アニメーション制作会社の記入。第四章。[アニメ会社と関連する企業を記す日記。] (後半) 其之玖

 

 

サイクロングラフィックス

 有限会社サイクロングラフィックスCYCLONE GRAPHICS inc.)は、アニメーションを中心とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本企業

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
168-0072
東京都杉並区松庵3丁目24番11号
ハイネス隆1-A
座標北緯35度42分12.5秒 東経139度35分46.9秒
設立 2002年
業種 情報・通信業
法人番号 2011302011310 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションを中心とした映像作品の企画・制作

 

 


概要[編集]

2002年に設立。代表は『おでんくん』や『美肌一族』『ナンダカベロニカ』などを監督した加藤道哉

劇場用アニメーション・TVアニメーションの演出・3DCG・特殊撮影(スペシャルエフェクト)が主たる業務である。

作品履歴[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

OVA[編集]

Webアニメ[編集]

その他[編集]

 

 


 

https://cyclone-graphics.tumblr.com/post/112756690970/%E8%8A%B1%E3%81%AF%E5%92%B2%E3%81%8F%E6%9D%B1%E5%8C%97%E3%81%AB%E5%92%B2%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%86%8D%E6%94%BE%E9%80%81%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%A7%E3%81%99-%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AE%E7%99%BA%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%94%E5%B9%B4%E3%81%8C%E7%B5%8C%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99


 

 

 ※CYCLONE GRAPHICS inc. (サイクロングラフィックス)- Tumblr(タンブラー)

 

 

 

 

パルサーデザイン

 株式会社パルサーデザイン英文表記PulsarDesign)は、ゲームアニメーション制作のうち、背景美術グラフィック制作を主な事業内容とした日本の企業。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
208-0023
東京都武蔵村山市伊奈平5-1-3
大岸ビル4F
設立 2013年3月
業種 情報・通信業
法人番号 7012801009880
事業内容 ゲーム・アニメーションの背景美術制作
代表者

代表取締役: 清水健太

代表取締役: 徳田俊之

 

 


 

概要[編集]

スタジオ・イースター出身のアニメーション美術監督徳田俊之清水健太2013年に設立した背景美術制作会社。

主な参加作品[編集]

ゲーム[編集]

アニメーション[編集]

 

 

 


 

 

 

 

 

スタジオアールエフ

 

有限会社スタジオアールエフ(英語表記:StudioRF Inc.)は沖縄県宮古島市平良地区に本社のある、アニメーションの制作を主な事業内容とする日本企業

和歌山県生まれ・沖縄県宮古島出身の比嘉一博(ロマのフ比嘉)が電気通信大学卒業後、プロジェクトチームDoGA主催の第9回CGアニメコンテスト(1997年)において、作品『ONE DAY, SOME GIRL』がグランプリを受賞。その後、ナムコを経て、フリーランスで映像製作を手がけつつ自主制作作品も製作した。その後2007年10月1日沖縄県宮古島市に本社を東京都新宿区スタジオを構えて創業した。日本のアニメ制作会社としては珍しく、沖縄県の離島である宮古島に本社が存在する。事実上、3DCGアニメーション制作は東京スタジオが行い、スタジオアールエフ本社は福祉関連の業務を行っている。将来的には株式化することも言及している。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
906-0013
沖縄県宮古島市平良字下里3107-252番地
設立 2007年
業種 情報・通信業
法人番号 9360002022056
事業内容 3DCGアニメーション制作
代表者 代表取締役 比嘉 一博(ロマのフ比嘉
資本金 300万円

 

 


 

作品履歴[編集]

 

 

 


 

 

水戸アニメーション

 

