横断する家庭用ゲーム機分野に重点を置いている。日経平均株価及びTOPIX Core30の構成銘柄の一つ。1946年に盛田昭夫井深大が、日本の東京都中央区日本橋にあった百貨店・白木屋の3階を借りる形で事務所兼工場を設け、共同で創業した。1955年より用いられ、現ブランドでもあるソニーSony)の商標は、音を意味する英語のSonic、およびラテン語のSon(us)と男の子(坊や)を意味する英語のSonnyに由来する。創業当初は中央区日本橋に拠点を置いていたが、その1年後の1947年には品川区・北品川(御殿山エリア)に移転した。以後約60年間にわたって同地区に分散する形で、多数の関連施設が並ぶ状況だった。2007年には、港区に建設されたソニーシティに本社が移転され、分散していた施設群のほとんどもソニーシティに統合された。かつては独立研究所として「ソニー中央研究所」「ソニー木原研究所」「ソニー中村研究所」「ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所」「ソニーコンピュータサイエンス研究所Sony CSL)」 を擁していたが、中央研究所は1990年代後半に、2006年までにCSL以外のその他の研究所も本社に統合された。

創業以来、本社機能とエレクトロニクス事業を当社が担当し、傘下にコンテンツ事業などが収まる構造だったが、2015年以降エレクトロニクス事業は事業ごとの分社化が進められ、2020年には「ソニーエレクトロニクス株式会社」に残りのエレクトロニクス事業が分社化された。2021年にはさらにエレクトロニクス事業の商号を「ソニー株式会社」とし、当社は「ソニーグループ株式会社」に商号を変更した。

 

非常に多岐にわたる事業ポートフォリオ
東京証券取引所(1958年 - )およびニューヨーク証券取引所(1970年 - )に上場しており、それぞれの業種分類上は電気機器・一般消費財を手掛ける企業であるが、実際の事業内容を一様に定義することは困難と言える。創業期からしばらくの間は、メカトロニクスや磁気や無線(ラジオテレビ受像機)に関する電気製品(AV機器)を中心に手掛ける製造業の企業であり、(家庭用電気機械器具の製造業としての)代表的とされる製品としても、テープレコーダーやトランジスタラジオといった日本初の製品や、ウォークマンハンディカムなど非常に小型化され取り回しやすい製品が挙げられるが、創業者である盛田や、幹部や社員による企画の推進によって、次第に他業種に参入・多様化していった。例えば、
などが挙げられいずれも2020年現在の事業の柱とされているものである。また、当社を筆頭に構成されるソニーグループの子会社群を通じ、銀行業生命保険業損害保険業不動産業放送業出版業アニメーション制作事業芸能マネージメント事業介護事業、教育事業、電気通信事業キャラクターライセンス事業なども手がける
それぞれ
ソニー銀行
ソニー生命保険
ソニー損害保険
ソニー不動産
アニマックス、AXN(放送事業者)
エムオン・エンタテインメント(出版、放送事業者)
ソニー・ピクチャーズ アニメーション、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスA-1 Pictures、CloverWorks(アニメーションの企画・制作)
ソニー・ミュージックアーティスツ(芸能事務所)
ソニー・ライフケア(介護)
ソニー・グローバルエデュケーション(教育)
ソニーネットワークコミュニケーションズ(インターネットサービスプロバイダ、仮想移動体通信事業者
ソニー・クリエイティブプロダクツ(キャラクターのライセンス事業)
かつては化学工業小売業電池パソコン計測器白物家電化粧品飲食店旅行業なども手がけていた 

それぞれ
化学事業:ソニーケミカル(現:デクセリアルズ)
計測器事業:ソニーマニュファクチュアリングシステムズの一部(現:マグネスケール)
リテール、化粧品事業:ソニー・カルチャーエンタテインメント(現:スタイリングライフグループ)
飲食店事業:マキシム・ド・パリ(2015年6月30日をもって閉店)
パソコン事業:VAIO。HiTBiT(1983年)やQuarter L(1988年)、NEWS(1987年)を経て、1996年に発足した事業だった。
に移行している。

