鶴我の考察・感想・言葉の息吹を吹き込む日々の呟き。

自然・宇宙・日本の歴史に心赴くままに穏やかに情熱を大事に謙虚と感謝を忘れずに好奇心を持って生きてく男の記録。

アニメーション制作会社の記入。第四章。[アニメ会社と関連する企業を記す日記。] (後半) 其之拾貳

 

ドリーム・フォース

有限会社ドリーム・フォースDream Force inc.)は、かつて存在したアニメラジオドラマCDなどの音響制作、洋画テレビ字幕吹き替え制作を主な事業内容としていた日本の企業。

 

本社所在地 日本の旗 日本
153-0043
東京都目黒区東山2-3-2
COM'S FORUM 4階
設立 1999年8月6日
業種 情報・通信業
事業内容 アニメや洋画の吹き替えなどの音響制作
映像作品の字幕制作
代表者 破産管財人 窪田英一郎

 

概要[編集]

音響スタジオのHALF H・P STUDIO神南スタジオで音響制作担当をしていたアニメーション音響監督髙橋秀雄が独立し、1999年に設立した音響制作会社。設立当初はティー・エヌ・ケー制作作品の音響制作が主だった。音響制作においては、フロンティアワークスが製作するドラマCDを数多く制作した。また、録音スタジオの整音スタジオを子会社化している。2001年には声優のマネジメントを行う芸能プロダクションである「アクアライト」(2003年より有限会社メディアフォースに商号変更。2012年4月に整音スタジオと合併し、株式会社化。)を設立。同年1月、アニメーション制作事業に参入。グロス請けを請け負うまでとなったが、2013年11月30日、アニメーション制作事業を株式会社Peace&Kindnessに譲渡した。2014年2月24日付で事業を停止し、破産申請の準備に入ったと報じられた。負債総額は約1億円。同年7月16日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受けた。

 

作品リスト[編集]

音響制作[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

Webアニメ[編集]

ドラマCD[編集]

他多数

アニメーション制作[編集]

他多数

 

 

 


 

トワイライト スタジオ (アニメ制作会社)

トワイライト スタジオ(株式会社Twilight StudioTwilight Studio inc.)は、日本アニメ制作会社

 

本社所在地 日本の旗 日本
184-0004
東京都中野区東中野1-41-6
カーサヴェルデ102
北緯35度42分17.76秒 東経139度41分14.01秒座標北緯35度42分17.76秒 東経139度41分14.01秒
設立 2017年7月20日
業種 情報・通信業
法人番号 6012401033019 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションを主とする映像の企画・制作

 

概要[編集]

2017年7月20日に設立、中編アニメーション映画薄暮』の制作を目的として設立された。

設立当初は特に案内はされていなかったが、10月になって明らかにされた。10月2日に公式ツイッター、11日に公式ウェブサイトが開設された。4月28日に自社主催でいわき市生涯学習プラザにて「いわきタウンミーティング」というイベントを実施し、『薄暮』の製作スタッフによるトーク意見交換会・アニメの制作資料の展示を行った。なお、このイベントは福島県在住者を参加対象としており、同県民のみで行われた。9月26日に宇野常寛がホストを務める配信番組に山本寛がゲスト出演した際、『薄暮』が2019年初夏公開予定であることを公表した。2019年9月に本社スタジオを置いていた小金井市東小金井5丁目39-11のオークラコーポが建て替えのため取り壊されたが、ホームページや登記簿の変更が行われなかったところから制作・事業活動を停止した模様。2020年7月15日付で中野区東中野1-41-6 Casa Verde102号室への移転を登記、なおホームページの更新は行われていない。

 

〒184-0004 東京都小金井市本町5丁目39−11

 


 


 

