アニメーション制作会社の歴史や作品などの一覧。 【其之壹】

アニメーション制作会社の歴史や著名な

作品などの一覧を記す。

 

1・MAPPA(マッパ)

株式会社MAPPA(マッパ)は、日本アニメ制作会社

MAPPAは、“Maruyama Animation Produce Project Association”の頭文字に由来する。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0032
東京都杉並区天沼2丁目3番9号
朝日生命杉並ビル9階
設立 2011年6月14日

 

2011年6月にマッドハウスを退職した丸山正雄が70歳のときに設立し、代表取締役に就任した[2]。当初は片渕須直監督の「この世界の片隅に」を制作することを目的としており、後に渡辺信一郎監督が合流してテレビアニメの制作も手掛けることとなった。その後、2016年4月に設立メンバーでSTUDIO 4℃の制作出身の大塚学が2代目社長となり、丸山は会長となる。なお丸山は同時期に企画・プリプロダクション専門の「スタジオM2」を立ち上げ、そちらの社長にもなっているMAPPAが初めてテレビシリーズを挟まずに制作した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年)は第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞に選出された。2018年4月2日、仙台市にスタジオを開設した。2018年10月22日、大手広告代理店の電通サンライズぴえろなど有力アニメスタジオ8社と連携し、ブランドの魅力を高める映像コンテンツをアニメーションで制作する体制を構築した。

著名な作品は進撃の巨人 final seasonや呪術回戦など複数。

www.mappa.co.jp

 

東京都杉並区天沼2丁目3番9号
朝日生命杉並ビル9階

朝日生命杉並ビル

制作体制[編集]

東京スタジオと仙台スタジオの2ヶ所を拠点に200名のスタッフが活動している。部門は制作部、海外事業部、CGI部、作画部(東京・仙台)。制作部・海外事業部には80名近いスタッフが所属し、企画・制作進行業務のほか海外イベントの運営や翻訳・通訳などの海外事業案件も取り扱う。CGI部は撮影・CG制作をメインに活動しており、60名のスタッフが所属。作画部では東京スタジオで30名のスタッフが原画を担当。仙台スタジオでは30名のスタッフが正規社員として活動し、デジタル動画・仕上げを担当している。その他、ごく少数だが背景美術、編集のスタッフも在籍している。スタッフには海外出身者を積極的に採用している。

 

2・ウィットスタジオ

株式会社ウィットスタジオWIT STUDIO, Inc.)は、IGポートグループの日本アニメ制作会社。本社を東京都武蔵野市に置く。主に、「WIT STUDIO」と表記される。

本社所在地 日本の旗 日本
180-0006
東京都武蔵野市中町1丁目19番3号
武蔵野YSビル5階
座標北緯35度42分18.22秒 東経139度33分43.14秒
設立 2012年6月1日

www.witstudio.co.jp

 



 

プロダクション・アイジーの企画室にて企画プロデューサーを務めていた和田丈嗣、ならびに中武哲也をはじめとした同社の制作6課のスタッフが中心となって2012年6月1日に設立した。和田の独立意思を、当時Production I.G 6課でラインプロデューサーを務めていた中武と共に同社社長の石川光久へ報告した際、石川から「会社を作りたいのか、作品を作りたいのか、どっちだ」と問われた。和田が「作品です」と答えると、石川は「それならうちのグループ会社として作りたいものを作ったらどうだ。業界も厳しくなっているから会社には体力が必要。資本金も出資しよう」と提案した。こうして和田と中武は、自己資金に出資金を加えて起業をするに至った。のちのインタビューで和田は、「制作に集中できる環境でクオリティの高いものを作ることができ、グループ会社として出発できたのは、結果としてすごくよかったと思っています」と語っている。設立当初は、アニメーションを主とする映像制作事業において魅力ある企画開発と受注拡大を目指し、パートナー企業やクリエイターの領域を広げることを目的として設立されたウィットスタジオであったが、2013年にテレビアニメ『進撃の巨人』で初の元請制作を、劇場アニメ映画『ハル』で中編映画制作を行った。その結果、『進撃の巨人』は世界中で大きな話題作となり、例年受賞の半数以上がニュータイプが特集するアニメーション作品で埋められる『Newtype×マチ★アソビ アニメアワード2013』において、作品賞(TV部門)・スタジオ賞など計7冠を達成し、同イベントとしては異例の受賞歴を残した 。『Newtype×マチ★アソビ アニメアワード2016』において、『甲鉄城のカバネリ』で作品賞(TV部門)・スタジオ賞など計5冠を達成した。進撃の巨人は第3期 後編(season3 part2)まで制作を担当していたがfinal seasonからはMAPPAに代わり

その流派もしっかりと受け継いだ。

 

3・プロダクション・アイジー

株式会社プロダクション・アイジー(Production I.G, Inc.)は、IGポートグループの日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
180-0006
東京都武蔵野市中町二丁目1番9号
座標北緯35度42分21.5秒 東経139度33分42.2秒
設立 2007年(平成19年)11月1日
(分割新設による)

概要[編集]

