鶴我の考察・感想・言葉の息吹を吹き込む日々の呟き。

自然・宇宙・日本の歴史に心赴くままに穏やかに情熱を大事に謙虚と感謝を忘れずに好奇心を持って生きてく男の記録。

アニメーション制作会社の記入。第四章。[アニメ会社と関連する企業を記す日記。] 其之捌

 

 

 

キティ・フィルム

株式会社キティは、日本の映像・音楽制作会社、芸能事務所である。

本社所在地 日本の旗 日本
154-0024
東京都世田谷区三軒茶屋2丁目20番13号
設立 1982年3月24日

 


概要[編集]

ポリドールK.K.(現:ユニバーサルミュージック (日本))の社員で小椋佳井上陽水ディレクターを務めていた多賀英典が、1972年に芸能プロモーター(興行師)として独立し「キティミュージックコーポレーション」として創立(後に「キティクリエイティブ」→「キティエンタープライズ」と社名変更)。キティ・フィルムは邦画制作プロダクションとして1979年に設立された。

1995年にキティエンタープライズ石坂敬一率いるポリグラムK.Kに買収され、多賀の手許を離れたため(後に、ポリグラム・ミュージック・ジャパン→キティMMEを経てユニバーサルJもしくはユニバーサルシグマもしくはNAYUTAWAVE RECORDS(レーベルは「Kitty Mercury」)へと変遷)、株式会社キティがキティグループの中心企業となっている。

キティ・フィルムはアニメーション制作プロダクションとして『うる星やつら』『みゆき』『めぞん一刻』『らんま1/2』『銀河英雄伝説』を制作したことでも知られ、一時期三鷹にアニメスタジオを設けていた。これらは系列の旧ファイブエースや旧キティエンタープライズからビデオソフトとしても売り出された(→#歴史)。実写映画での代表作には『限りなく透明に近いブルー』『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』などがある。1990年代までは芸能事務所として 永瀬正敏石原真理(当時は真理子)等一世を風靡した人気タレントが多く所属していた。現在の事業はアーティスト(歌手)のマネジメントが中心で、映像制作では1980年代のような活発な動きはなくなっている。またキティ・フィルム作品のうち『銀河英雄伝説』、『YAWARA!』、『鬼神童子ZENKI』、高橋留美子作品などの著作権は売却しているため、公式サイトや現在発売中の商品のクレジットには「キティ・フィルム」の標記はない。キティの関連会社として、アニメファンクラブ運営と各アニメ作品のライツ管理・ビデオソフト発売元を受け持つ「株式会社キティエンターテインメント」(旧・ファイブエース=5-ACE、旧・キティライツ&エンターテインメント)、著作権管理およびキティ伊豆スタジオの運営を行っている「株式会社キティパブリッシング」がある。

 

歴史[編集]

多賀英典1972年にキティ・ミュージック・コーポレーションを創業。

もともと多賀自身がサウンドと映像の融合にこだわり続けていたため、東宝の『初めての旅』を皮切りに映画、テレビドラマに携わり、それでは飽き足らなくなって1979年に映画製作に進出。映画製作会社キティ・フィルムを設立した。

この時集められたのが日活出身の伊地智啓長谷川和彦相米慎二である。映画監督の長谷川和彦、作家の村上龍、プロデューサーの山本又一朗が参加して、同年にキティ・フィルムの製作で村上龍原作・監督の実写映画『限りなく透明に近いブルー』を公開。山本又一朗はキティ・ミュージック・コーポレーションで、同年に実写映画『ベルサイユのばら』を製作した。

多賀の意向で村上龍を監督に据えた『限りなく透明に近いブルー』と『だいじょうぶマイ・フレンド』(1983年)は興行的に大失敗を記録。キティをひっくり返すぐらいの損失を計上した。それを『うる星やつら』の大ヒットが救ったと言われている。当時は親会社のポリドールK.K.よりキティの方が勢いがあったため、音楽で稼いだ金を湯水のごとく映画制作に注ぎ込んだ多賀の強引さが、後のキティ凋落のきっかけになったと言われている。

1980年には柳沢きみおの漫画『翔んだカップル』を薬師丸ひろ子主演、相米慎二監督で映画化。これ以降、漫画を原作にすることが多くなり、後述の通りアニメへも進出。薬師丸との関係では、1981年に公開され23億円の配給収入を挙げたその年最大のヒット作品『セーラー服と機関銃』を角川春樹事務所と共同製作。薬師丸をスターダムへ押し上げ、監督した相米の名も高めた。1981年にはアニメ製作に乗り出し、テレビアニメうる星やつら』を製作。『うる星やつら』は映画化もされて成功し、以後、『めぞん一刻』『らんま1/2』と高橋留美子の漫画をアニメ化する路線を敷いた。さらに自社作品のファンクラブを運営して、全国でイベント開催するとともに会報の発行などを行った。ファンクラブは『うる星やつら』のテレビシリーズが終了する1986年3月までは「うる星やつらファンクラブ」、以後は「キティ・アニメーション・サークル」(KAC)と称した。