日本テレビ動画

 日本テレビ動画(にっぽんテレビどうが、1971年11月設立 - 1973年9月30日解散)は、かつて存在していたアニメ制作プロダクション。本項ではその前身にあたる日放映動画スタジオ(1966年 - 1968年)および、東京テレビ動画(1968年 - 1971年)についても記す。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
950-0086
新潟県新潟市中央区花園2丁目1番16号(登記上の本社所在地)
東京都中野区野方一丁目40番10号
五十嵐ビル[1]5階(東京スタジオ)
設立 1971年(昭和46年)11月
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 渡邊清(新倉雅美
関係する人物 稲庭左武郎(登記上の代表取締役

 



 

概要[編集]

代表作に日本テレビ初の国産テレビアニメシリーズ『戦え!オスパー』や『週刊少年ジャンプ』原作アニメ第1号の『男一匹ガキ大将』をはじめとする日本テレビ系平日夕方放送の帯アニメ谷岡ヤスジ原作の長編アニメーション映画ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』、藤子不二雄原作の『ドラえもん』(第1作)等があり、下記の通り前身会社が設立当時日本テレビと専属契約を結んでいたためか同社との関係が深かったが、子会社ではなく、資本関係はなかった模様。社名も「日本テレビ」+「動画」ではなく、実際は「日本」+「テレビ動画」を意味していた。

ルーツは「国映株式会社」という教育映画ピンク映画を製作していた制作プロダクションが、1965年頃に同社のテレビ製作部門だった日本放送映画の中に、日本テレビ専属のアニメ制作部門を立ち上げたことである[3]1966年には、このアニメ制作部門は日本放送映画の関連会社である有限会社日放映動画スタジオとして独立した[3]。中心人物は、東京ムービー出身の岡本光輝新倉雅美(別名・渡邊清)だった[3]。しかし、『冒険少年シャダー』で納品数が不足するトラブルを起こしたことがあり、それがきっかけで新たに新倉が東京テレビ動画狛江市に立ち上げたという[3]

東京テレビ動画は、引き続き日本テレビ製作のアニメを独占した[4]。当時東京テレビ動画は専属のアニメーターを置かず、外部のスタジオ等と契約して制作していたという[4]。フリーの演出家だった富野喜幸(現・富野由悠季)は、当社制作の『夕やけ番長』で監督としてのデビューを果たしている[5]。『赤き血のイレブン』の監督を務めた岡迫亘弘は、「新倉は金払いが悪いことで有名だったから、有名な人やベテランは寄りつかない。だからこそ、逆に新人が活躍できたんだろうね」と述べている[6]

1971年には新潟市にもスタジオを開設するが、日本テレビと東京テレビ動画の間に金銭的な不祥事が起こり、東京テレビ動画は1971年春以降日本テレビから仕事を干されてしまう[7]。岡迫の証言によれば、日本テレビ側のプロデューサーである藤井賢祐が新倉の贈与の見返りに発注していたことが日本テレビに発覚したため、発注がなくなったという[7]。なお同時期に放送されていた『巨人の星』や『タイガーマスク』のアニメ企画がキー局日本テレビでは採用されず、代わりに関西の準キー局よみうりテレビで採用されていた背景には、藤井が東京テレビ動画の企画を優先して自局に通す一方で、東京ムービー東映動画など他社の企画を門前払い同然で却下していた事情がある[8][9]

その後、代表取締役である新倉は起死回生を狙って映画配給会社との契約未定のまま映画製作に乗り出し、谷岡ヤスジ原作の劇場用アダルトアニメヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を日本ヘラルド映画の配給で社運を賭けて制作・上映するが、興行は大失敗に終わる[7]

そして、新潟スタジオを拠点として1971年11月に再々度立ち上げられた会社が日本テレビ動画である[7]代表取締役稲庭左武郎新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ)の役員で[10][11]、また新倉自身も新潟県出身で田中角栄とつながりがあったという報道もあり[12]、新潟の政財界と関係があったとされる。なお吉川惣司は、稲庭が「お金を出すだけ」の出資者であったと述べている[13]

1972年4月にTBS系列で放送を開始した『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』を制作してテレビアニメに復帰し、同時に制作の利便のために東京都中野区にもスタジオを設置した[13]。だが、後番組の『モンシェリCoCo』は放送中にクレジットからプロデューサーの渡邊(新倉)の名前が消えたうえ、1クールで打ち切りとなり、新倉自身も1972年10月9日付で登記上取締役を辞任するなど、トラブルの存在をうかがわせる現象が起きている[13]