東京都武蔵野市に本社・スタジオ、東京都府中市に実写撮影スタジオ「Studio iG(旧FIX STUDIO)」ならびに3DCGスタジオ「IGFX」、さらに新潟県新潟市中央区に作画スタジオを構える。1987年(昭和62年)に「有限会社アイジータツノコ」を東京都武蔵野市に設立。1993年(平成5年)に「有限会社プロダクション・アイジー」に商号変更。設立からしばらくはOVA(オリジナルビデオアニメ)、アニメ映画ビデオゲーム用アニメなどを制作の中心にしてきたが押井守監督の劇場映画作品を制作し、ヒットさせた事で日本国内だけでなく海外での知名度も高まり企業としての規模も拡大した。攻殻機動隊を生み出したことで知られる。もう一つはPSYCHO-PASS サイコパスなど。www.production-ig.co.jp

 

東京都武蔵野市中町二丁目1番9号

沿革[編集]

初代[編集]

2代目[編集]

3代目[編集]

 

4・マッドハウス

株式会社マッドハウスMADHOUSE Inc.)は、日本アニメ制作会社日本動画協会準会員。日本テレビ放送網株式会社の子会社。アニメ制作会社における日本テレビ放送網株式会社の子会社は、他にタツノコプロがある。

本社所在地 日本の旗 日本
164-0012
東京都中野区本町三丁目23番3号
新中野AM1ビル3F
設立 1972年10月17日
(有限会社マッド・ハウス
1993年10月
(株式会社パオハウス)

マッドハウス 公式サイト

 

www.madhouse.co.jp

アニメ制作会社「マッドハウス」社員は月393時間働き、帰宅途中に倒れた | 文春オンライン

東京都中野区本町三丁目23番3号新中野AM1ビル3F

概要[編集]

1972年10月、虫プロダクション(旧社)の従業員だった丸山正雄出崎統りんたろう川尻善昭らが、同社の経営危機をきっかけに独立して設立。同社の石神井スタジオのメンバーが中心になった 。初代の社長は虫プロの制作管理スタッフだったおおだ(網田)靖夫が務めた。丸山によると、「会社名「マッドハウス」は昔千葉県にあった「松戸ハウス」という名前のお店のパクリです。巷では「丸山 & 出崎(統)【Maruyama And Dezaki】」ということで「MAD」など諸説囁かれていますが、全然違います。」とのこと。

主にちはやふるワンパンマンなどで自分はこの会社を知っている。

 

 

 

 

4・デイヴィッドプロダクション

株式会社デイヴィッドプロダクション(David Production Inc.は、日本アニメ制作会社。株式会社フジテレビジョンの子会社。多くの場合、「david production」と表記される。ジョジョの奇妙な冒険の正式なテレビアニメ化を果たし制作していることで名を知られるようになり同作品は世界的にも高い評価を受けており、ジョジョを知らない人にも知られるようになり、今後の活躍に期待したい。

 

本社所在地

日本の旗 日本
187-0032
東京都小平市小川町1丁目88番1号
M&K東大和ビル3階

設立 2007年9月

 

電通を経て、GDHのプロデューサーを務めていた沖浦泰斗と旧ゴンゾ元代表取締役社長の梶田浩司、そしてゴンゾ第2、第3スタジオのスタッフが共に独立して、2007年9月に設立し、2009年に『リストランテ・パラディーゾ』で元請制作を開始した。2014年8月1日付でフジテレビジョンが子会社化した。

 

davidproduction.jp

 

株式会社デイヴィッドプロダクション

 

株式会社デイヴィッドプロダクション(david production) (東京都小平市小川町 メディア会社) - グルコミ

 

5・サンライズ (アニメ制作会社)

株式会社サンライズSUNRISE INC.)は、バンダイナムコグループアニメ制作会社日本動画協会正会員。機動戦士ガンダムで知られる。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0023
東京都杉並区上井草二丁目44番10号
座標北緯35度43分30.0秒 東経139度36分17.8秒
設立 1972年9月

 

 

東京都杉並区上井草二丁目44番10号

www.sunrise-inc.co.jp

アニメ制作会社『サンライズ』ってどんな会社!?特徴と制作アニメを徹底紹介! - アニメミル

 

歴史[編集]

創業[編集]

1972年、経営難に陥った旧虫プロダクション虫プロ)から独立した営業・制作畑のスタッフが中心となって、有限会社サンライズスタジオという名で創業。

 

6・東映アニメーション

東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、TOEI ANIMATION CO., LTD.)は、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員、一般社団法人練馬アニメーション理事。ドラゴンボール・ワンピース・プリキュア聖闘士星矢など數えればキリがないがアニメーションの老舗であり手塚プロダクションと並ぶ日本アニメの先駆者である。

 

本社所在地 日本の旗 日本
164-0001
東京都中野区中野四丁目10番1号
中野セントラルパーク イースト5階
座標北緯35度42分28.0秒 東経139度39分46.5秒
設立 1948年昭和23年)1月23日
(日本動画株式会社)

 

 