うる星やつら』の前半は、アニメ制作会社スタジオぴえろが、『うる星やつら』後半から『めぞん一刻』『らんま1/2』『スーパーヅガン』などではスタジオディーンが、『うる星やつら』末期の映画や『銀河英雄伝説』『YAWARA!』はマッドハウスがキティ・フィルム作品の実制作を担った。アニメ部門の責任者は、タツノコプロで企画文芸部に属したことのある劇画村塾出身の落合茂一で、その縁から高橋留美子原作作品がフジテレビで長期放映されるきっかけとなった。制作を外部へ委託するばかりでなく、やはりタツノコプロ出身でプロデューサーの宮田知行(現・J.C.STAFF社長)や演出家の西久保瑞穂を招いてキティ・フィルム三鷹スタジオを設けるなど、一時期は自前でスタジオを持ってアニメ制作を行っていた。1983年にはあだち充の漫画『みゆき』の映像化権を取得して、実写映画を制作するとともに三鷹スタジオでアニメ化した。キティ・フィルム作品では、プロデューサー田原正利の企画発案で1987年5月に『うる星やつら』テレビシリーズ全話を収録したレーザーディスクのソフトが予約限定で発売され、全50枚・価格33万円と破格の仕様ながら初回分が完売したことで話題を集めた。後に一般的になるLD-BOX、DVD-BOXと呼ばれる商品形態の先駆けであり、映像作品の2次利用の成功例としても知られている。三鷹スタジオではその後OVA街角のメルヘン』や『銀河英雄伝説』を制作。特に1988年に第1期のリリースが始まった『銀河英雄伝説』は、プロデューサーの田原正利の手腕で、第1期で全26話・全編110話という当時の常識を打ち破る話数と、当初は通信販売のみでのリリースという異色OVA作品として話題になった。

1989年に、シネマハウト、ニュー・センチュリー・プロデューサーズメリエスプルミエ・インターナショナルディレクターズ・カンパニーといった中堅の制作プロダクション・プロモーション会社ともにアルゴ・プロジェクトの立ち上げに参加。発足から1980年代まで製作した映画は主に東宝の配給で公開されていたが、以後はアルゴ・プロジェクトにより作品が配給された。『YAWARA!』『らんま1/2』放映中の1992年に創業者の多賀が自らの不祥事の責任をとる形でグループの全経営から引退、発足当初から実写部門で製作を行ってきた伊地智専務が急遽代表に就任した。それと前後して、1992年4月に落合がアルゴ・プロジェクトに転出(後にパオハウスを設立して完全独立)、落合に代わって『めぞん一刻』以降の高橋原作作品のプロデューサーを務めた松下洋子日本アドシステムズへ移籍、後継の中川順平も1995年に伊地智や田原と共に独立して株式会社ケイファクトリーを設立するなど有力スタッフが退社したことも影響して、1990年代末期にはアニメ制作から撤退した。

1995年、キティエンタープライズポリグラムK.Kに買収された際に、キティ・フィルムはキティグループから切り離された。2000年4月、株式会社キティを設立。2006年10月、アーティストマネジメント業務がキティに移行。キティ・フィルムは著作権管理部門になった。ファイブエースはキティライツ&エンターテインメントに社名変更。

2007年3月17日マジックメールアステル東京を手がけていたITベンチャーの株式会社YOZANがキティ・フィルムの50%以上の議決権を持つキティライツ&エンターテインメント2007年4月9日をもって完全子会社化することを発表。同時期に買収した飛鳥新社と合わせてYOZANのコンテンツビジネス事業として収益を図る目論見が立てられた[7][8]。キティライツ&エンターテイメントは公開会社の子会社となったため、YOZAN事業報告書にキティライツの事業内容が取り上げられた。しかし、2007年11月にコンテンツ部門を含めた社業全体の損失計上や、ライツ社に関して過去の法人税滞納が簿外債務となっている可能性があり、YOZAN本体の決算発表に支障が生じた。これらを理由にリストラを進める形となり、2008年5月20日に経営悪化に伴う事業整理の一環として、多賀にYOZAN保有するキティライツの全株式を売却。YOZANグループから離脱し再び経営が多賀の手許に戻ることとなった。2013年1月15日、キティライツ&エンターテインメントがキティエンターテインメントに社名変更、著作権管理を行っていたキティフィルムはキティパブリッシングに移行した(「キティ・フィルム」の名前は消滅)。キティパブリッシングは、かつて玉置浩二高橋洋子などを担当した大平太一が代表を務めている。

