1.鉄腕アトム DVD BOX データ・ファイル1から6の感想。2・知っているゲーム会社のまとめと週刊誌の出版社一覧。

【 1.鉄腕アトム DVD BOX データ・ファイル1から6の感想】

 

 

データ・ファイルの画像はこんな感じで感想を書いていきます。

 

【DVD-BOX1 データ・ファイル 第1話「アトム誕生の巻」~第30話 

          「ZZZ総統の巻」収録】
表紙は青色で日本最初のテレビアニメ30分(ただし、アニメーションそのものは1917年から日本に存在している)の作品で今なお続く勧善懲惡の原点を作ったアニメ作品といっても過言ではありませんがブログに書いた通り、今日全て読んでみたので感想を語ってみます。メイキング①から⑧、メインキャラクターデザイン①から③、話数の紹介、スタッフインタビュー①.②、当時のアトムの商品などがあります。これがとても興味深かった。正に歴史だよとはこの一言。当時の制作状況は苦労などアニメーションの技法のひとつであるバンクシステム(プリキュアで説明すると分かりやすいが要は同じ場面が何回も出すことによって書く苦労を無くして何回も同じ映像を使いまわすこと)はこの時に生まれて作業の効率はここから生まれたということなどが読み取れた。ひとつずつ記していくと長くなるので興味を惹いた場面のみを語る。当時の制作者の爲の資料設定やビデオのフィルムが現存されていて形としては全てこのボックスに収められたのはとても意義のあることだと思い歓迎したいですね。どうやって書いてるかよりも中身の内容と動きなどから分析していくのが俺流なのでそこは意見が合い違うところもあるでしょうがあまり、どうゆう風に作ってるかは興味は持ちますが深くまでは関わっていません。そこまで知って時間を食いたくはないですし、専門家気取りになってアニメーションを楽しむという原点を忘れたくないとの思いからであってそこは大事にしないといけないところではないでしょうか。また、絵コンテやアフターレコーディング(アフレコ)の撮り方もこの時から完成されていたのには驚きそういったところが今に受け継がれているというのはとても感動出来ることです。山本さんという原画スタッフの方がいるのですがオリジナリティ(独創的な作品)を作るというその精神は素敵で誰かに「どっかで見たことある」と言われたら俺も腹が立って「今までに見たことのないものを生み出してやろうじゃねぇか!」lって燃える程です。

 

 

【DVD-BOX2 データ・ファイル 第31話「黒い宇宙船の巻」~第60話

                                  「悪魔の蜂の巻」収録】
表紙は緑色でスタジオゼロという会社名は知らなかったが1971年に解散してしまったということでそこはなんだか惜しい気持ちで新しいアニメーション制作会社になれたかもしれないのにという思いがあります。メイキング⑤の当時の制作スタッフの人たちの生の映像や聲などどのようにして鉄腕アトムを作っているのか、その現場を拝見出来るというのは嬉しい限りですね。後は坂本さんという方のインタビューですが東映動画(東映アニメーション)が現在の東映アニメーションなのは分かってますがこの頃は一体、どんなものを作ってるのだろうかというそんな気持ちもありますがそれはまた今度としてこの人も手塚さんにアニメ化を提案してひとだということですが苦難を乗り越えてきた人というのは共通してみんないい顔をしているということがよく分かります。鉄腕アトムが現在のロボット技術を進歩させてくれた要因であるのは嬉しい限りですが日本の力で日本をよくするような技術であって貰いたいのが俺の願いです。ちなみに妹のウランの設定がありますが実は原子核を作るのに必要な原料ということで手塚治虫さんが鉄腕アトムを生み出せたのはやはり、原子爆弾が関係していると言えるでしょう。

 

 