東京都中野区中野四丁目10番1号 中野セントラルパーク イースト5階

www.toei-anim.co.jp


 

沿革[編集]

1950 - 1960年代[編集]

1948年(昭和23年)1月、政岡憲三山本善次郎らにより日本動画株式会社設立[2]。設立当初は成城高校の空き教室約100坪を使って制作が行われた。1952年(昭和27年)8月、日動映画株式会社に商号変更した。1955年(昭和30年)、日動映画の藪下泰司と山本善次郎が東映今田智憲営業課長を訪ね、「自分たちは日動というアニメの会社を24、5人でやっているんだが、どうも難しい。協力してもらえないか」と相談があり、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川博東映社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し日動映画の買収を決めた。

 

7・ユーフォーテーブル

ユーフォーテーブル有限会社(ufotable,Inc.)は、日本アニメ制作会社。略称はufo(ユーフォー)。鬼滅の刃Fate(フェイト)シリーズなどのアニメーション作品などで知られ、ヘブンズフィールなどの劇場版でのクオリティの高さは筆者のアニメーションに対する見方を更に180度変えてしまう程の衝撃を味わった。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0031
東京都杉並区本天沼2-47-17
第2榎本ビル
設立 2000年10月

概要[編集]

東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)、テレコム・アニメーションフィルムにて制作進行を務め、ステップ映像で制作プロデューサーを務めた近藤光が独立して2000年に設立した。事業内容はアニメーションの企画・制作および版権管理、シリーズ構成・シナリオ制作、TV番組・PVなど実写映像企画・制作、CG制作、クレイアニメーション制作など。その他、カフェ映画館の経営、声優の育成などアニメーション制作以外の事業も展開している。

 

公式サイト

www.ufotable.com

 

本社 東京都杉並区本天沼2-47-17 第2榎本ビル

 

 

 

8・トムス・エンタテインメント

株式会社トムス・エンタテインメントTMS ENTERTAINMENT CO.,LTD.)は、日本アニメーション制作会社(同社では自社を「アニメーションの総合プロデュース会社」と規定している)。日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
164-0001
東京都中野区中野3丁目31番1号
座標北緯35度42分8.3秒 東経139度39分54.5秒
設立 1946年昭和21年)10月22日
(アサヒ手袋製造株式会社)

www.tms-e.co.jp

 

東京都中野区中野3丁目31番1号

TMS Entertainment and Telecom Animation Film Office.jpg

概要[編集]

トムス・エンタテインメントは、『ルパン三世』シリーズ(日本テレビ系)、『それいけ!アンパンマン』シリーズ(日本テレビ系)や『名探偵コナン』シリーズ(日本テレビ系)などを制作していることで知られ、分社化・合併・社名変更などを経て現在の「トムス・エンタテインメント」となった。その為、制作した作品の制作クレジット表記は時期によって「東京ムービー」、「東京ムービー新社」、「キョクイチ東京ムービー」、「トムス・エンタテインメント」と変遷している。なお、最終的に社名が現在のトムス・エンタテインメントに変更された2000年平成12年)以降も、「東京ムービー」の名はアニメ制作ブランド名として2011年平成23年)頃まで残り続けた。また、近年[いつ?]、デジタルリマスター化の際などにクレジット表記をそれまでの古い表記(東京ムービーなど)から、トムス・エンタテインメント名義に変更する事例もある。

 

変遷[編集]

1946年(昭和21年)にアサヒ手袋製造株式会社として設立され、元は繊維メーカーであった。後に、旭一編織株式会社、株式会社旭一、旭一シャイン工業株式会社、株式会社キョクイチへ商号変更した。1989年(平成元年)、ウォッチマングループに買収され、繊維事業からアミューズメント事業へ業態を転換。以降、セガ・エンタープライゼス(後のセガ)に数度の第三者割当増資を仰ぐようになり、1992年(平成4年)にセガグループ傘下となる。

1995年(平成7年)、アニメーション制作大手の東京ムービー新社吸収合併2000年(平成12年)、株式会社トムス・エンタテインメントに商号を変更。

 

沿革[編集]

 

 

9・ボンズ (アニメ制作会社)

株式会社ボンズbones.inc)は、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。原作者としての表記はBONES僕のヒーローアカデミアで一役知名度を上げた。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0021
東京都杉並区井草3丁目8番3号
設立 1998年10月

www.bones.co.jp

 

東京都杉並区井草3丁目8番3号

概要[編集]

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』『機動武闘伝Gガンダム』『疾風!アイアンリーガー』『天空のエスカフローネ』『カウボーイビバップ』などの作品を担当していたサンライズ第2スタジオのスタッフが1998年10月に独立。第2スタジオのプロデューサーだった南雅彦が代表となり、信頼を置くフリーアニメーターの逢坂浩司川元利浩らを誘って設立した。英語表記・原作者表記は「BONES」。英語の"bone"(骨)に複数形の"s"を付けたもので、設立当初8名ほどの骨のような会社に肉を付けていこうという思いから命名した[4]。また、歌謡曲骨まで愛して」にかけて、「いろいろな人に愛してもらいたい」という願いもこめている 