 

 

作品

アニメ[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

映画[編集]

テレビスペシャ[編集]

 

過去に所属していたタレント・アーティスト[編集]

存在していた関連会社[編集]

  • キティビデオ
  • キティエンタープライズ(キティレコード部門。1976年に株式会社キティレコードとして設立。1993年3月24日に株式会社キティエンタープライズに社名変更し、キティグループの中心企業となる。キティレコードの名はレーベル名として使用されていたが、1995年9月よりレーベル名もキティレコードからキティエンタープライズに変更。2000年にユニバーサルミュージックに吸収され旧マーキュリー・ミュージックエンタテインメントとともに社内カンパニーキティMMEとなったが2002年にユニバーサルJに吸収された。2004年にユニバーサルJから独立したユニバーサルシグマはキティMMEの流れを汲む)
  • キティアーティスト(芸能事務所部門。キティエンタープライズの子会社だったが、ポリグラムへの買収時に閉鎖)
  • キティ・フィルム(映像・アニメーション製作部門。1995年から2000年4月までマネージメント部門および著作権管理部門、2000年4月から2006年10月までマネージメント部門、2006年10月より著作権管理部門。2013年にキティパブリッシングへ移行)
  • キティミュージックコーポレーション(音楽制作・音楽出版部門。「キティクリエイティブ」に改称した時期があったが、後に元の名前に戻す。通称は「キティミュージック」。1995年にポリグラムに買収された。)
  • コマーシャルギャング・オブ・キティ
  • ジャパン・ネットワーキング(JNW)
  • レコード・プラント(「うる星やつらファンクラブ」→「KAC」(キティ・アニメーション・ファンクラブ)会員向けのソフトウェア発売元。かつて実店舗も存在していた)

 


 

 

 

スタジオユニ

株式会社スタジオユニは、アニメーション制作のうち、背景画制作を主な事業内容とした日本の企業である。

 

本社所在地 日本の旗 日本
167-0021
東京都杉並区井草2丁目20番10号
オカノヤビル3F
座標北緯35度43分38.8秒 東経139度37分12.0秒
設立 2010年5月

 

概要[編集]

虫プロダクションの美術部長だった半藤克美が、独立、半藤スタジオを経て設立。サンライズ初期の作品や、シンエイ動画の作品などに多数参加している。背景会社としては、老舗で、鉄腕アトムの頃から下請けを行っている。出身者では、イメージルーム・ジローの河野次郎アトリエ・ムサ池田繁美、アートチーム・コンボイ中村隆など。多くの作品の場合、「スタジオ・ユニ」「Studio UNI」「STUDIO UNI」名義でクレジットされることがある。また、2006年頃から韓国の外注会社である「STUDIO SEY」がよく一緒にクレジットされるようになった。

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

OVA[編集]

Webアニメ[編集]

劇場映画[編集]

 


 

 


 

 

APU MEGURO STUDIO

(エーピーユー・メグロ・スタジオ)

株式会社APU MEGURO STUDIO(エーピーユー・メグロ・スタジオ)は、アニメアフレコやダビング、音楽録音録音スタジオ

 

概要[編集]

AUDIO PLANNING U1981年APUスタジオ(エーピーユースタジオ)として東京都渋谷区に設立した。2003年東京都目黒区高性能の機材と設備が整った新スタジオを完成させ、名前もAPU MEGURO STUDIOに改名。タバックと並ぶ日本のアニメアフレコスタジオの代表格である。

大山のぶ代の著した「ぼく、ドラえもんでした 涙と笑いの26年うちあけ話」の収録エピソードで、旧スタジオは消音のために床を絨毯で覆っていたが、目黒の新スタジオでは床を木製のフローリングにし、壁も木を張り巡らせて音響効果抜群になったという事が語られている。

 

 

 

役員[編集]

所属ミキサー[編集]

  • 大城久典
  • 山本寿
  • 田口信孝
  • 内山敬章
  • 村越直
  • 大谷透

過去の所属者[編集]

  • 浦上靖夫
  • 中戸川次男
  • 柴田伸弘
  • 程原浩美
  • 宮下義和
  • 大谷陽一
  • 山本拓郎
  • 佐久間文利
  • 金子俊也
  • 辻誠
  • 山田晋
  • 鶴田伸也