その他、日本の教育機関である湘北短期大学や、同じく日本の公益財団法人であるソニー教育財団ソニー音楽財団設立にも関わっている。教育に関しては井深の意向による。
2018年度のグループ会社数は1,733社で、日立製作所より400社以上多く、日本1位である。

 

ソニーグループ株式会社
Sony Group Corporation

ロゴ

Sony headquarters (crop).jpg

東京都港区の本社

 

本社所在地 日本の旗 日本
108-0075
東京都港区港南一丁目7番1号
ソニーシティ
座標北緯35度37分52.3秒 東経139度44分37.5秒
設立 1946年5月7日
東京通信工業株式会社)
業種 電気機器
法人番号 5010401067252 ウィキデータを編集
事業内容 オーディオ、ビデオ機器
テレビ
情報、通信機器
半導体
メディア
主要商品を参照)
代表者 吉田憲一郎代表執行役会長社長CEO
石塚茂樹(代表執行役副会長)
十時裕樹(代表執行役副社長CFO

 

会計監査人 PwCあらた有限責任監査法人
主要株主 Citibank as Depositary Bank for Depositary Receipt Holders 9.41%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 6.98%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 6.37%
JPMorgan Chase Bank 380055 3.11%
(2019年3月31日現在)
主要子会社 ソニーセミコンダクタソリューションズ
ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)
ソニー・インタラクティブエンタテインメント
ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (米国)
ほか多数(#連結子会社を参照
関係する人物 盛田昭夫(共同創業者)
井深大(共同創業者)
大賀典雄(元ソニー社長・元SME社長)
丸山茂雄(元SME社長・元SCE会長)
久夛良木健(元ソニー副社長・元SCE社長)
江崎玲於奈ソニー元研究員、ノーベル物理学賞受賞者)
ほか多数

 

歴史[編集]

創業[編集]

 
東通工時代の広告(1954年)。Soni-TapeのSoniは、SONYの語源の一つである「音」を意味するラテン語のSonusの複数形である[15][16]
井深大(左)と盛田昭夫(右)

1945年(昭和20年)10月、井深大が東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業東京通信研究所を立ち上げる。後に朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流する。

1946年昭和21年)、井深大盛田昭夫により東京通信工業株式会社(とうきょうつうしんこうぎょう、略、東通工〈とうつうこう〉、Tokyo Telecommunications Engineering Corporation)として創業[17][18][19][20]。創業当初は真空管電圧計の製造、販売を行っていた[20]。資本金19万円で、井深大の義父である前田多門終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深大が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、増谷麟監査役、社員20数人。東通工の設立趣意書には

真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ

自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設

と記されている[21]

1950年(昭和25年)には日本初のテープレコーダー(当時はテープコーダーと呼称[22])を開発[23]オランダフィリップス社のような大会社を目指して輸出に注力する方針を立てた[24]東通工は、トランジスタの自社生産に乗り出し[25]1955年(昭和30年)、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した[26]。また、製品すべてに「SONY」のマークを入れることにした[26]。「SONY」以外に考えられたブランド名には、東京通信工業の頭文字である「TTK」や、略称である東通工のローマ字表記「Totsuko」、また東京通信工業を英訳した「Tokyo Teletec」などがある。しかし、

 

「Totsuko」は、盛田がアメリカに出張した時、当時のアメリカ支社の社員が発音に苦労しており、英語話者にとって発音が難しい事が分かったため、候補から外れた。「Teletec」については、同じ名のブランドを持つ企業がアメリカにあることが分かり、断念した[27][28]

1957年昭和32年)のトランジスタラジオ「TR-63」は輸出機として大成功をおさめ[29]1958年(昭和33年)1月に東京通信工業株式会社からソニー株式会社に改称[29]。改称に当たっては、主要取引銀行である三井銀行から、すでに東京通信工業が、日本国内で知名度を得ていることや、ソニー単独では何の会社か分からない事から、反対の意見が出た。銀行は、「Sony」にどういった会社なのかを示すために「Sony Electronic Industries」や「Sony Teletech」などの社名を提案した。また社内でも、東京通信工業という社名に愛着を持っている一部の社員たちは、社名変更に反対した[28]。しかし、盛田たちは「Tokyo Tsushin Kogyo」では世界的な認知度を得ることは難しいと考えており、また社名に「Electronic」などの電機関係の言葉をつけることについても「ソニーが将来、エレクトロニクスの会社であるとは限らない」という趣旨を伝え、「ソニー」の社名を押し切った[30]。同年、東京証券取引所市場第一部に上場を果たした[31]。すでに東京通信工業傘下の国内販売会社は、この前年に「ソニー商事」に社名を変更していた。この販売会社の社名変更に大きな混乱はなく、むしろ認知度は上がり、業績が伸びていた事も、銀行への説得材料となった[28]