【DVD-BOX3 データ・ファイル 第61話「宇宙の寄生虫の巻」~第93話

                                    「コバルトの巻」収録】
表紙は水色でコバルト君の設定を見てると彼にはもっと活躍してほしかったな。頼れる兄貴分ではあってほしかった。この松井ギサブローさんという人はまだ80歳でご存命とのことで嬉しい限りでこれからの日本が希望の光に包まれる瞬間を見届けて「日本は大丈夫な・・・」と思いながら天国に旅立って貰いたいですな。注目したのは47頁の手塚治虫氏が描いた新宝島の絵コンテでこのカメラをズームして近づけるかのような描き方はやはり、天才で今でも充分通用する手法でとても凄いという言葉では表せない。そうでなくちゃ漫画の神様とは言えないですからね。面白い、俺もすぐに習得してやるよ!俺の魂に炎を宿してしまったんだ。面白くなるぞ。リミテッドアニメといういわば止め絵や描く枚数を少し減らすという工夫で緊張感があるバトルアニメだとカメラのズームや緊張状態で汗が浮かんでいて敵を睨む場面が思い浮かびそうですがそうゆう時に絵はとまってるけど効果音や演出で長引かせることにより緊張感を発生させるという手法のことですがこれは凄くわくわくしてこないか?俺は滅茶わくわくしているぜ。これを見て確かに手塚さんは演出やひらめき、直観力は確かに並外れた天才だと思った。宇宙にはもっと未知な生命体の体系がいるかもしれないと発言なされた名言がありますが多くの天才の共通点は恐らく「宇宙に興味を持っていること、それに惹かれること」であると俺はこの頃、確信出来るようになりました。俺もスーパーマリオギャラクシーというゲームで宇宙の神秘に見せられた一人で生の宇宙も美しいですがマリオギャラクシーの音楽や宇宙の背景は更に美しく光っていないからこそ未知に見えて畏れを抱くのかもしれません。あまりにも桁違いなその次元に。

 

 

【DVD-BOX4 データ・ファイル 第94話「アルプスの天使の巻」~第126話

            「ロボイドの巻」収録】
表紙は赤色でインタビューのおっちゃんはうしおさんというらしく本名ではなくペンネーム(架空の名前)ですが特に漫画とアニメの違いについて絵が描ければいいという訳ではなく漫画だけを描いてた人は立体を把握できない=デッサンを描いたことがなくアニメを描かせると一発で上手いか下手かがばれるそうでデッサンの重要性を伝えてくれたことには本氣で感謝しなければなりません。ありがとう、うしおのおっちゃん。

 

 

【DVD-BOX5 データ・ファイル 第127話「実験ロボットの巻」~第159話

                                 「惡魔と天使の巻」収録】
表紙は黄色でカラーイラストもいい感じ。あの富野喜幸さん(ガンダムの創設者)がインタビューに答えていてガンダムを生み出せたのも現在も仕事に関わっているのは
虫プロ時代の4年間がかなり大きいと富士見台(ふじみだい)[東京都練馬区のこと]であったと語っており、手塚さんはガンダムをやっているのが富野さんだと分かった時に
20年以上経っているのに気軽に聲を掛けてくれたのがとても嬉しかったと仰っているところがなんだかほのぼのしていいじゃないですか。有形無形という四字熟語は素敵だと思ってここに保存しておこう。

 


【DVD-BOX6 データ・ファイル 第160話「黄金のフルートの巻」~第193話「地球最大の冒険の巻」収録】
表紙は黒色で最後は清水マリさんで初代アトムの聲を演じた「聲の達人」とも評されており、あのアトムの聲が地声というのは信じられませんが野沢さんや高山みなみさんも
同じようなところがあるので天才というか雄才にはなんらかの共通点が存在するとのことが分かった氣がします。また、大御所と現在、呼ばれている声優さんの多くは舞台俳優の方が多く、そうゆう人の方が聲に存在感があり、躍動感が多いというのは富山敬さんでもよく分かることです。

 

www.youtube.com

このヤン・ウェンリーの台詞を聞いていても声優さんが演じているんじゃなくて「ヤン・ウェンリー」という男が喋っているというような感じがするでしょ。

やはりね「人物」が喋っていると感じさせる人は名声優と呼べると思いますがこの人の聲は不思議で早見沙織さんだとはやみんだと分かってしまいますがこの人は「あっこの人だ」という存在感を消してあくまでその世界観の登場人物の軌跡を聲で語るナレーターであり、人そのものであると感じさせるから本当に桁が違う。
悟空は言うまでもないがラインハルトの重圧のある聲もネビラチェーンの瞬の聲もベジータ・服部が同じというのは信じられないですがそれこそ聲優という職業の凄さで
これに関しては戦前の聲に優を入れた方が「声優」よりも「聲優」の方が何百倍も凄みを感じて只者ではないという気配すら感じてしまいますが以上で鉄腕アトムのコンプリートボックスの特典であるデータ・ファイルの1から6の感想でした。