 


 

 

ドリームクリエイション

 株式会社ドリームクリエイションDream Creation inc.)は、アニメーションを主とした映像作品の企画・製作および販売を主な事業内容とする日本企業

 

本社所在地 日本の旗 日本
160-0022
東京都新宿区新宿5丁目1番1-407号
設立 2009年6月2日

 

 

概要[編集]

2013年頃までは竹書房製作のアニメの制作プロダクションを担当することが多かったが、2014年からは、一迅社原作の作品を中心に、自社が企画・製作を行う作品が増えている。

関連会社として、声優プロダクションのディーエスイーがある。

担当作品[編集]

★印は企画・製作

アニメ作品[編集]

 


GREEN (企業)

GREEN(有限会社グリーン)は、過去に存在したアニメーション等の映像美術制作を主な事業内容とする日本の企業である。

 

本社所在地 日本の旗 日本
166-0004
東京都杉並区阿佐谷南三丁目46番4号
座標北緯35度42分16.3秒 東経139度37分52.1秒
設立 1986年11月30日

 

 


概要[編集]

アニメ背景美術・スタジオみにあーとに所属していたアニメ美術監督の脇威志が1986年に設立したアニメ背景美術会社である。主に、サンライズボンズフィール作品を中心に背景を手がけている。多くの作品の場合、「GREEN」、「グリーン」、「スタジオグリーン」とクレジットされる。本社スタジオの他に、大分県チチハル市にスタジオがある。

自社ウェブサイトにおいて、2017年9月をもって解散することを公表。解散後、東京スタジオを母体にした「スタジオなや」と大分スタジオを母体にした「オリーブ」がそれぞれGREENの事業を継承した。

 

主な参加作品[編集]

テレビシリーズ[編集]

 

 

 

 

 

ラディクスエースエンタテインメント

 株式会社ラディクスエースエンタテインメントRADIX ACE ENTERTAINMENT Co.,Ltd.)は、2006年10月1日まで存在した日本アニメ制作会社。現在は株式会社ゼロジーが当社のアニメ関連の権利などを取得している。

 

本社所在地 101-0054
東京都千代田区神田錦町一丁目1番地
設立 1995年(平成7年)12月6日(株式会社ラディクスとして)

 

 

概要[編集]

アニメスタジオ「コクピット」からの出向で東映動画(現:東映アニメーション)で演助進行をしていたアニメーション監督・演出家の根岸弘がフリーを経て1991年アニメイトフィルム企画制作のビデオシリーズ『KO世紀ビースト三獣士』の制作スタッフを集めるために「有限会社ゼロ・G・ルーム」(ゼロ・ジー・ルーム)を創業。1995年に『SMガールズ・セイバーマリオネットR』(ビデオシリーズ)で自社制作を開始した。同年12月、版権管理を目的に「株式会社ラディクス」を設立。翌年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)のプロデューサーであった植田基生が参加。2001年には版権管理に加え、制作自体も行うようになったラディクス本体がゼロ・G・ルームを吸収合併し、企画・制作を一貫して行う体制が確立した。2005年、ブレインナビなどを傘下に持つ持ち株式会社「ウェッジホールディングス」の100%子会社となり、同年9月、「株式会社ラディクスエースエンタテインメント」に商号を変更。2006年10月1日をもってウェッジホールディングス本体に吸収合併され、同日解散した。子会社の「有限会社ラディクス」は同年12月に「株式会社ラディクス」に登記変更し、2007年2月1日に同一グループ内のモバニメーションと合併。「株式会社ラディクスモバニメーション」へ商号変更した。

沿革

作品履歴

ゼロ・G・ルーム時代

OVA

ラディクス時代

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

Webアニメ[編集]

ラディクスエースエンタテインメント時代[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場映画[編集]

 

アトリエローク07

 株式会社アトリエローク07(アトリエローク ぜろなな)は、アニメーション制作のうち、背景画の制作を主な事業内容とする日本の企業。杉並アニメ振興協議会会員。

 

本社所在地 日本の旗 日本
166-0001
東京都杉並区阿佐谷北五丁目48-6
設立 2007年11月11日(株式会社として)

 

 

概要・沿革[編集]

1969年(昭和44年)、現代制作集団出身の川本征平が「有限会社アトリエローク」として設立した。千葉秀雄主宰の七一画房が解散すると、主力スタッフだった川井憲、工藤剛一、沼井信朗が移籍し、美術スタッフ・美術監督として長きにわたって支えて行く。