有限会社水戸アニメーション制作所は、日本アニメ制作会社1999年頃にフリーのアニメーター小林一三が、茨城県水戸市にある実家でアニメスタジオを始める。当時はまだ会社組織になっていなかった。2005年頃に有限会社水戸アニメーション制作所として正式に会社組織となる。最盛期で15人ほどのスタッフが居た(外注を含む)。水戸アニメーション制作所の代表作としてテレビ東京系列で土曜早朝に放送された『サイボーグクロちゃん』が挙げられる。小林一三は『サイボーグクロちゃん』のオープニング、エンディング、原画、作画監督を手掛けた。その後、『はじめの一歩』『キン肉マン』『逮捕しちゃうぞ』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『東京アンダーグラウンド』『PROJECT ARMS <プロジェクトアームズ>』『ギャラクシーエンジェル』『シスター・プリンセスRePure』『強殖装甲ガイバー』『アルスラーン戦記』『新あたしンち』『アトム ザ・ビギニング』『遊戯王5D's』『NARUTO -ナルト-』『ドラゴンボール超』など、様々なテレビアニメの原画と作画監督を水戸アニメーション制作所で担当した。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
310-0021
茨城県水戸市南町3丁目1番27号
北緯36度22分33.8秒 東経140度28分2.2秒座標北緯36度22分33.8秒 東経140度28分2.2秒
業種 情報・通信業
法人番号 4050002007646
代表者 代表取締役 小林一三

 

 

 


 


 

 

 

スタジオ・ヴィクトリー

 有限会社スタジオ・ヴィクトリーは、東京都練馬区東大泉に本社を置く、アニメーション制作会社。作画作業の請負を、主な事業内容としている。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
178-0063
東京都練馬区東大泉4-31-10
設立 1987年
業種 情報・通信業
法人番号 6011602005462 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーション制作

 

 


 

概要[編集]

東映動画・旧虫プロダクションの作画出身で日本放送映画(後の日本テレビ動画)に所属していた岡迫亘弘が土田プロダクションを経て、1987年に設立した作画スタジオである。主に、シンエイ動画の諸作品の作画を手がけている。多くの作品の場合、「スタジオ・ヴィクトリー」、「スタジオヴィクトリー」、「スタジオビクトリー」等の名義でクレジットされる。

 

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

 

 

スタジオコスモス

 有限会社スタジオコスモスは、アニメーション制作のうち、撮影作業の請負を主な事業内容とする日本の企業である。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
352-0016
埼玉県新座市馬場3-4-29
設立 1974年9月10日
業種 情報・通信業
法人番号 9030002061723
事業内容 アニメーション制作
代表者 代表取締役 白井 芳美

 

 


概要[編集]

実写の撮影技師を経て、ナックでアニメーション撮影を手掛けた白井久男によって設立。

アニメーション撮影のスタジオとしては、アニメフィルムトランス・アーツに次ぐ老舗のスタジオである。スタジオジブリ作品やドラゴンボールシリーズ(但し途中まで)、新世紀エヴァンゲリオンポケットモンスターシリーズ、カードキャプターさくらNARUTO -ナルト-シリーズなど、多数の作品で撮影を手がけている。アニメーションの背景を手掛けた旧スタジオコスモス(現在はコスモス・アーツ)との関係は無い。

全盛期は約20名以上のスタッフが在籍していた。撮影形態がデジタル合成に移行を始めた2000年頃には、新たにひばりケ丘へデジタル専門のスタジオも構え、一時期は「スタジオコスモス デジタルファクトリー」、「Digital Cosmos」とクレジットされていた作品もある。2019年4月28日、創業者の白井久男が逝去。新たに白井芳美が代表取締役に就任したものの、長きにわたって撮影を手掛けたポケットモンスターシリーズをはじめ、レギュラーで参加した作品を年内に全て降板し、今後の活動状況は不明となっている。

 

 

主な参加作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

WEB配信[編集]

劇場映画[編集]

 

 

 

石垣プロダクション

 石垣プロダクション(いしがきプロダクション、正式名称:代々木アート・プランニング有限会社石垣プロダクション)は、アニメーション制作のうち、背景画の制作を主な事業内容とする日本企業

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
166-0001
東京都杉並区阿佐ヶ谷北4-4-5
阿佐ヶ谷ビル
設立 1981年4月17日
業種 情報・通信業
法人番号 9011302009769 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの背景美術制作
代表者 石垣 努(代表取締役

 

 


概要・沿革[編集]