 

 

 

 

【2・知っているゲーム会社のまとめと週刊誌の出版社一覧。】

●週刊少年雑誌や月間雑誌。●

 

1・集英社

株式会社集英社(しゅうえいしゃ)は、日本の総合出版社。『週刊少年ジャンプ』『週刊プレイボーイ』『non-no』『すばる』 『Myojo』などの雑誌を発行している。社名は「英知が集う」の意味。

www.shueisha.co.jp

本社所在地 日本の旗 日本
101-8050
東京都千代田区一ツ橋二丁目5番10号
座標北緯35度41分40.9秒 東経139度45分28.8秒
設立 1949年7月19日

集英社神保町ビル(2005年12月)

概要[編集]

1926年小学館娯楽誌出版部門として相賀武夫が創業。1941年から1946年まで大東亞戰爭のため社業中断(休眠)していたが、1947年より合資会社集英社として営業を再開。1952年に独立した社屋に移転し、その後小学館との業務分離を行う。『週刊少年ジャンプ』『Seventeen』『りぼん』『マーガレット』『Myojo』などのヒット雑誌を多数創刊する。

小学館が筆頭株主であり、同じ企業集団「一ツ橋グループ」に属するが、小学館も娯楽出版部門に進出した結果、両社は競合する雑誌を多く擁する。

 

略歴[編集]

 

雑誌[編集]

漫画誌[編集]

少年・青年向けコミック誌[編集]

 

2・小學館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。

本社所在地 日本の旗 日本
100-8001
東京都千代田区一ツ橋2丁目3番1号
座標北緯35度41分39.3秒 東経139度45分29.4秒
設立 1945年(創業は1922年8月8日

www.shogakukan.co.jp

小学館本社(4代目小学館ビル、2016年12月撮影)

小学館本社(4代目小学館ビル2016年12月撮影

概要[編集]

社名の由来は創設時に小学生向けの教育図書出版を主たる業務としていたことに起因する。特に学年別学習雑誌は長らく小学館の顔的存在として刊行され続けてきたが、「出版不況」や児童の減少と嗜好の多様化のあおりを受け、2000年代から2010年代にかけて相次いで休刊され、2017年以降、月1回発売されているのは『小学一年生』のみとなっている。1926年娯楽誌出版部門を集英社として独立させたが、大東亞戰爭後は娯楽図書出版に再進出し、総合出版社へ発展した。

沿革[編集]

 

性コミック誌[編集]

少年向け[編集]

 

一ツ橋グループ

一ツ橋グループひとつばしグループ)は、日本の大手出版社である小学館集英社を中核とする企業グループである。出版社としては、講談社光文社を中心とする音羽グループKADOKAWAを中心とするKADOKAWAグループとともに、代表的なグループといえる。

小学館(左手前)と集英社(右奥)(2005年12月撮影 

概要[編集]

名称は小学館及び集英社の本社所在地である東京都千代田区一ツ橋に由来する。なお小学館の創業地ではなく、東京商科大学 (旧制)が1933年に国立市へ移転した際、跡地と旧校舎を取得してからである。小学館を創設した相賀一族が、当時学習雑誌の出版が主体であったため、娯楽雑誌部門として集英社を設立。後に小学館自身も娯楽出版事業へ参入。1953年の組織改革以降、小学館集英社は競争原理に基づく両者の成長・発展を促すために、独立した組織として競わせているが、出版物流、不動産事業、有価証券投資など関連会社を通じてグループ経営を行っている。現在もオーナーである相賀一族の影響が強く、代表取締役などの経営責任者には同一族の人間が就任する同族経営である。

 

3・講談社

本社所在地 日本の旗 日本
112-8001
東京都文京区音羽二丁目12番21号
座標北緯35度43分3.9秒 東経139度43分40.1秒
設立 1938年12月1日

株式会社講談社(こうだんしゃ)は、日本の大手総合出版社である。

www.kodansha.co.jp

Kodansha (head office).jpg

本社外観(手前が本館、奥の高層ビルが新館)

沿革

 