1960年代[編集]

1960年昭和35年)には、米国に現地法人を設置し自ら販売活動を始め[24]、翌1961年昭和36年)には日本企業として初めて株式のADR[注 3]発行が日本政府から認められた[32]。また1960年にはスイスに法人を設置してヨーロッパの販売代理店の統括を行うが、1968年(昭和43年)にソニーUKを設置したのを皮切りに国ごとに現地法人を設置していく[33]

トランジスタの研究開発と応用を進め[34]1959年(昭和34年)に世界初の直視型ポータブル・トランジスタテレビを発売するが売れず[34][35]1961年昭和36年)には世界初のビデオテープレコーダー(以下 VTR)[注 4]「SV-201」を開発[36]1967年(同42)にはトランジスタ電卓を発売した[36]1964年(昭和39年)には世界初の家庭用オールトランジスタVTR[注 5]を発表する[37][38]。その一方で放送用音響機器事業からは一度撤退する[39]

カラーテレビの開発では出遅れ、良好な画質のカラーテレビを目指して1961年(36年)にクロマトロンの開発に取り組むが量産に至らず、1967年(昭和42年)にトリニトロンカラーテレビの開発に成功した[40]

この時期はエレクトロニクス製品以外の事業にも進出。1961年昭和36年)にはショールームの建設のため不動産管理会社ソニー企業を設立[37]1968年(昭和43年)には米国のCBSと合弁でレコード会社CBSソニーを設立し1988年にはCBSレコードを買収した[41]

1970年代[編集]

1970年代は家庭用VTRの普及をめざし、1970年(昭和45年)に松下電器産業日本ビクターなどと共同してビデオカセット規格「U規格」を立ち上げる。1971年(昭和46年)に対応製品「Uマチック」を発売するが成功せず、1975年(昭和50年)に小型化・低価格化を図ったビデオカセット規格「ベータマックス」を発売する[38]。ベータマックスは日本ビクターが開発した家庭用VTRビデオカセット規格「VHS」と、家電業界を二分する激しい規格争いビデオ戦争)を繰り広げたが、結局1988年(昭和63年)にVHS機を並売する形で決着した[42]。一方でCCDを利用したカラーカメラとビデオカセットレコーダーを組み合わせた製品(いわゆるカムコーダ)の開発に取り組み、規格統一を図り1985年(昭和60年)に8ミリビデオとして発表した[42]

業務用VTRではテレビ放送局用の「Uマチック」を開発して放送用機材事業に再参入し、放送局のフィルム取材からビデオ取材[注 6]への移行を促した[39]。ベータマックスをベースに開発された1981年の「ベータカム」はENG市場の95%を占めるスタンダードとなった[43]。VTRのデジタル化、コンピュータ化にも取り組み、1980年代後半から対応製品の販売を始めた[43]

オーディオ製品においては1960年代からフィリップス社のコンパクトカセット規格のテープレコーダーの製造・販売を行っていたが、若者向け製品としてヘッドフォンで音楽を聴く形式の携帯型カセットテーププレイヤー「ウォークマン」を1979年に発売[44]。1995年度に生産累計が1億5000万台に達した[44]。日本国立科学博物館重要科学技術史資料として登録された際には「音楽リスニングを大きく変えた」と評価されている[45]

1975年(昭和50年)には米国のユニオンカーバイド社と合弁で電池事業を始めたが[注 7]1986年(昭和61年)にユニオンカーバイド社の経営難から合弁を解消し、単独で事業を継続。電池の研究開発を始めリチウムイオン電池を開発、1990年(平成2年)に製品化を発表した[46]