小林プロダクション出身の美術監督石垣努が設立した、アニメ背景美術会社である。主にトムス・エンタテインメント作品を中心に背景を手がけている。

多くの作品の場合、「石垣プロダクション」、または関連のスタジオである代々木アートプランニング(よよぎアートプランニング)の合同名義として「Y.A.P.(有)石垣プロダクション」(ワイエーピーゆうげんがいしゃいしがきプロダクション)などとクレジットされる。

主な参加作品[編集]

公式サイトの「作品履歴・作業風景」による[2]

テレビアニメ[編集]

テレビスペシャ[編集]

OVA[編集]

劇場アニメ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 代々木アート・プランニング有限会社石垣プロダクション 登記簿記載事項(法人番号 9011302009769)
  2. ^ 作品履歴・作業風景|アニメ,・ゲーム背景画(背景美術)制作会社Y.A.P

美術監督などの名作者[編集]

  • 石垣努
  • 小山田有希
  • 光元博行
  • 横山幸博
  • 渋谷幸弘
  • 佐藤勝
  • 福島孝喜
  • 柏村明香
  • 間庭奈美
  • 長谷川弘行

 

 


 

J.O.スタヂオ

 J.O.スタヂオ(ジェー・オー・スタヂオ、1933年 設立 - 1937年 合併)は、かつて昭和初期に京都に存在した日本の映画会社である。東宝の前身の一つ。京都の太秦蚕ノ社前(現・大日本印刷太秦工場付近)に映画スタジオをもつ。本項ではその後身である東宝映画京都撮影所(1937年 - 1941年)についても記す。

 

 

略歴・概要[編集]

大正時代、京都の輸入商、大沢商会は米国の映画撮影機ベル・ハウエルおよびプリンターを輸入し、松竹や日活などの映画会社や官公庁に販売し、「極東総代理店」を掲げていた。

大沢商会の大澤善夫社長は、大正14年に米国プリンストン大学を卒業後、欧米を巡って映画事情を視察・研究。同社の写真部部員、熊沢甚之助を米国ペンシルバニア大学に留学させ、来るべき日本映画のトーキー化に備えた。

1928年(昭和3年)、大沢は、ペンシルバニア大学を卒業した熊沢とともに欧米視察から帰国。ドイツのアグファフィルムの直輸入を始め、京都・太秦蚕ノ社前に現像所を建てる。

大沢は日活太秦撮影所所長池永浩久にトーキー装置を持ち込み、共同提携案を売り込むが、社内のお家騒動で池永が退社。ウェスタン・エレクトリック採用論者である中谷貞頼派が実権を握り、大沢は日活との交渉を断念。トーキー設備の新設には50万円(当時)の資金が必要であり、大沢はこれだけの資金を捻出できる映画会社は皆無であると判断して、自らトーキー・スタヂオを建設し、映画会社にこれを貸し出す事業に乗り出す。

1932年昭和7年)10月、大沢は蚕ノ社前の現像所に合わせ2千坪(6,600㎡)の土地を買収、撮影所を建設開始。

1933年昭和8年)、貸スタヂオが完成。これを「株式会社J.Oスタヂオ」とする。「J.O」の名称の由来は、「ジェンキンス・システム」のトーキーによる映画製作に因んだもので、「J」はジェンキンスの「J」、「O」は大沢商会の「O」である[1][2]。大沢商会写真部部長上野奎司、小山又右衛門、熊沢甚之助の三者を呼んで経営に当たらせ、大沢は常務として直接指揮に当たった。

撮影所顧問には、日活京都撮影所長を退社していた池永浩久を迎え、池永は映画製作会社太秦発声映画をJ.O.スタヂオ内に設立、昭和9年より日活との提携作品を製作開始した。また、「J.O映画製作所付属J.O俳優養成所」[3]と、アニメ制作室を併設。

続いて、J.Oスタヂオと同じ昭和8年に東京世田谷砧村に創立されたピー・シー・エル映画製作所(P.C.L)が、大沢商会と結んで本格的な映画製作を開始する。翌昭和9年円谷英二が撮影技師主任として入社。