性コミック誌[編集]

 

4・KADOKAWA(角川)

株式会社KADOKAWAKADOKAWA CORPORATION)は、出版事業、映像事業、ゲーム事業、ウェブサービス事業、ライツMD事業などを行う日本企業。初代・KADOKAWAは、1954年に設立された株式会社角川書店(後の角川ホールディングス、角川グループホールディングス)が2013年に角川グループホールディングスから社名変更して発足され、2019年に出版物の製造・物流子会社を束ねる中間持株会社株式会社KADOKAWA Future Publishingとなった。2代目・KADOKAWAは、2014年に設立された株式会社KADOKAWA・DWANGO(後のカドカワ)が2019年に初代・KADOKAWAの事業を継承およびカドカワから社名変更して発足された。両社とも1945年に創設された角川書店を創業とする企業である。

www.kadokawa.co.jp

Kadokawa Shoten (annex).jpg

本社所在地 日本の旗 日本
102-8177
東京都千代田区富士見2丁目13番3号[1]
設立 2014年10月1日
(株式会社KADOKAWA・DWANGO

略歴[編集]

1945年、国文学者の角川源義により角川書店として創業。 出版第1号は佐藤佐太郎歌集「歩道」。角川の鳳凰のマークは、1946年創刊の飛鳥新書で使用したことに始まる。1949年創刊の「角川文庫」と1952年発刊の「昭和文学全集」が成功し、文芸出版社として基礎を確立する。1956年「角川国語辞典」を刊行し、辞典分野に進出。1957年には高等学校の国語教科書に参入。1972年に富士見書房を設立。ニコニコ動画や電撃gsコミック、N高等学校を統括する親会社である。

 

●まだ記録してないゲーム会社(SONYは除外)●

SONYを排除したのは既に書いているからで他に知っている会社のことを書いてみたくなりました。

 

1・モノリスソフト

株式会社モノリスソフトは、家庭用ゲームソフトウェアの企画・開発・制作を主な事業内容とする日本企業

本社所在地 日本の旗 日本
153-0051
東京都目黒区上目黒2丁目1番1号
中目黒ゲートタウンタワー12階
座標北緯35度38分36.9秒 東経139度41分56.6秒
設立 1999年10月1日

NakameguroGT tower.JPG

www.monolithsoft.co.jp

概要

 

杉浦博英高橋哲哉本根康之などスクウェア(現:スクウェア・エニックス)に所属していたクリエイターが『ゼノギアス』の続編制作の有無などの経営方針の違いからスクウェアを退社。1999年10月1日ナムコバンダイナムコゲームスを経て現在のバンダイナムコエンターテインメント)の出資により設立した。当初は20名程度の組織であり[2]、スタッフのほとんどが新人であった。デベロッパーとしてゼノサーガシリーズバテン・カイトスシリーズなどを開発した。2007年5月1日筆頭株主バンダイナムコゲームス保有株式の80%を任天堂に譲渡して、任天堂の子会社になった。2011年にNBGIは保有株式の全てを任天堂に譲渡し完全子会社化、10月には四条烏丸京都府京都市)に京都スタジオを設立した。その後も社員の増加に併せ、2017年9月に中目黒GSスタジオ、2018年6月に飯田橋スタジオを、2019年4月には大崎スタジオを設立している。ゼノブレイドなどで知られる。

 

2・カプコン

株式会社カプコンCAPCOM CO., LTD.)は、主にアーケードゲームコンシューマーゲームの開発・販売を行う日本ゲームメーカーである。本社大阪府大阪市中央区に置く。東京証券取引所第一部に上場している。

CAPCOM本社

 

www.capcom.co.jp

本社所在地 日本の旗 日本
540-0037
大阪府大阪市中央区内平野町3丁目1番3号
座標北緯34度41分15.1秒 東経135度30分40.9秒
設立 1979年5月30日
(アイ・アール・エム株式会社)
(創業:1983年6月11日

概要[編集]