 

10・ガイナックス

株式会社ガイナックスGAINAX Co., Ltd.)は、東京都武蔵野市御殿山に本社をおく日本アニメ制作会社。株式会社ガイナックス(英: GAINAX Co., Ltd.)は、東京都武蔵野市御殿山に本社をおく日本のアニメ制作会社。1984年12月。アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作を目的として設立された。代表作として、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』『ふしぎの海のナディア』や、OVAトップをねらえ!』が知られている[2]。アニメーション制作に加え、1980年代末からコンピュータゲームの制作と販売も行い『プリンセスメーカー』シリーズなどのヒット作品を残した。

 

www.gainax.co.jp

本社所在地 日本の旗 日本
180-0005
東京都武蔵野市御殿山1丁目4番20号
服部ビル202号室
座標北緯35度42分6.2秒 東経139度34分33.1秒
設立 1984年12月24日

 

ガイナックス - Wikipedia

沿革[編集]

草創期[編集]

1981年日本SF大会DAICON 3」のオープニングアニメーションに関わり、大阪府門真市海洋堂の常連でもあった岡田斗司夫武田康廣赤井孝美山賀博之庵野秀明村濱章司ら関西の学生は、その後も「DAICON FILM」として映像制作を行った。このうち、DAICON 3後に大学を中退した岡田と武田は1982年2月、大阪市天王寺区SFグッズを扱う専門店「ゼネラルプロダクツ」を開業し、DAICON FILMと密接な関係を持ちながら活動。経営が軌道に乗ったところで岡田に山賀が「プロになる」ことを持ちかけ、ゼネラルプロダクツが岡田と山賀に200万円の活動資金を提供する形を取って1983年9月、OVA向け長編アニメーション『王立宇宙軍』の企画を開始した。1984年秋に上京した岡田斗司夫と、ゼネラルプロダクツおよびDAICON FILMメンバー、テレビアニメ『レンズマン』プロデューサーの井上博明によって同年12月24日、『王立宇宙軍』の制作スタジオとしてガイナックスを設立した。

 

11・カラー (アニメ制作会社)

株式会社カラーkhara, Inc.)は、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0054
東京都杉並区松庵三丁目35番18号 座標北緯35度42分12.7秒 東経139度35分51.9秒
設立 2006年5月

www.khara.co.jp

 

ホームズ】RoyalHillsの建物情報|東京都杉並区松庵3丁目35-18

 

概要[編集]

ガイナックス取締役だった庵野秀明が、同職を辞して2006年5月に設立。株式会社カラーの設立から4か月後の2006年9月には、自社企画のアニメーションを制作するための制作スタジオであるスタジオカラーが設立された。代表取締役には庵野秀明、取締役には川上量生鶴巻和哉安野モヨコ轟木一騎、緒方智幸、田中美津子、小林浩康らが名を連ねる 

自社制作の長編アニメーション映画制作を旨としているが、スタジオジブリなどの他社制作の長編アニメーション映画やTVアニメの制作協力も行っている。2017年からは、テレビアニメ・テレビ番組・特殊映像の製作会社「ピー・プロダクション」の著作権管理窓口業務も行っている。社名は、取締役で庵野の妻であるの安野モヨコ命名した。英語の「Color」ではなく、ギリシア語で「歓喜」を意味する「χαρά」に由来する]。また、同社の社名のロゴも安野が手がけている。

 
 

特徴[編集]

人材育成と労働環境の改善[編集]

代表取締役庵野は「動画の人材育成をしないとスタジオの血が若返らない」と主張し、動画マンや新人の育成に注力する考えを表明している。庵野は「アニメーション業界全体を改善するのはかなり難しい」と指摘しつつ「せめて自分のできる範囲ぐらいは何とかしよう」と述べており、その具体策としては「安定した収入や保険など可能な限り環境をよくしたい」と語り、「賞与だけでなく社員旅行や福利厚生にも力を入れていく」としている。経営に関しては「社員の老後まで考えて、きちんとした会社を作っていく。社長として安定した経営を心がける」とし、「アニメーションや特撮といった文化を遺していく作業にも従事していきたい」と意気込みを述べている。

 

12・A-1 Pictures(エー・ワン・ピクチャーズ)

株式会社A-1 Pictures(エー・ワン・ピクチャーズ、略称: A1P)は、日本アニメ制作会社 アニプレックス子会社日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
166-0015
東京都杉並区成田東四丁目38番18号
座標北緯35度41分54.94秒 東経139度38分12.09秒
本店所在地 102-8353
東京都千代田区六番町4番地5
設立 2005年5月9日

a1p.jp

 

 

本店はソニー・ミュージックエンタテインメント本社で

この内部に本店があると思われる。

SME-Honsya-Syaoku.JPG

歴史[編集]