1935年(昭和10年)1月、『百万人の合唱』(富岡敦雄監督)公開。同年、スタヂオ第二回作品『かぐや姫』(演出:田中善次郎)公開。政岡憲三円谷英二人形アニメーションを共同演出した。

1936年(昭和11年)3月、『小唄礫 鳥追お市』(円谷英二監督)公開。同年、P.C.Lとの提携を受けて「太秦発声」がJ.Oでの映画製作を中止。「J.O俳優養成所」では五千人からのオーディションを行い、津島和雄井上忠実大方志郎会津靜雄(三田進)、花沢徳衛山島秀治、板倉与志雄(佐山亮)、沼崎勲工藤城治郎の9人の研究生が俳優課の幹部候補生に選ばれる[4]

1937年(昭和12年)、初の日独合作映画『新しき土』を製作。この間、大河内傳次郎原節子などの他社のスターが移籍、同年4月に解散したマキノトーキーの監督、久保為義も移籍加入した。J.O.スタヂオ技術者として渡支した菱刈隆文北支事変にて航空機に乗り北京上空から20万枚の宣戦布告ビラを撒いた。

 

 

 

東宝映画京都撮影所となる[編集]

1937年昭和12年)10月、J.O.スタヂオは、東京砧のピー・シー・エル映画製作所東宝映画配給、写真化学研究所の3社と合併、東宝映画株式会社が設立される。J.O.スタヂオは「東宝映画京都撮影所」、P.C.Lが同東京撮影所(現・東宝スタジオ)となった。森岩雄の招きで、円谷英二は砧の東京撮影所へ移籍。

当初は東京撮影所が現代劇、京都撮影所(J.O)が時代劇という制作分担だったが、東京の施設を拡充、時代劇も東京が製作するようになり、京都撮影所は東京撮影所の補助となる。

1938年昭和13年)2月に今井映画製作所を吸収。

1941年昭和16年)9月19日に閉鎖。跡地は大日本印刷 京都工場となっている。

エピソード[編集]

J.O.スタヂオには他社に見られない異色の「漫画(アニメ)室」があり、当時市川崑がアニメーターとして籍を置いていた。黒川弥太郎は市川が盥一杯の水道水でセル画の絵の具を洗い落としているのを見かけたという。

 


 

 

アイムーヴ

 株式会社アイムーヴは、2000年代にアニメーションの企画・制作を行っていた、日本企業である。

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
164-0012
東京都中野区本町二丁目3番6号
設立 2000年5月
業種 情報・通信業
法人番号 1011201006478 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作

 

 

 

概要[編集]

アウベックの制作出身で、葦プロダクションの制作プロデューサーだった石坂透が2000年に設立したアニメーション制作会社である。設立当初は、他社からのグロス請けが中心だったが、2002年に制作した『Piaキャロットへようこそ!! -さやかの恋物語-』より元請制作を開始し、その3年後に制作した『こてんこてんこ』よりテレビシリーズの元請制作に進出した。

その後は、他社からのグロス請けや作画下請けを事業の中心としていたが、2014年2月現在はアニメーション制作事業より撤退している。

主な作品[編集]

元請制作[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

制作協力[編集]

 

 

アニメ・スポット

有限会社アニメ・スポットは、かつて存在した日本の企業。アニメーション制作のうち、作画作業の請負を主な事業内容とした。

 

概要[編集]

おとぎプロ出身のアニメーターである安部正己(アベ正己)が1980年に設立した、アニメーション制作会社。本社及びスタジオは、東京都練馬区貫井2丁目24番地2号に所在した(※1995年当時)。アニメーターの西尾鉄也はアニメ・スポット出身である。

2012年9月、アベ他所属アニメーターがスタジオエルに移籍。当社は2013年6月12日 17:00、破産手続が開始された。

※正式な社名は「株式会社 おとぎプロ」。漫画家でもある横山隆一が設立したアニメーション企画・制作会社であり、1995年時点で本社は、神奈川県鎌倉市御成町15番11号に所在した。

 