1979年(昭和54年)にはソニー・プルデンシャル生命保険を設立[41]し保険事業に参入した。

1980年代[編集]

オーディオのデジタル化にも取り組み、フィリップス社と共同してCDを開発[47]CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からのソフトとディスク生産体制の提供を受け1982年(昭和57年)に発売した[48]1984年(昭和59年)には携帯型CDプレイヤーを発売[48]

CD以降はユーザーが記録可能な光ディスクの開発にも取り組み、1988年(昭和63年)に光磁気ディスク(MO)を発売した。そして、1992年平成4年)にMD規格を立ち上げた[49]。映像を記録する光ディスクについてはフィリップス社との共同開発が試みられたが、最終的に規格統一に合意し、DVD規格の立ち上げに参画した[49]

1970年代末からコンピュータ関連機器の開発に取り組み、1980年(昭和55年)に英文ワープロとポータブル液晶ディスプレイ付タイプライターを発売[50]1982年(昭和57年)には「SMC-70」を発売してパソコン市場に参入[51]、さらに1983年(昭和58年)には「HitBit」ブランドでホビーパソコン規格MSXへの参入も行った[50]。しかし1980年代に開発されたこれらの商品群は、英文ワープロ用に開発した3.5インチフロッピーディスクこそ、後のデファクトスタンダードとなったものの、多くは鳴かず飛ばずに終わった[50]。この理由としては、当時メジャーなアップルNECの言語を使わず、自社の"Sony Basic"を組み込んでいたことなどがあげられる。

また、1984年(昭和59年)には第二電電(DDI、現・KDDI)の設立に関与している。そのため、当時発売していた固定電話機に搭載されていたLCRはDDIの「α-LCR」であったほか、DDIセルラーグループにも1989年の開業当初から携帯電話端末を供給していた。

1989年平成元年)にはコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントを買収して映画事業に参入[41]している。

1990年代[編集]

1993年平成5年)、ソニー・コンピュータエンタテインメントを設立し家庭用ゲーム機事業に参入[41]した。1995年平成7年)にはソニーコミュニケーションネットワーク株式会社を設立しISP事業に参入、翌年からSo-netを開始した[52]

1996年(平成8年)、「VAIO」ブランドでパソコンに再度参入する[51]。また携帯電話会社に対して携帯電話端末の供給を行っていたが[53]2001年 (平成13年)にはエリクソン社と合弁でソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを設立し携帯電話端末の開発・販売を行うことにした[54]

2002年(平成14年)にはフィリップス社やパナソニックなど9社共同でBlu-ray Disc規格を策定した[55]

2010年代[編集]

ゲーム事業を担っているソニー・コンピュータエンタテインメントは、2012年平成24年)3月期以降3期連続の債務超過となっており[56][57]、債務保証を行っていたが[58]、2017年3月期決算で債務超過は解消している[59]

また2012年平成24年エリクソンから株式を取得してソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを完全子会社とし、携帯電話端末事業がソニー単体の事業に戻った[60]

2014年平成26年7月にはテレビ事業を分社化[61]。またテレビ事業は10年連続で赤字が続き、リストラを繰り返しており、2017年(平成29年)の売上目標は当初の見通しより低く抑えている[62]。同年パーソナルコンピュータVAIO事業を売却[63]。また利益重視の姿勢を打ち出し、国際サッカー連盟のスポンサーを降板[64]

2015年平成27年)オンラインゲーム子会社ソニー・オンライン・エンタテインメントをコロンバス・ノバに売却。SOEソニーのプラットフォーム以外にもソフトを供給できるようになる[65]

2018年(平成30年)10月より、日立ブランド薄型テレビ&BDレコーダー「Wooo」の国内販売終了に伴い、「ブラビア」をはじめとするソニー製品を日立系列店「日立チェーンストール」にも供給開始した。

2020年代[編集]

2020年令和2年)4月1日、エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション分野を統括する中間持株会社である、ソニーエレクトロニクス株式会社を設立。