2005年、アニプレックスがアニメコンテンツ供給の安定化を目的として設立した。2006年、ノーサイドと共同制作した『ぜんまいざむらい』より元請制作を開始し、同年10月には東京都杉並区に本社兼阿佐ヶ谷スタジオを設立。サンライズJ.C.STAFFプロダクションIGシンエイ動画などから制作スタッフが移籍し2007年に制作した『おおきく振りかぶって』より自社単独での元請制作を開始した。2012年には高円寺スタジオが稼動開始した。2018年4月1日、高円寺スタジオをCloverWorksへ改称し、ブランド化。同年10月1日、同ブランドをアニプレックス子会社として会社分割した 

 

 

 

13・シャフト (アニメ制作会社)

株式会社シャフトSHAFT INC.)は、日本アニメ制作会社。杉並アニメ振興協議会会員。いわゆる共同ペンネームを使用する事があり、古くは『十二戦支 爆烈エトレンジャー』の紗吹 都、2000年代以降は東 富耶子東 冨耶子)、椎谷 太志を使用する。
魔法少女まどかまどか☆マギカを制作したアニメーション會社として知られる。

本社所在地 日本の旗 日本
167-0023
東京都杉並区上井草一丁目29番15号
設立 1975年9月1日

 

www.shaft-web.co.jp

 

なかけん。 on Twitter: "シャフト本社屋内の車庫、まどマギラッピング社用車が未だに残っていたら、この後が『完璧な流れ』になったのに…!!  幸い2013年6月に撮った写真データがあったから、ソウルジェム濁らなくて済んだよ、まどか。… "

沿革[編集]

虫プロダクション出身の若尾博司が、1975年仕上スタジオの「有限会社シャフト」として創業。設立当初は同年に設立されたスタジオディーンとともに、シンエイ動画及び虫プロの流れを汲む日本サンライズ(後のサンライズ)制作作品の仕上を請け負っていた。

 

 

 

14・ピーエーワークス

株式会社ピーエーワークスP.A.WORKS Co.,Ltd.)は、富山県南砺市に本社を置く日本アニメ制作会社。略称は「PA」。主に、「P.A.WORKS」と表記される。

本社所在地 日本の旗 日本
939-1835
富山県南砺市立野原東1508-8
座標北緯36度30分7.3秒 東経136度52分21.5秒
設立 2000年11月10日

 

www.pa-works.jp

 

P.A. WORKS.jpg

 

2000年11月10日タツノコプロ出身でProduction I.Gでプロデューサーを務めた堀川憲司が、ビィートレインの取締役を経て、富山県東礪波郡城端町越中動画本舗株式会社(えっちゅうどうがほんぽ)を設立。2002年1月1日株式会社ピーエーワークスに商号変更した[1][注釈 3]P.A.WORKS は「Progressive Animation Works」の略である。設立の経緯は、堀川が家族との約束から富山へ戻る際、地元に制作会社を探しても見つからず、自らスタジオを立ち上げたのだという。設立時、行政側から社屋として廃病院を改築した建物「南砺市起業家支援センター」の斡旋やケーブルテレビを利用したブロードバンド環境整備などの支援を受けている。また、福利厚生の一環としてアニメーターを対象に寮を整備している。

 

 

 

15・京都アニメーション

本社所在地 日本の旗 日本
611-0002
京都府宇治市木幡大瀬戸32番地
座標北緯34度55分29.1秒 東経135度47分55.0秒
設立 1985年7月12日(法人設立)

株式会社京都アニメーション(きょうとアニメーション、Kyoto Animation Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社。略称は京アニ(きょうアニ)、京都アニメ(きょうとアニメ)。主にテレビ劇場アニメーション作品の企画・制作(元請け)、他社作品の制作協力を行っている他、出版事業やマーチャンダイジング事業なども行っており、アニメーションを軸としたコンテンツ事業を展開している。会社商標ロゴ「京」の文字をモチーフにしてデザインしたもの。響け!ユーフォニアムヴァイオレット・エヴァーガーデンで私は知ったがとても溫かい作品を作る素敵な会社だと思う。だからこそ必ず立ち上がることが出来ると誰よりも信じており、その気持ちは皆同じでしょう。

 

www.kyotoanimation.co.jp

 

Kyoto Animation head office 20101010.jpg

歴史[編集]

創業[編集]

創業者の八田陽子(旧姓:杉山)は東京都出身で、高校卒業後にアニメーターである実兄の杉山卓の紹介により手塚治虫に師事し、旧虫プロダクション仕上げ経験を積んだ。その後、転職して京都府に移住し、福井県の農家出身で経理担当の鉄道員である八田英明と知り合い、1975年に結婚。宇治市に移り住み、3人の子供を育てる傍ら、そこで近所の主婦に請われてアニメ製作の塾を開講した。その後、東京にいる実兄やシンエイ動画の社長である楠部大吉郎などの人脈を駆使して仕事を探し、1981年に前述の主婦らと共にシンエイ動画タツノコプロ及びサンライズの仕上げの仕事を始めたことが事業の始まりである。当初は「京都アニメスタジオ」と名乗っていたが、のちに「京都アニメーション」に改称して英明を社長に据え、1985年に有限会社として法人化される。元は仕上げの工程を行う仕上専門会社であったが、1986年に作画部門を設立し、他社の動画の下請けを始めている。

 