1979年、アイ・アール・エム(IRM)株式会社として設立した。設立者はIRM辻本憲三で、IRMはスペースインベーダーブームの際に社運をかけ、社名を冠した『IRMインベーダー』を発表するもののインベーダーの筐体の市場は1年ほどで飽和状態に陥いる。その状態で下請けから製造の継続を求められ断れなかった。結果10億円分の在庫を多く抱えてしまった。その直後、IRMはアイレムと社名変更して仕切り直しを図ろうとするが、辻本は同事業に続き、オリジナルゲームの製作に乗り出そうとする。しかし、当時まだコピーゲームがメインだったアイレムで辻本の意見は社内の理解が得られず、結果的に辻本を含む3人が退社した。この際インベーダー関連の在庫で被った負債を支払っている。10億円の借金により自宅さえも売り払い燻っていた辻本は、タイトーの社長ミハエル・コーガンより「お金を出すからビジネスをやってみないか」と言われ、コーガンより1億5千万円を借り、それを元手に新規に会社を立ち上げることになった。なお、カプコンという社名は1981年にIRMの子会社として設立した「日本カプセルコンピュータ」に由来する。オリジナルゲームを作ることを目的に設立されたが、当初は開発者こそ多く抱えたものの開発ラインが整わず、比較的安易に製作が可能だったエレメカメダルゲーム)で、1983年に業界に参入する。ビデオゲームとしてはその翌年の1984年発売の業務用縦スクロールシューティングゲームバルガス』が第一弾となるが、その後コナミからの転職組藤原得郎岡本吉起により、名作と謳われるゲームが次々と開発され、徐々にゲーム会社としての知名度を上げていく。ただし、後の『ストリートファイターII』ブームが訪れるまで、経営的には火の車だったという。なお、ゲームの完成度の高さから当時「カプコンのゲームはナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から移籍した人間が作っている」という噂がまことしやかに囁かれていたが、デマであった。岡本はこの噂に触れ、自分の作った作品がそう評価されるのは嬉しいと発言している。

 

実績[編集]

アクションゲーム対戦型格闘ゲームの雄として『ストリートファイター』、『魔界村』、『ロックマンシリーズ』、『ファイナルファイト』、『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』、『デビルメイクライシリーズ』、『鬼武者』、『モンスターハンターシリーズ』、『大神』、『ビューティフルジョー』、『ヴァンパイア』などの傑作を多数製作している。

中でも1991年にアーケード用ゲームとしてリリースした対戦型格闘ゲームストリートファイターII』では、アーケードゲーム業界において「スペースインベーダー以来」とも呼ばれる大ブームを巻き起こし、『ブロックくずし』より後に創業したアーケードビデオゲーム会社としては、唯一かつ最大の大手メーカーとなった。

 

3・スクウェア・エニックス

株式会社スクウェア・エニックスSQUARE ENIX CO., LTD.)は、スクウェア・エニックス・ホールディングス傘下の日本ゲームソフト販売・開発会社、出版社である。略称はスクエニSQEX

www.jp.square-enix.com

 

ShinjukuEastside03.JPG

本社所在地 日本の旗 日本
160-8430
東京都新宿区新宿六丁目27番30号
新宿イーストサイドスクエア
座標北緯35度41分47.97秒 東経139度42分30.75秒
設立 2008年10月1日(分割新設による)

 

概要

2003年(平成15年)4月1日、ゲームメーカーのスクウェアエニックス合併により誕生した(合併直前、スクウェアに対して行われたソニー・コンピュータエンタテインメントからの支援、デジキューブの倒産については後述)。エニックスドラゴンクエストスクウェアファイナルファンタジーなどで知られる。

合併については様々な理由が挙げられているが、主には次の通りである。

 

沿革[編集]

エニックス[編集]

本社所在地 日本の旗 日本
151-0053
東京都渋谷区代々木四丁目31番8号
設立 1975年9月22日
(株式会社営団社募集サービスセンター)

概要[編集]

1975年9月、福嶋康博により「営団社募集サービスセンター」として創業。紆余曲折を経て、1982年に子会社としてエニックスを設立し、パソコンソフト業界に参入。大々的なプログラムコンテストを開き、翌1983年に一挙に13本のソフトを発売した事で一躍知名度を上げる。1984年10月に任天堂と提携し、ファミリーコンピュータ用のソフトを提供することが決定。1985年7月に家庭用ゲーム機市場に参入。1988年に発売した『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は社会現象とも呼ばれるほどのヒットを記録、エニックスはゲームメーカーとしての地位を確固たるものとした。なお、社内にはドラクエシリーズ専門の部署である「ドラクエ課」が存在した(現スクウェア・エニックス第9開発事業部)。