2021年(令和3年)4月1日に、ソニー株式会社(初代法人)がソニーグループ株式会社に商号を変更[66]。また、ソニー株式会社(初代法人)のエレクトロニクス事業と、ソニーエレクトロニクス、ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツソニーモバイルコミュニケーションズが統合し、ソニー株式会社(二代目法人)が誕生[67]

沿革[編集]

社業[編集]

分野別[編集]

オーディオ

オーディオ・ビジュアル

カメラ分野

コンピュータ

コンポーネント

製品[編集]

現行[編集]

テレビ[注 9]

ブルーレイディスクレコーダー[注 9]

Ultra HD ブルーレイディスクプレーヤー[注 9]

  • (UBP)

ブルーレイディスクプレーヤー[注 9]

  • (BDP)

電子ブックリーダー

デジタルカメラ[注 10]

ビデオカメラ[注 10]

携帯電話スマートフォン[注 11]

ラジオ受信機[注 12]

オーディオ[注 9]

ポータブルオーディオプレーヤー[注 9]

ICレコーダー[注 9]

IC記録メディア

ペットロボット

放送業務用ビデオカメラ[注 10]

半導体[注 10]

[114]

過去[編集]

デファクトスタンダード[編集]

規格争いを目的とせず、ソニー製品のために用意されたが、しだいに他社も流用するようになり結果としてデファクトスタンダードとして普及した規格を記載する。

初めて実用化・商品化した製品[編集]

当社が世界あるいは日本で初めて実用化ないし製品化・商品化された製品を記載する。要素技術を発明・新開発したものではないものも含まれる。

ロゴマーク[編集]

SONY」が商標登録された1955年に、社名の周りが四角で囲まれたロゴマークが最初に制作された[115]。その後、1957年に四角が取り払われ、文字のデザインが変更されて以降、年を経るごとにデザインが少しずつ修正されていった[115]

1961年、香港に日本企業初のネオンサインを掲げる際、2代目のロゴはネオンサインに合わないという理由で修正することになる[115]。デザイナーの黒木靖夫[注 13]は、当時ソニー副社長だった盛田から指名され、苦心を重ねて新しいロゴを制作した[115]。こうした努力の結果、黒木のロゴはネオンサイン限定のデザインとはならず、1962年に発売したマイクロテレビの広告で、3代目のロゴとして正式に採用された[115]

3代目のロゴが作られて以降、さらに磨きのかかったロゴに仕上げるため、大賀典雄が室長を務める[注 14]デザイン室にはロゴ専用の委員会が設置された[115]。さらに、1962年に4代目のロゴになってからは使用規定も追加され、コーポレートデザインの実現を目指すようになった[115]

1973年、最初のロゴから数えて6代目のロゴが制作され、現在に至る[115]

なお、東通工時代を含む創立35周年を迎えた1981年に、7代目となるロゴを制作しようと全世界を対象にデザインを公募したものの、井深や盛田が「今のロゴのほうが明快で良い」と話したため、制作は中止となった[115]

ブランドメッセージ[編集]

 
「It's a Sony」ロゴ

1982年、これまでの「SONY」と刻まれたロゴに加えて、「SONY」の「S」がデザインされたイメージが新たに作られた[115]。さらに、盛田の提案により「It's a Sony」(イッツ・ア・ソニー)と英語ナレーションが流れるサウンドロゴテレビCM用に加えられた[115]。これ以降、-コマーシャルの最後に「絵」と「音」を使ったブランドメッセージが使用されるようになった[115]

2009年、世界共通のブランドメッセージとして「make.believe」(メイク・ドット・ビリーブ)を新たに導入した[116]。グループの複数の事業に対して共通のブランドメッセージが使用されたのは初めてとなる[116]

2018年、コマーシャルにおけるブランドメッセージはロゴマークサウンドロゴのみとなっている。サウンドロゴピアノの単音が使用されており、直後に「SONY」とナレーションが流れるバージョンも存在する。また、コロンビア映画トライスター映画、スクリーン・ジェムズのオープニングロゴにも使用されている。

また、テレビ放送では短縮版も存在しており、ロゴは、ソニー・ピクチャーズ・テレビジョンまたは、トライスター・プロダクションのサウンドロゴと一緒に使用されている。この場合時のみピアノの単音は流れない。