16・シンエイ動画

シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社テレビ朝日の子会社。日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
188-0011
東京都西東京市田無町三丁目9番21号
座標北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒
設立 1976年(昭和51年)9月9日
シンエイ動画株式会社)
(創立:1965年(昭和40年)12月(Aプロダクション))

概要[編集]

代表作に、テレビアニメドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。また作画工程のみを他社から請け負う事業も行っている。2010年より、テレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画1965年(昭和40年)12月に創立された有限会社エイプロダクション(通称: Aプロダクション)が前身で、Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。

 

歴史[編集]

Aプロダクション時代[編集]

Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者楠部大吉郎の弁)。テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊東映動画(現: 東映アニメーション)から独立したアニメーター楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形をとった。そして楠部の弟である楠部三吉郎東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司吉田茂承大塚康生宮崎駿高畑勲小田部羊一らと、定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が、東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。こうしてAプロは、1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更、改組した。

 

 

www.shin-ei-animation.jp

シンエイ動画本社

 

17・虫プロダクション

虫プロダクション(むしプロダクション、通称: 虫プロ)は、日本アニメ制作会社

漫画家アニメーターである手塚治虫が関係したアニメーション専門プロダクションである。本項では1961年昭和36年)に設立され1973年(昭和48年)11月に倒産した「株式会社虫プロダクション」(旧虫プロ)と、その子会社である「虫プロ商事」(1973年8月倒産)、1977年(昭和52年)に旧虫プロ労働組合を母体として設立された「虫プロダクション株式会社」(新虫プロ)に分けて記述する。株式会社虫プロダクション虫プロ商事は

倒産して現在は「虫プロダクション株式会社」(新虫プロ)が残っている。

本社所在地 日本の旗 日本
177-0034
東京都練馬区富士見台二丁目30番5号
設立 1977年11月26日

 

www.mushi-pro.co.jp

 Mushi Production 2013-07-21.JPG

虫プロダクション株式会社は、日本アニメ制作会社

虫プロ労働組合が中心となって設立された。設立時の筆頭株主労働組合であり、資本金1200万円のうち500万円を出資した。設立時のその他の株主は、日本ヘラルド映画が300万円、日活が200万円、その他で200万円。設立時に、手塚治虫から再建への支援として旧虫プロ時代に製作された商業アニメーション作品の著作権の全てが新虫プロに譲渡されたため、旧虫プロ作品の著作権管理も主な業務になっている。本社は東京都練馬区富士見台二丁目30番5号。一般社団法人練馬アニメーション幹事。主に上映会形式・親子映画向けのアニメーション映画の制作を行っている。

 

18・手塚プロダクション

株式会社手塚プロダクション(てづかプロダクション)は、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
169-8575
東京都新宿区高田馬場四丁目32番11号
設立 1968年1月23日

 

tezuka.co.jp

 

手塚プロダクション本社

 

歴史[編集]

1961年手塚治虫がアニメーション制作のため「手塚治虫プロダクション動画部」を設立[1]1962年「株式会社虫プロダクション」(以降虫プロ、旧虫プロ)として法人化[1]。社長は手塚自身が務めた。1966年、その子会社として版権・出版・営業業務を請け負う虫プロ商事株式会社を設立した。1968年、手塚は漫画制作・管理のための別会社として、中野区上鷺宮に株式会社手塚プロダクション(以降手塚プロ)を設立し。これによりアニメ制作は虫プロ、漫画制作は手塚プロに切り分けた。手塚プロは1970年から1976年に高田馬場に移転するまで、富士見台越後屋ビル(現存)の2・3階を借りていた。3階で手塚は集中して漫画の執筆に励み、2階ではスタッフがアシスタント業務及び給料計算や、漫画の著作権管理など事務処理を行った。当初、虫プロ手塚治虫原作漫画を基にしたアニメを制作していたが、スポンサーがついて制作にのせることのできた作品の数はそれほど多くなかった。このため虫プロ1960年代後半以降は、手塚原作以外の作品もアニメ化するようになった。手塚作品のアニメがほぼ無くなった1971年に、手塚は虫プロ社長を退任した。この頃、手塚プロダクション内部にもアニメ部門が作られアニメの制作が開始されたが、当初は虫プロの下請け的活動が主であった。この頃には企業宣伝用の超短編作品が数本とテレビシリーズ版『ふしぎなメルモ』(1971年放映開始)が制作されている。

 

虫プロの倒産後、1977年に旧虫プロ労働組合が中心となって「虫プロダクション株式会社」(以降新虫プロ)が設立された。この際、倒産前の旧虫プロで制作した作品の著作権は一度手塚から新虫プロに譲渡されたため、新虫プロ設立後にビデオソフト化されたモノクロ版鉄腕アトムなどについては、原作の著作権者として手塚プロダクション、アニメの著作権者として虫プロダクションの名が入るという形が採られていたが、2019年現在においては手塚治虫原作の作品については手塚プロダクション(『ワンサくん』の映像管理は東北新社)に権利を委託していることが公式ウェブサイトで告知されている

 

 