1973年に再び藤井賢祐の企画で日本テレビを放送局とする『ドラえもん』がスタートすると、本社を新潟から東京へと移したとされるが、登記上は最後まで新潟市が本社であった[10]。同作の収益は黒字で、東京テレビ動画時代からの赤字を補填できる目途がついたとされるが[14]、その矢先に新倉が突然失踪する[15]。本作の制作に関わった元スタッフの下崎闊(真佐美ジュン)によると、後を継いだ会長も経営に関心がなくほどなく解散[16][17]日本テレビ動画はわずか2年弱で廃業、『ドラえもん』も急遽打ち切りとなり、日本テレビ動画は名実ともに消滅した。失踪した新倉は1986年に拳銃密輸で逮捕されたが、その後の消息はわかっていない[18]

日本テレビ動画解散後、元スタッフらは田無市西原のアパートに日本テレビ動画の労働組合を作り、失業保険を受け取りながら管財人との交渉の拠点としていた[19]。その後、元スタッフらは就職先が決まったり、アニメの仕事を廃業して田舎に帰ったりしていたので、日本テレビ動画の労働組合1975年3月に活動を終結した[19]。ちなみに2016年時点において、かつて日本テレビ動画の東京スタジオが在所していた五十嵐ビルは現存している[20]

日本テレビ動画が制作したアニメ作品は半年以内で終了する作品が多かった。これは視聴率が取れなかったということもあるが、東京テレビ動画時代からの体質でもあった[21]。なお日本放送映画・東京テレビ動画・日本テレビ動画が制作した諸作品は、いまだに著作権の帰属元がはっきりしていない。

作品リスト[編集]

特記のある作品以外は日本テレビ系で放送。

日本放送映画時代[編集]

東京テレビ動画時代[編集]

日本テレビ動画以降[編集]

作品のビデオソフト化・再放送[編集]

ドラえもん』以外の日本放送映画→東京テレビ動画→日本テレビ動画の作品に関しては、多くがビデオソフト化や再放送が行われており、現在でも同社から作品の版権を引き継いで管理している者が存在するとみられる。

男どアホウ!甲子園』は1987年にバップから全2巻のVHSソフトが発売されている。その後『赤き血のイレブン』が1994年にバップから全話収録のVHSソフト全9巻が発売(2002年にラインコミュニケーションズから全12巻でVHS・DVD化)、2012年にはAT-Xで再放送が行われた。またAT-Xでは『男一匹ガキ大将』も2011年に再放送が行われ、2018年にはベストフィールドから初ソフト化となるDVD-BOXが発売された。また未ソフト化作品に関しても『モンシェリCoCo』が1990年代にキッズステーションで再放送されている。

谷岡ヤスジ原作の劇場用作品『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』はIMAGICAネガフィルムが発見され、原作者の著作権継承者の意向でニュープリントに焼かれた。その後はゆうばり国際ファンタスティック映画祭2005東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)の上映企画「発掘された映画たち2018」などで再上映され、2019年には幻の映画復刻レーベルDIGから初ソフト化されている。

1989年に株式会社ハミングバードから発売されたアニメ主題歌集ソフト『マニア愛蔵版 懐かし~いTVアニメテーマコレクション』(LD・VHS)には、他社作品と共に『戦え!オスパー』『とびだせ!バッチリ』『冒険少年シャダー』『夕やけ番長』『男一匹ガキ大将』『赤き血のイレブン』『男どアホウ!甲子園』『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』『モンシェリCoCo』のオープニング映像が収録されている。