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

ゲーム内アニメパート[編集]

 

 

アドコスモ

アドコスモ(正式社名: 株式会社アド・コスモ)は、かつて存在した日本のアニメーション制作会社。作画・仕上作業の請負を主な事業内容としていた。

 

本社所在地 日本の旗 日本
164-0003
東京都中野区東中野1-36-3
深沢ビル
設立 1973年1月
業種 情報・通信業
法人番号 7011201000236
事業内容 アニメーション制作
代表者 代表取締役 山本 善之


概要[編集]

1970年ごろ、日本テレビジョン株式会社映画部(後のTCJ動画センター→エイケン)や現代制作集団などで美術スタッフを務めていた山本善之と泉谷実によって背景美術のスタジオとして創業。『サザエさん』などの背景作業を受注していた。1973年1月18日に法人化し、「株式会社アド・コスモ」となった。1970年代後半にアニメーターの鈴木英二らを迎え入れ、作画部門と仕上部門を設立。徐々にそちらを事業の中核とするようになり、特にサンライズを主な取引先としていた。かつて宮城県仙台市青葉区に仙台スタジオ(アド・コスモ仙台)を構えていたが、2000年代中ごろに閉鎖された。2009年8月31日、仙台スタジオを経て取締役プロデューサーを務めていた曽根きよ子により「株式会社スタジオ・コスモ」が設立され、事業とスタッフの大半が同社へ移転。これに伴い、アド・コスモ自体は活動停止となる。その後しばらくは法人格が存続していたが、2017年12月13日に解散した。作品によっては、中黒を省略した「アドコスモ」という名でクレジットされることもあった。

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

 

 

カナメプロダクション

株式会社 カナメプロダクションは、1980年代東京都杉並区宮前に存在した日本のアニメーション制作会社。

 

概要[編集]

葦プロダクションに所属していた若手スタッフを中心に、1982年に設立。作画の魅力で語られることが多かった。

テレビアニメシリーズは『プラレス3四郎』のみだったが、人気クリエイターを多数抱え、1980年代初頭の金田伊功の影響下にあるアクションと、いのまたむつみのキャラクターデザインがアニメファンの注目を浴びた。黎明期のOVA(オリジナルビデオアニメ)に関わったことで、アニメ雑誌ではその規模以上に存在感を示した。

略歴[編集]

1982年春に葦プロダクションで制作プロデューサーを務めていた相原義彰、編集担当と脚本家であった武上純希アニメーター影山楙倫いのまたむつみなどといった若手スタッフの7人が退社・独立して創設。当初は、国際映画社の『魔境伝説アクロバンチ』、土田プロの『さすがの猿飛』に参加した。この頃から、いのまたはスポットライトを浴びる存在になっていた。同年に金田伊功の漫画『バース』、モンキー・パンチ原作の『メカベンジャー』のテレビアニメ企画を提出するも頓挫。しかし1983年には旭通信社東宝の共同製作の下、初の自社制作テレビアニメ『プラレス3四郎』が放送開始された。監督には葦プロダクション時代から付き合いがあり、監督作を多く任された湯山邦彦を起用。1984年、テレビアニメ企画だった『バース』をOVAとして制作したのを皮切りに、OVA市場でオリジナル企画作品に意欲を燃やす。東宝の資本で制作した『幻夢戦記レダ』(1985年)、アニメショップあいどると共同製作し、『プラレス3四郎』の脚本家・藤川桂介に原作を仰いだ『ウインダリア』(1986年)と意欲作を連発。いずれも、いのまたのキャラクターデザインと湯山邦彦の監督による作品だった。草創期のOVA市場でその地位は揺るぎないものと思われたが、OVA市場の飽和に伴いユーザーの目は次第に他社へ移り始めていた。いのまたがアニメーターからイラストレーターへと活動の場を移し始めたのも、この頃である。

1988年に社名を「株式会社 ディーバ」に変更後、倒産した。

 

頓挫した企画[編集]