19・スタジオジブリ

株式会社スタジオジブリは、日本アニメ制作会社日本動画協会準会員。通称「ジブリ」。

www.ghibli.jp

本社所在地 日本の旗 日本
184-0002
東京都小金井市梶野町一丁目4番25号
設立 2005年4月

スタジオジブリ本社 - 同級生掲示板

 

沿革

 

20・ぴえろ

株式会社ぴえろは、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。ジャンプ作品を多くアニメ化していることでよく知られる。

pierrot.jp

本社所在地 日本の旗 日本
181-0013
東京都三鷹市下連雀二丁目29番13号
設立 1979年5月(株式会社として)(創業:1977年4月)

スタジオぴえろ創設者・布川郁司が語る、日本のアニメの強みと業界の課題【インタビュー】 | アニメ!アニメ!

 

歴史[編集]

1977年4月、アニメーター・演出家の布川郁司が朋映、虫プロダクション竜の子プロダクションを経て、上梨満雄ときたひろこらと共に演出家のグループとして発足。吉祥寺のマンションで活動を開始した。社名の由来について、布川が幼少期に山王祭りで見たサーカス集団が印象に残っていたことから社名をぴえろにしたという。

 

21・タツノコプロ

株式会社タツノコプロは、日本アニメ制作会社日本テレビグループの一員。日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
180-0006
東京都武蔵野市中町1丁目19番3号
武蔵野YSビル2F
座標北緯35度42分18.22秒 東経139度33分43.14秒
設立 1962年10月19日

 

tatsunoko.co.jp

 

 

沿革[編集]

20世紀[編集]

 

22・エイケン

株式会社エイケンは、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。サザエさんを制作していることで知られる。

本社所在地 日本の旗 日本
116-0003
東京都荒川区南千住6丁目56番7号
座標北緯35度44分9.59秒 東経139度47分42.28秒
設立 1969年3月10日

沿革[編集]

前史[編集]

1952年、テレビの放送開始に合わせ、テレビ受像機の輸入販売会社として、当時のヤナセ社長である梁瀬次郎の発案で日本テレビジョン株式会社Television Corporation of Japan Co.,Ltd.、以下TCJ)が設立。しかし、テレビの普及が予想以上に早かったことから、1950年代半ばにはサイドビジネスとしてテレビCMの制作に手を出すようになり、間もなくそのCM制作の方が本業になっていた。そのCM制作の際にいわゆるアニメCMを多く手掛けていた事が、エイケン発足のきっかけとなる。

TCJ映画部発足~動画センター分社設立[編集]

1963年、『鉄腕アトム』の影響でアニメブームが起きる直前、アニメCMの制作陣を分離独立する形で、TCJ映画部を発足。彼らを真っ先にテレビアニメ制作に当たらせ、『仙人部落』を制作した。その後、『鉄人28号』のヒットで、経営は軌道に乗る。最盛期には作画から編集に至るまで300名以上の従業員を抱えていた。1969年4月、日本テレビジョンが株式会社テイ・シー・ジェーに商号変更した際に、テレビアニメ制作を担っていた映画部が株式会社テイ・シー・ジェー動画センターとして分社化(登記は3月10日)。映画部部長の村田英憲が社長に就任し、これを現在のエイケンの創業とした。

 

eiken-anime.jp

本社ビル

 

 

23・日本アニメーション

日本アニメーション株式会社(にっぽんアニメーション)は、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本企業日本動画協会正会員。本社所在地は東京都多摩市ちびまる子ちゃん世界名作劇場などで名が知られているアニメーション制作会社であります。

本社所在地 日本の旗 日本
206-0001
東京都多摩市和田21番
設立 1975年3月

 

www.nippon-animation.co.jp

 

Imatge

 

Imatge

 

概要[編集]

東京都多摩市和田多摩スタジオを所有する(最寄り駅は京王線聖蹟桜ヶ丘駅)。近年、本社機能も銀座から多摩市へ移転した。制作版権の営業関係は関連会社を含め銀座7丁目(東銀座)の自社ビル「日本アニメーションビル」と、近隣の「北海道文化放送銀座ビル」に拠点を構えている。アニメ作品の企画を主に行っていた瑞鷹エンタープライズが、制作委託先の虫プロダクションの経営悪化を契機に、ズイヨー映像を創立し、作品の自主制作を開始する。その後1975年3月に同社の代表取締役に就任していた本橋浩一らがスタジオと多数の従業員を引き連れ、新たに「日本アニメーション株式会社」を設立。当時のアニメーション実制作部門を事実上承継、移管した。ただし、版権などの権利は移転されていない。後発ながら、東映動画(現: 東映アニメーション)、タツノコプロ東京ムービー(現: トムス・エンタテインメント)、エイケンといったアニメ制作会社と共に、当時のアニメ制作大手5社の一角と数えられた。設立から現在までフジテレビジョン系との取引が多い。1990年代には『ちびまる子ちゃん』が大ヒット。その後は『南国少年パプワくん』や『魔法陣グルグル』の好調もあったが、経営の柱となっていた代表シリーズ『世界名作劇場』が1997年に終了。(2007年BSフジにて再開)。