ドラえもん』のフィルムは本放送終了後も複数の局でたびたび再放送が行われていたが、1979年にテレビ朝日系でシンエイ動画[24]版の『ドラえもん』の放送が開始されると、原作者や原作の版権元の小学館およびテレビ朝日の意向で、日本テレビ動画版の『ドラえもん』の再放送は行われなくなった[25]真佐美ジュンによると、フィルムは日本テレビで7年間保管されていたというが[16]、その後、行方不明となった。2000年代になって、真佐美ジュンがラッシュフィルムなど8話分を所持していたことが判明したほか、1995年IMAGICAで最終回を含む後半16話分のネガフィルムが発見されていたことが安藤健二の調査で明らかになったが、ネガフィルムの権利所有者は不明のままだという。

 

 


 

http://doraemon.aikotoba.jp/

 ※日本テレビ動画の生い立ち(前身は東京テレビ動画)

 

 

http://mcsammy.fc2web.com/DoraEmonLastday.html

 ※日本テレビ動画 最後の日

 

 

 


 

 

日本マンガフィルム研究所

 日本マンガフィルム研究所(にほんマンガフィルムけんきゅうじょ、1933年 - 1943年)は、かつて存在した日本のアニメーション映画の製作会社である。製作したアニメーションはいずれもトーキーであった。

 

 

市場情報 消滅
設立 1933年
業種 サービス業
事業内容 アニメーション映画の製作
代表者 瀬尾光世 1933年 - 1935年
高松豊次郎 1941年 - 1943年
主要株主 岩松洋行
関係する人物 瀬尾光世
片岡芳太郎
山根幹人

 

 

略歴・概要[編集]

1933年昭和8年)、京都の政岡憲三による政岡映画美術研究所を退社した瀬尾光世が設立した。同年11月11日、第1回作品『お猿三吉 防空戦の巻』が東和商事映画部(現在の東宝東和)の配給で公開された。1935年(昭和10年)には瀬尾は瀬尾発声漫画研究所を設立、アニメーション映画『のらくろ二等兵』および『のらくろ一等兵』を発表している。瀬尾の脱退後、製作が途絶える。1941年(昭和16年)、大正末年からアニメーションの研究・製作を始めていた岩松洋行高松豊次郎がプロデュースし、製作を再開する。瀬尾が始めた「お猿三吉」シリーズは、横浜シネマ商会から日本マンガフィルム研究所に移籍したアニメーター片岡芳太郎が継承した。1943年(昭和18年)7月1日に公開された『お猿三吉 鬪ふ潜水艦』は、監督に片岡のほか、マキノ東京派ことタカマツ・アズマプロダクション山根幹人が共同監督として名を連ねている。同年の『お猿三吉 奮戦記』を最後に、1944年(昭和19年)以降の同社の消息は不詳である。『古寺のおばけ騒動』は近年発見され、2008年(平成20年)4月24日、5月11日の両日、東京国立近代美術館フィルムセンターで上映された。

 

 

 


 

ノーサイド (企業)

 有限会社ノーサイドは、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容としていた日本企業

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
東京都武蔵野市八幡町1-6-2
設立 1994年2月
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 宮下勇治(代表取締役

 

 


概要・沿革[編集]

日本アニメーションの制作出身の宮下勇治が、ビジュアル80を経て、1994年に設立したアニメ制作会社。主に『くまの子ウーフ』等のファミリー向けアニメ作品や、他社からのグロス請けを中心に活動していた。

 

 

主な作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

 

 

パブリック&ベーシック

 株式会社パブリック&ベーシックは、かつて存在した日本アニメーション企画・制作会社。代表作は『サイボーグクロちゃん』や『へろへろくん』。2001年1月倒産

 

 

概要[編集]

通称「PiBi」。住所は東京都中野区中央1-35-6VERTビル3F。移転後の住所は東京都新宿区歌舞伎町1-2-3レオ新宿706。代表取締役はアニメーション制作会社のアウベックのプロデューサーだった松浦賢子。取締役副社長は賢子の息子である松浦公基が務めていた。

サイボーグクロちゃん』や『へろへろくん』などのアニメを製作。特に『サイボーグクロちゃん』は小中学生など低年齢層の間でヒットし、同アニメのおもちゃ「うちまくりクロちゃんシリーズ」の売れ行きも好調だった。