 

1975年9月22日 - 株式会社営団社募集サービスセンター設立。

スクウェア[編集]

本社所在地 日本の旗 日本
153-0064
東京都目黒区下目黒一丁目8番1号
設立 1986年9月

概要

1983年(昭和58年)10月に創業者・宮本雅史の父が経営する徳島県の電気工事会社電友社のソフト開発部門として設立されたが、1986年(昭和61年)9月に独立。設立当初の資本金は1000万円。2002年(平成14年)3月31日当時の資本金は119億4500万円。

合併後[編集]

 

 

 

 

スクウェア・エニックス・ホールディングス

株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスSQUARE ENIX HOLDINGS CO., LTD.)は、東京都新宿区に本社を置く、スクウェア・エニックスグループを統括する持株会社である。

www.hd.square-enix.com

概要[編集]

2008年10月1日に、(旧)株式会社スクウェア・エニックス持株会社体制へ移行した。そして、ゲーム事業・コンテンツ事業・出版事業などは(新)株式会社スクウェア・エニックスへ承継し、(旧)株式会社スクウェア・エニックスは商号変更により現社名となった。

持株会社となったことで、業態はグループ全体の経営戦略の立案と遂行し、事業戦略の実行支援、商標権の管理、事業活動の管理など、グループ全体を統括するものへ変化した。

沿革[編集]

 

4・任天堂

任天堂株式会社(にんてんどう、Nintendo Co., Ltd.)は、主に玩具コンピュータゲームの開発・製造・販売を行う日本の企業。TOPIX Core30の構成銘柄の一つである。

本社所在地 日本の旗 日本
601-8501[2][3]
京都府京都市南区上鳥羽鉾立町11-1
座標北緯34度58分11秒 東経135度45分22.3秒
設立 1947年11月20日[3]
(創業は1889年9月23日

www.nintendo.co.jp

 

Nintendo Headquarters - panoramio.jpg

 

概要[編集]

1889年に創業した老舗企業で、娯楽に関する様々な事業を展開している。創業以来、多くの種類の玩具を製作しており、特に花札トランプは創業初期から現在に至るまで製造・販売を続けている。1970年代後期からは家庭用と業務用のコンピュータゲーム機の開発を開始。1983年発売の据置型ゲーム機ファミリーコンピュータ」のゲームソフトとして1985年に発売した『スーパーマリオブラザーズ』は世界的にヒットし、任天堂はゲーム機やゲームソフトを開発する会社として広く認知されるようになった。『スーパーマリオブラザーズ』の主人公「マリオ」など、任天堂のゲームソフトに登場するキャラクターは世界で知られているものが多く、近年はこうしたキャラクターのゲーム外での活用を進めている。

 

創業当時の任天堂本店。

沿革[編集]

山内房治郎社長時代(1889年 - 1929年)[編集]

当時は会社の形態ではないが、便宜上「社長」と表記している。

内積良社長時代(1929年 - 1949年)[編集]

山内溥社長時代(1949年 - 2002年)[編集]

 

5・バンダイナムコエンターテインメント

本社所在地 日本の旗 日本
108-0014
東京都港区5丁目37番8号
座標北緯35度38分40.1秒 東経139度44分40.2秒
設立 1955年(昭和30年)6月1日
(有限会社中村製作所)

 

www.bandainamcoent.co.jp

Sumitomo-rd Mita Build. IMG 3594r 20160116.JPG

 

株式会社バンダイナムコエンターテインメントBANDAI NAMCO Entertainment Inc.、略:BNEIバンナム)は、コンシューマーゲームなどのゲームソフトの制作および開発を行う日本企業バンダイナムコホールディングスの完全子会社であり、バンダイナムコグループにおける中核企業の一つ。本社は東京都港区。旧ナムコを母体としており、2006年3月31日アミューズメント施設事業を新たに設立した株式会社ナムコ(後の株式会社バンダイナムコアミューズメント)に譲渡し、株式会社バンダイのゲーム部門を統合しバンダイナムコゲームスNamco Bandai Games Inc.→2014年4月1日よりBandai Namco Games Inc.)に変更、そして2015年4月1日に現社名に変更した。キャッチコピーは「アソビきれない毎日を。」。