 

24・オー・エル・エム

 株式会社オー・エル・エムOLM, Inc.)は、日本アニメ映画制作会社。日本動画協会正会員。

本社所在地 日本の旗 日本
154-0023
東京都世田谷区若林一丁目18番10号
みかみビル7階
設立 1990年10月3日

 

olm.co.jp

 

みかみビル(世田谷区若林)のビル情報【オフィスナビ®】

概要[編集]

ポケットモンスター』シリーズやレベルファイブ作品を筆頭に、制作作品の大半がキッズアニメである。小学館の子供向け雑誌と独占的にタイアップすることが非常に多いものの、同社や小学館集英社プロダクションなどの小学館グループ各社との資本上の関わりは無い。設立からしばらくはハイターゲット向けのアニメ(いわゆる深夜アニメなど)も多数制作していたが、2007年に当時制作プロデューサーだった岩佐岳が独立(2007年にWHITE FOXを設立)したのを境に現在の制作様式が確立された。実写映画やフル3DCGアニメにも参入している。2017年以降は制作本数が大幅に増加し、シンエイ動画など同業他社と共同で制作するケースも増えている。なお2020年4月期にはOLM単独制作としては約13年ぶりとなる深夜アニメが放送されている。社名について 「Oriental Light & Magic Inc.」 (オリエンタル・ライト&マジック)の頭文字を取ったものである。 

 

略史[編集]

設立当時のメンバー[編集]

現代表である奥野敏聡は、かつてオービー企画のプロデューサーであった。オービー企画はアニメスタジオ「パステ」を抱えており、パステルのプロデューサーだった神田修吉OLMの取締役に就任。パステルからは他に神田の部下の太田昌二、パステルを拠点に演出をしていた湯山邦彦スタジオジャイアンツからは高橋ナオヒト千羽由利子、神田がかつて在籍し、『タッチ』などを通じてオービー企画と関係があったスタジオぎゃろっぷからは小板橋司、和崎伸之とぎゃろっぷ中心で活動していたフリー演出家・水谷貴哉OLMの設立に参加した。また湯山の1980年代の監督作でキーアニメーターを務めた作画スタジオアニメアール毛利和昭が後に参加した。

25・コミックス・ウェーブ・フィルム

株式会社コミックス・ウェーブ・フィルムは、日本アニメ制作会社アニメイト子会社日本動画協会準会員。略称は「CWF」。

君の名はや天氣の子はここにて生まれました。

本社所在地 日本の旗 日本
102-0083
東京都千代田区九段北四丁目1番9号
市ヶ谷MSビル5階
設立 2007年3月

 

www.cwfilms.jp

 

 

概要[編集]

コミックス・ウェーブにてアニメーション制作や作家マネジメントを担当していたマーチャンダイジング事業部が、2007年3月にコミックス・ウェーブ・フィルムの名義で独立したものである 新海誠監督の作品を中心に制作している。また、大成建設のアニメーションCMなどを制作したことでも知られる。その他にもP.A.WORKSA―1 Picturesなどを初めとするアニメーション作品の下請け(制作協力)や美術背景の受注制作も行っている。また、新海誠を初めとするアニメーション監督などの作家マネージメントも行っている。音響監督には山田陽を起用することが多い。繊細で写実的な上、ほぼ自社内で制作している美術背景に定評があり、自社作品以外にも多数のアニメ制作会社が背景素材の制作を発注している。当初は、自社で新海誠作品の配給を行っていたが、言の葉の庭以降はTOHO animation企画・東宝配給となっている。

 

26・プラチナビジョン

本社所在地 日本の旗 日本
181-0013
東京都三鷹市下連雀3丁目37番12号
プリマベーラ三鷹202
設立 2016年3月30日

 

代表者履歴

1991年
株式会社 東京ムービー新社(現:トムス・エンタテインメント)入社
それゆけ!アンパンマンの制作進行でキャリアを開始
1994年
株式会社 タツノコプロダクションへ移籍
新世紀エヴァンゲリオン(テレビシリーズ)制作担当に就任
1996年
キョクイチ東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)復帰
ルパン三世テレビSP,巷説百物語ブザービーター等をプロデュース
2010年
有限会社 ブレインズ・ベースへ移籍
企画営業制作部長就任 ブラッドラッド、僕らはみんな河合荘青春×機関銃
その他、CM、盤面映像等を手掛ける
2016年
プラチナビジョン株式会社を設立

 

www.platinumvision.co.jp

 

ホームズ】プリマベーラ三鷹の建物情報|東京都三鷹市下連雀3丁目37-12

概要[編集]

東京ムービー新社(現:トムス・エンタテインメント)やタツノコプロダクション(現:タツノコプロ)を経てブレインズ・ベースで『ブラッドラッド』『僕らはみんな河合荘』『青春×機関銃』などを手がけた大石祐道が2016年3月30日に、ブレインズ・ベースの企画営業制作部を母体に設立。この音止まれ!で知名度を上げたがこれからの活躍が楽しみです。