アニメでは成功していたものの、人件費などの予算面の困難や副社長の事業の失敗により、倒産に至った。なお、スタジオボギーの取締役も賢子が務めており、PiBiと同時に倒産した。スタッフの一部はスタジオぎゃろっぷ等に移籍した。

制作スタジオではあるが、作画部は存在せず制作進行も雇っていない。そのため、スタジオボギーなどに実制作を発注しており、パブリック&ベーシック側は制作プロデューサーや文芸制作を発注して制作を管理していた。

 


 

主な作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

当初は全4クール予定(2クール説もある)だったが、好評を受けて2クール延長され6クールの放送が決まっていた。しかし、延長決定直後に倒産が決定し、製作不能となったため、延長となった内の1クール分は急遽再放送で穴埋めされた。
UHFアニメとして制作計画があったが倒産により頓挫し、アニメ化そのものが白紙化となっている。

OVA[編集]

劇場アニメ[編集]

 

 

フジテレビ・エンタプライズ

 フジテレビ・エンタプライズは、かつて存在した日本アニメ制作会社。 1968年頃までの旧社名は「テレビ動画(テレビ動画株式会社)」(JAPAN TELE-CARTOONS, INC.)であった。本項では、その前身に当たる「東京光映」についても記す。

 

 

フジテレビ・エンタプライズ
設立 1963年
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作
関係する人物 岡部一彦前田一

 

 

 

概要[編集]

1963年、実写並びにアニメのTVCF制作会社である「東京光映」と、フジテレビの子会社である「共同テレビ(株式会社共同テレビジョン」が共同出資して設立した[1]。 制作スタッフ集めは、主として東京光映に籍をおいていた岡部一彦が行った[2]。 最初から撮影まで一貫して行える設備が整っており[3]、「テレビ動画」時代には、「ドルフィン王子」「怪盗プライド」の制作や他社作品の制作協力などを手がけた。1968年頃に「フジテレビ・エンタプライズ」に改組し[4]、総合イベント企画会社に転向すると同時に動画製作部門も縮小され、多くのアニメ関係者が退社することとなった。[5] 改組後は、フジテレビで放送する帯アニメやテレビ紙芝居のほか、TVCF制作[6]やレコード出版事業[7]など事業の幅を広げて活動していた。1971年4月には制作部門を分離し[8]、実制作は民話社などに委託する形を取っていた[9]。最終的に、1973年6月に親会社の共同テレビに吸収される形で消滅した。

 

 

 

作品リスト[編集]

テレビ動画時代[編集]

フジテレビ・エンタプライズ時代[編集]

 

 

 

フレームポット

 フレームポットは、1999年10月頃までアニメーション撮影事業を行っていた日本の組織。

 

 

概要[編集]

虫プロの撮影スタッフである熊谷幌史が設立したアニメ撮影スタジオ。設立当初より旧虫プロOBが代表を務めるグルーパープロダクション(サンリオ製作のアニメーション映画)やマッドハウスの作品を中心に手掛けた。1990年代に入ると日本アニメーション敷地内にあったトランス・アーツ多摩スタジオが撤退したことに伴い、入れ替えに居を構え、日本アニメーションのフィルム撮影部門として活動。アニメ制作工程のデジタル化が進み、日本アニメーション社内でもデジタル彩色・合成部門が設けられたため、1999年11月頃に廃業・解散した。

作品履歴[編集]

テレビシリーズ[編集]

 

 

南町奉行所 (アニメ制作会社)

 有限会社南町奉行所(みなみまちぶぎょうしょ)は、アニメーション作品の企画・制作を主な事業内容としていた日本企業

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
166-0015
東京都杉並区成田東4-34-14
ヤマフジビル4階
設立 1989年(法人組織として)
業種 情報・通信業
法人番号 1011302009009 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 靏山 修(代表取締役
資本金 1000万円
従業員数 27名
関係する人物 山崎理(創業者・初代代表取締役
大貫健一(創業者)
大張正己(創業者)
西井正典(創業者)


 

概要[編集]