「ローク」とは創設した"69"年からもじったもので、初期の美術参加作品には「アトリエ69」とクレジットされていた。日本アニメーションシンエイ動画を中心とした作品での背景美術を担当する、アニメーション美術界の老舗。一部のスタッフは英語ペンネームを使用しており、そのスタッフらは2006年(平成18年)、新たに「Aterier KARO(アトリエKARO)」を立ち上げている。2007年(平成19年)11月11日、株式会社に組織変更し、それと同時に社名を「アトリエローク07」に変更した。また、社名変更の際、設立以来同社の代表を務めていた川本が退任し、森元茂が二代目代表取締役に就任した。

 

携わった主な作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

WEBアニメ[編集]

劇場作品[編集]

 


 

 

美峰

 株式会社美峰(びほう)は、アニメーション背景・設定デザイン制作、2Dおよび3DのCG・アニメーション制作、ゲームデザインコンピュータ グラフィックスの制作およびデータ加工販売を主な事業内容とする日本企業練馬アニメーション協議会賛助会員。

 

本社所在地 日本の旗 日本
176-0023
東京都練馬区中村北3丁目19番9号
美峰ビル
座標北緯35度44分3.6秒 東経139度38分20.2秒
設立 1993年12月6日

 

 

概要[編集]

元々フリーの背景美術として活動しているうちに知り合い、協力することが多かった数人のメンバーが1993年に東京都練馬区に本社を設立したのが始まり。当初は「STUDIO美峰」として[1]、それ以降も様々な作品に美術背景で携わる。1997年には事業拡大に伴いメディア事業部を設立させ、2004年には本社を練馬区高野台に移転。2016年、再び本社を練馬区中村北に移転した。現在の美峰ビルはかつて主要取引先だったAICの旧本社ビルである。

2000年代に入ると、背景の一部をベトナム及びタイの現地スタジオに委託するようになった。「美峰VIETNAM」(SON MY VIETNAM)以外にも「THAI LAND」・「GAU TRUC」という名前が確認されている。

同社OBが独立して起業した背景会社に「ととにゃん」(加藤光子、加藤浩)、「Bamboo」(竹田悠介)がある。

携わった主な作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場作品[編集]

 

 

 

 


 

グッドスマイルカンパニー

 株式会社グッドスマイルカンパニー(GOOD SMILE COMPANY, INC.、略号:GSC)は日本のフィギュア玩具などの企画・制作・製造・販売を行うメーカー。愛称は「グッスマ」。設立から2012年4月までの社名は有限会社グッドスマイルカンパニーであった。

 

Good-Smile-Company.png

 

 

本社所在地 日本の旗 日本
101-0021
東京都千代田区外神田三丁目16番12号
アキバCOビル8F
設立 2001年5月1日
(有限会社グッドスマイルカンパニー

 


 

概要[編集]

バンプレストの社員だった安藝貴範2001年にイベント運営会社・タレント事務所として創業。当初は釣具店・フィールドショップ「釣侍」の運営も行っていた(現在は資本関係は離れている)。その後マックスファクトリーの補佐業務を経てホビー事業を事業の中核に据え、現在は玩具・フィギュアの企画・制作・製造・販売の他、アクセサリー・雑貨の企画・制作・製造・販売、玩具・フィギュア・雑貨・アクセサリーの販売請負なども行っている。

フィギュアは自社製品以外に代理店業務として、マックスファクトリーアルターFREEing海洋堂リボルテックSFOのみ)など各社の商品を扱っている。特にマックスファクトリーとは長らく補佐業務や販売請負を行ってきたことから関係は深く、ワンダーフェスティバルをはじめとする各種展示会・イベントにはマックスファクトリーと共同で出展しており、本社も2012年6月までは千葉県松戸市内に、同年7月からは東京スカイツリーイーストタワーの同一フロアに、2016年1月からは東京都千代田区の同一ビル内に置いている。

自社製品の開発や案内状況などを女性社員の目からアピールする形の「カホタンブログ(旧ミカタンブログ)」「あさのんブログ(現在は終了)」といった広報ブログを展開、関係するメーカーにも積極的にブログを保有させ、情報の広範囲にわたる発信を促してきた。「ユーザーと足並みを揃えた形」の経営方針は、同系列会社のマックスファクトリー社長、MAX渡辺の「業界随一のホビー好き」が社内に浸透した所以とも言われている。

 

沿革[編集]

 

作品一覧

 

アニメ[編集]

グッドスマイルカンパニー[編集]

グッドスマイルフィルム[編集]