 

概要[編集]

1955年6月1日中村雅哉有限会社中村製作所(なかむらせいさくじょ)を設立。1971年に「Nakamura Manufacturing Company」の略としてnamcoブランドの使用を開始し、1977年には社名もナムコと改めた(当時の英語名は「NAMCO LIMITED」)。

2005年6月25日の第50回定時株主総会ナムコバンダイ経営統合の議案が可決承認され、上場会社としてのナムコ9月29日に幕を下ろし、以降は株式会社バンダイナムコホールディングスの子会社となった。2006年3月31日バンダイのゲーム部門を統合し、社名を株式会社バンダイナムコゲームスに変更した。バンダイナムコホールディングスにおいてゲーム部門を受け持つ企業としての立場を明確にした。2015年4月1日に、社名を「バンダイナムコゲームス」から「バンダイナムコエンターテインメント」 (BANDAI NAMCO Entertainment Inc.) (略称:BNEI)に変更した。2018年4月1日に、アーケードゲーム事業を同日付でナムコから商号変更したバンダイナムコアミューズメントへ移管し、バンダイナムコエンターテインメントコンシューマーゲーム、携帯電話コンテンツの開発、販売の開発に専念することになった。

 

沿革[編集]

 

バンダイナムコホールディングス

株式会社バンダイナムコホールディングスBANDAI NAMCO Holdings Inc.)は、バンダイナムコグループを統括している日本持株会社主に玩具模型を中心としたトイホビー事業、家庭用ゲームスマートフォンアプリゲームアーケードゲームを中心としたゲーム事業、映像ソフト音楽ソフトイベント興行アニメ制作を中心とした映像・音楽事業を中核事業にしているのが特徴である。

設立 2005年9月29日

 

概要[編集]

1997年、旧バンダイセガ合併してセガバンダイになる予定であったが、社内の反対が強く合併は中止となった(詳しくは「バンダイ#1990年代」と「セガ#経営」を参照)。

2003年セガと同じ東京都大田区を拠点としている旧ナムコセガに合併を申し入れていたが、セガからの回答がないままサミーセガの買収を成立させて、セガサミーホールディングスとなっている。旧バンダイと旧ナムコ経営統合は、奇しくもセガとの合併に失敗した者同士による縁組みだったが、統合成功の背景にあるのは、ゲーム・玩具業界の事業環境の激変と両者経営陣のリーダーシップ、重複の少ない事業部門だったといわれる。また、「エンターテイメントを通じ夢や感動を提供するという両社の企業使命が共通していたため、今回は現場レベルでも「ぜひ実現させよう」という全体的な動きとなった。

 

www.bandainamco.co.jp

 

沿革[編集]

 

6・コナミホールディングス

コナミホールディングス株式会社KONAMI HOLDINGS CORPORATION)は、ゲームソフトアミューズメント機器の製造・販売とスポーツクラブの運営などを手掛けるコナミグループの純粋持株会社である。東京証券取引所第一部、ロンドン証券取引所に上場。日経平均株価(日経225)構成銘柄の一つである。

本店所在地 日本の旗 日本
東京都中央区銀座1丁目11番1号
設立 1973年3月19日コナミ工業株式会社)(創業:1969年3月21日

実況パワフルプロ野球メタルギアソリッド遊戯王などの人気タイトルを保有しています。

Konami Creative Center Ginza.jpg

概要[編集]

1969年3月21日に大阪府豊中市で創業して1973年3月19日に法人化された。ジュークボックスのレンタルと修理業を経てアーケードゲーム事業に参入。アーケードゲームのほかにMSXファミリーコンピュータプレイステーションなどのパソコン家庭用テレビゲーム機でジャンルを問わない多くの人気ゲーム作品を発表し、現在では関連子会社を通じてテレビゲームに留まらず、ソーシャルゲーム進出やカードゲームなどの玩具の製作・発売、スポーツクラブの運営も手掛けるなど、多角的に事業を展開している。1980年代、アーケードゲームから家庭用コンピューターゲームへ参入した老舗ゲームメーカーの中で、現在も独立を保っている数少ない存在である。2006年3月31日にコナミ株式会社(KONAMI CORPORATION)のデジタルエンタテインメント事業を、株式会社コナミデジタルエンタテインメントとして会社分割してコナミ株式会社は純粋持株会社へ移行した。2016年3月に持株会社への移行10周年を迎えるのを機に、2015年10月1日付で商号をコナミ株式会社(KONAMI CORPORATION)からコナミホールディングス株式会社へ商号を変更した。