カナメプロダクション出身の山崎理が、靏山修(現つるやまおさむ)、大貫健一大張正己西井正典らと共に、フリースタジオとして1984年に設立。設立当初は他社からの作画下請けが中心だったが、1987年J.C.STAFFが制作した『妖刀伝』シリーズのメインスタッフルームとして、企画原案監督キャラクターデザイン作画監督などを担当し、注目を浴びた。

法人化した1989年頃からはゲーム業界との関わりを増し、『3×3 EYES』のアドベンチャーゲームシリーズや2D対戦型格闘ゲームGUILTY GEAR X』のグラフィック制作に協力。それを機に踏み切った社内のデジタル化も、アニメ業界で相当に早い時期から対応しており、テレビアニメを単独で企画・制作するようになってからは、企画・シナリオ・絵コンテ・デザイン・作画・仕上げ・撮影と、ほぼアニメ制作の全工程を社内で遂行できる規模の会社として経営されている。

2007年東京キッズと共同制作したテレビアニメ『地球へ…』を機に元請制作を開始。同年10月、靏山修が代表取締役に就任。

その後、『宇宙戦艦ヤマト2199』の制作現場となる予定だったが、2009年東京キッズ倒産の煽りを受けて事業停止し、スタジオも引き払われた。尚、2019年現在も法人格自体は存続している。

主な作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

  • 妖刀伝 (制作元請:J.C.STAFF、制作協力、1989年)

ゲーム[編集]

  • トランプボーイ (1990年)
  • 3×3 EYES 〜三只眼變成〜 (1990年)
  • 3×3 EYES 〜吸精公主〜 (1995年)
  • 3×3 EYES 〜転輪王幻夢〜 (1997年)
  • GUILTY GEAR X (2000年)

作画担当作品[編集]

テレビシリーズ
劇場映画

 


 

民話社

民話社(みんわしゃ)は、かつて東京都港区南青山に存在した日本のアニメ制作会社。1968年までの旧社名は「教育漫画社」であった。

 

本社所在地 日本の旗 日本
408-6151
東京都港区南青山2-4-15 協立第2ビル
設立 1961年
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 大矢敏行
資本金 800万円
従業員数 30名

 


概要[編集]

1961年、東映出身の大矢敏行によって、児童教育漫画を製作する「教育漫画社」として発足した[2]

1968年10月に「民話社」と社名変更し、1969年から「子供のための新しい動画作り」を目標に自主作品やTVアニメの下請けなどを手がけていた[2]東映動画の出身者が集まって設立したプロダクションで、東映動画ロックアウトのために『デビルマン』の制作当初にスタッフルームとして使われていたこともある[4]

同社はアニメ制作のほか、家庭の主婦を対象としたアニメ技術者の指導訓練の通信教育業務も行っていた[2]。3か月間の教育で優秀と認められた人は民話社のスタッフとして家庭で仕事ができる仕組みとされていたが、実際に採用された人は100人前後にすぎなかったという[5]。また、通信教育では演出やアニメーターの養成コースも存在したが、トレスやペイントの仕上げコースに最も力を入れていたとされる[6]

相次いで不渡りを出したため、1974年1月11日に倒産した。負債総額は約1億5000万円、全国の被害者の数は1万人近くにのぼるとみられていた。また、当時の読売新聞では計画倒産の疑惑が報じられていた[5]。倒産後、元従業員らは民話社の「にわか労組」を結成したという[7]

倒産に伴い夜逃げした[5]大矢敏行社長は、その後、1978年に「代々木アニメーション学院」を設立し、再びアニメーション教育に携わることとなった。

 

作品リスト[編集]

元請け[編集]

テレビ作品[編集]

16ミリフィルム作品[編集]

下請け[編集]

テレビ作品[編集]

16ミリフィルム作品[編集]