カナメプロを語る上で特筆すべきは、製作が実現しなかった『メカベンジャー』と『宇宙船ギャラップ』である。両作品とも社の顔ともいえるいのまたをキャラデザインに起用し、アニメ雑誌では大々的に発表されながらも製作が頓挫した。なお徳間書店の『アニメージュ』では、両作品とも数号に渡って紹介記事が組まれていた。同誌は当時、アニメーターが執筆したマンガのみで誌面を構成した『ザ・モーションコミック』を別冊という形で定期刊行しており、これにいのまたがオリジナル作品『GBボンバー』を連載していた事、また金田伊功の『バース』も同誌で連載され、『メカベンジャー』についても原作者のモンキー・パンチ自らがマンガ版を執筆したという親密な関係だった事も、この厚遇に関係している。

『メカベンジャー』は宇宙を舞台に野生動物保護を任務とするチーム・メカベンジャーの戦いを描いたSFアニメで、元々はバンダイ系列のマミートというメーカーの玩具販促作品として企画されている。アニメ版とマンガ版では基本設定からキャラ配置まで同一だが、唯一、敵のボスとなるキャラクターに違いが見られた。アニメ版はいのまたが得意とする美形キャラで自分と同じく美しいものを愛するが故に野生動物を密猟し自らの手元に置こうとするという設定だったが、マンガ版では醜悪な外見の中年男で自分の醜さとは相反する美しい野生動物の姿に魅せられて密猟に手を染めているという設定だった。

『宇宙船ギャラップ』は小松左京のジュヴナイルSF小説『宇宙漂流』を原作として企画された作品である。本作の不幸は、同時期に日本サンライズ(現・サンライズ)が企画製作した『銀河漂流バイファム』が発表され、先行する形で放送開始された事といえるだろう。『バイファム』は原作となる作品を持たない完全オリジナルタイトルだったが、「不慮の事態から年端も行かない少年少女だけが宇宙船で過酷な旅を強いられる」「主人公たちの中に特別な秘密を持つ者がいて、その秘密は人類とは異なる存在に関わるもので物語の重要な鍵となっている」といったストーリーと設定における類似点が存在しており、これが原因で製作が中止になった。なお『アニメージュ』では最初の記事掲載以後、毎号キャラクター紹介という形で記事を掲載していた。

在籍者[編集]

 

 

主要作品[編集]

自社制作[編集]

制作協力[編集]

 

 

グリーン・ボックス

有限会社 グリーン・ボックスは、1970年代から1982年にかけて存在した日本アニメ制作会社。グリーンBOXとも表記した。竜の子プロダクションの制作だった佐藤光雄が中心になって設立した。アニメの作画や制作などを手がけた。1982年、実制作を担っていた『手塚治虫のドン・ドラキュラ』が広告代理店の倒産で4話で放送中止。この倒産劇で不渡り手形が生じており、同時に放送がスタートした『科学救助隊テクノボイジャー』の制作中に解散して活動を停止した。

 

作品リスト[編集]

 

グルーパープロダクション

株式会社 グルーパープロダクションは、かつて存在した日本のアニメーション

制作会社である。

 

 

概要・沿革[編集]

虫プロダクションの制作出身の波多野恒正と、旧虫プロ出身で同プロ退社後マッドハウスに在籍した演出家の波多正美が、サンリオ映画部スタッフを経て同部解散後の1986年に設立。社名は、創業者である波多野と波多が、魚類のハタの英名である「グルーパー(Grouper)」から名付けた。設立前の経緯から、『ハローキティ』や『けろけろけろっぴ』『キキとララ』などの“サンリオキャラクター”を起用したアニメ作品を主に手掛けた他、『妖精ディック』『行け!稲中卓球部』などといったテレビアニメの実制作も担当した。因みに本社は、1995年12月時点では、東京都世田谷区三軒茶屋2丁目14番10号に所在したビル内(「ローヤルマンション三軒茶屋」。ビル自体は現存)にあった。1996年頃に解散。演出の波多は、フリーランスを経て再びマッドハウスに戻っている。

主な在籍者[編集]

代表作[編集]

テレビシリーズ[編集]

劇場映画[編集]

ビデオシリーズ[編集]