 

www.konami.com

 

沿革[編集]

 

7・サイバーコネクトツー

株式会社サイバーコネクトツーは、福岡県福岡市博多区に所在するゲームソフトウェアの企画・開発を事業内容とする日本の企業。

本社所在地

日本の旗 日本
812-0011
福岡県福岡市博多区博多駅

1丁目5番1号


博多大博通ビルディング10階
座標北緯33度35分36.6秒 東経130度24分57.4秒

設立 1996年2月16日

概要[編集]

1996年2月松山洋九州産業大学時代の友人らとともに有限会社サイバーコネクトを設立。翌々年の1998年に処女作となる『テイルコンチェルト』をリリースした。翌年『サイレントボマー』をリリース。この2作品は大きな売上げにはならなかった。テイルコンチェルトの開発から6か月間は、会社にパソコンが1台しかなかったという。また、デバッグ作業も少人数で常にチェック体制という無茶をして行われていた。その他様々な経験が、会社の開発体制として強い影響を与えている。原作を基にした作品等ではない自社制作作品の場合、特に理由がなければ「主人公の年齢は14歳」で設定されている。これはその頃の少年の多感なイメージを強く尊重しているためである。2001年に有限会社サイバーコネクトツーに社名変更したのち、2002年には1990年代後半から注目されつつあったオンラインゲームを舞台にし、4作構成からなる『.hack』に賭けることになった。これが大きなヒットを呼び、後に『.hack//G.U.』が発売されるなど同社の中心的なゲームとなった。2003年、株式会社に組織変更。岸本斉史漫画作品であるNARUTO -ナルト-を元にした格闘ゲームNARUTO -ナルト- ナルティメットヒーロー』をリリース。ナルティメットシリーズの開発にあたり、DVDや単行本などの関連グッズを社内に常備するなど、ナルトという作品への愛情や、キャラクターゲーム作りに対する深いこだわりを持っている。

 

サイバーコネクトツー会議心得十ヶ条

一.会議は必要最低限で実施する。
 ・開く必要があるかを合理的に判断し、人数、時間を確定すること。
 ・簡単な打合せや回覧だけですませられないか確認すること。

二.事前に目的、資料を十分に確認して参加すること。
 ・的外れな意見を述べない。趣旨・目的を十分に理解したうえで発表すること。

三.開始・終了時刻を厳守、5分前には席に着くこと。
 ・遅刻参加は、反対していると思われ、全員の時間のロスになるので注意すること。

四.会議中は姿勢正しく集中すること。
 ・態度、姿勢は会議への意欲、業務への姿勢に表れますので注意すること。

五.発言は要点にまとめ、簡潔にすること。
 ・全員が理解できるように、端的にまとめること。

六.化学反応を生み出す提案をすること。
 ・業績向上に役立つ考え方やアイデアは遠慮することなく発言すること。
 ・違う意見にこそ、耳を傾けること。

七.会議の主役はリーダーではなく、参加者自身である。
 ・時間を尊重し、やむをえない所用がないかぎり、席をはずさないこと。

八.リーダーは議事進行、まとめをすること。
 ・随時要点をまとめて、全員が理解しているか確認すること。

九.会議に掛かっている時間・コストを認識すること。
 ・5人1時間の会議は、合計5時間分のコストが掛かっていることを認識すること。

十.会議のアクション項目を明確にすること。
 ・決定事項は協力して取り組み、最善をつくすこと。

 

www.cc2.co.jp

 

もう20000万文字まで行きまして今まで自分が関わってきてそのゲームを知っておりそれを作り出した会社のことのみ取り上げましたが次は映画会社など東映まで調べて見ようと思います。ここまで見てくれてありがとう。雑誌も同じで歴史を辿ってみたかったという動機でここまでやりましたが意外と面白かったです。
では、また逢おう。