  • 伸びゆく足利(1971年、元請け:足利市[9]
  • 新訳・金瓶梅(1971年、元請け:東映ビデオ[9]
  • 全国消費者連合会(1973年、元請け:フジテレビ・エンタプライズ)[8]
  • カクハンスタンド(1973年、元請け:日本ゲージ)[8]
  • 神道(1973年、元請け:天神人祖一神宮)[8]
  • 伸びゆく十文字学園・前編(1973年、元請け:十文字学園[8]
  • 女性美の創造(1973年、元請け:地方自治映画制作委堀)[8]
  • 磯節のふるさと(1973年、元請け:大洗町

 

 

ムークアニメーション

株式会社ムークアニメーションは、アニメーションの企画・制作を主な事業内容とする日本の企業。

 

本社所在地 日本の旗 日本
206-0801
東京都稲城市大丸536-5多摩稲城マンションC棟
設立 1986年9月13日
業種 情報・通信業
法人番号 8013401006458 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作
代表者 熊瀬 哲郎(代表取締役
資本金 1,000万円

 


概要・沿革[編集]

トランス・アーツのスタッフ出身で、シンエイ動画で『忍者ハットリくん』、『パーマン』等で制作に協力していたパンメディアの制作プロデューサーだった熊瀬哲郎(熊瀬演造)が、ネオ・メディア出身でスタジオジブリのアニメーターである百瀬義行と共に、1986年に「株式会社ムーク」として設立したアニメ制作会社である。設立当初は、海外合作作品および海外作品の外注や教育ビデオの制作が中心だったが、1990年代以降、日本国内で制作されているアニメ作品の外注が中心となり、2000年代以降は、他社からのグロス請けを開始した。2001年、商号を「株式会社ムークアニメーション」に変更(※当時、本社は東京都杉並区高井戸東3丁目19番8号に所在した)。2006年8月には、映像コンテンツの制作会社であるDLE資本提携を結び、翌年には商号を「株式会社ムークDLE」へ変更した。しかし、2008年にはDLEとの資本提携を解消し、同年8月1日には社名を「株式会社ムークアニメーション」に戻した[1]。なお、『sin in the rain』より元請制作を開始している。主にマッドハウスからのグロス請け、および他社からの作画下請けを中心に活動している。

2010年、会社分割により港区虎ノ門に清水荘吉を代表として、株式会社ムークソラティアアニメーションを設立。実制作部門はNEOピクチャーズ(東京)とソラティア(沖縄)、海外電送動仕事業はティー・エー・ピー(東映アニメーションのフィリピン支社である東映アニメーションフィリピンとは無関係)に分かれた。しかし、翌2011年にスペシャル版放送後にテレビシリーズとして制作していた『島んちゅMiRiKa』が予定の9月を過ぎても納入されず、同時期ソラティアが活動停止状態に陥る。2014年現在、NEOピクチャーズは表立った活動を確認できず、事業を継続しているのはティー・エー・ピーのみである。

多くの作品の場合「ムークアニメーション」、「ムーク」、「ムークDLE」、「MOOK ANIMATION」、「ムークソラティアアニメーション」、「ムークソラティア」等の名義でクレジットされる。

 

主な作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

ビデオシリーズ[編集]

劇場作品[編集]

その他[編集]

 

 

 

 

夢弦館

有限会社夢弦館(むげんかん)は、かつて埼玉県所沢市に存在した日本の企業。アニメーション制作会社であったが、作画作業を主な事業内容とした。

 

本社所在地 日本の旗 日本
167-0043
埼玉県所沢市松葉町2番14号
北緯35度48分28.5秒 東経139度27分20.4秒座標北緯35度48分28.5秒 東経139度27分20.4秒
設立 1992年7月
業種 情報・通信業
法人番号 7030002031389 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーション制作

 


概要[編集]

東映動画出身の椛島義夫Aプロダクション、スタジオ古留美を経て1992年(平成4年)7月に設立したアニメーション制作会社である。 『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など、シンエイ動画作品に参加することが多かった。2017年(平成29年)7月15日に創業者であり代表取締役社長の椛島義夫が死去したことに伴い、同年10月31日を以って廃業し、解散することとなった。

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

WEBアニメ[編集]

劇場映画[編集]